スイレン

9.鈴の音は闇に響く

 ゆらゆらと謡うように暗い水の中で水草が揺れていた。

 揺蕩うそれに絡みつくのは、ひび割れて固くなった私たちの子供たち。

 こぽりこぽりと泡が揺れ動き、さあさあと水が流れる音が耳に届く。揺りかごのように気持ちのいい静寂の中で、皆は眠っていた。

 手を伸ばして、私は子に触れる。肉の柔らかさを失ったそれは、ただの石のように無機質だ。


(明日には、其方らの娘がやってくるぞ)


 水の中で語り掛けると、水草がざわめいた。それが歓喜なのか悲しみなのか。私は子供らの真意を知ることはできない。

 触れた子には藻が張り付いていた。それを指先で丁寧に取り除くのだ。


(せっかくの娘との再会だ。身なりは整えておかねばな)


 本当なら、もっとめかしこませてやりたいけれど、水中でそれは叶わない。本当に、生きるとはままならぬものだ。


「今日も子をあやしていたのか?」


 そう、背後から聞こえる声に振り向けば、魂の片割れとも呼ぶべき存在が揺蕩っていた。


「そうだ……明日の夜がいいものになるように、下準備だ」

「相変わらず優しいこと。その願いが叶うよう、妾も快く送り出さねばな」


 水の中で互いの声が反響し、吐息はあぶくとなって上に上っていく。

 このあぶくのように、子らの魂は天へと昇れているのだろうか。天国はいいところだと聞くが、幸せだろうか。

 いずれすべての子らを送り出したあかつきには、子らとまた共に暮らすことができるだろうか。


「きっと、叶う。叶わずとも、妾が其方の傍におる」

「そう、か。そうだな……私たちは二人で一つなのだから」


 ゆるやかに滅びの時を待つ中でも、死ぬまで共にある存在がいるというのはきっと救いなのだろう……。



9.鈴の音は闇に響く



 鬱蒼と茂る樹々は、天を覆って森を薄暗くしている。霧が立ち込めているのも、薄暗さを助長していた。

 伸びるレールは暗緑の植物に覆われて、本来見えるはずの鉄と木材の模様は隠れてしまっている。先を見れば樹々の先は白み、それらは植物でうっすらと緑に色づいていた。

 ガァガァと不気味な鳥の鳴き声と羽音は唐突に、遠くからはカエルの鳴き声が届く。湿った森特有の青臭さとかび臭さが鼻をつけば、水を飲み込むのでさえ億劫になった。さらには湿った空気が肌に纏わりつくものだから、不気味さと不快さを同時に感じてしまう。


「里はまだ遠いのか?」

「いえ、花加護はうっすらと感じるのですが……肝心の花は見当たらないです」

「もう花が見え始めてもおかしくはないのか…だとしたら妙だな。花の開花時期ではないのかもしれないが」


 もう一時間は歩いている森の道はまだ長そうだ。せめて終わりは見えないものかと尋ねれば、奇妙な返答が返ってくる。

 基本的に近場の里同士であれば物資の交換目的で多少なり人の往来がある。しかしレールに人の痕跡がない。少なくともこちら側の道は長いこと使われていないのだろう。


 マリーゴールドの里から歩き続けて数日後、一つ里を見たが滅びていた。そのため少なくともこちら側に物資の交換をするような里がないのは容易に推測ができる。

 しかし、花加護の範囲でまったく花が見えないというのは困ってしまう。スイがいなければまだ先だと思い込むところだった。里は駅の周囲にあるとはいえ、隣接しているとは限らない。森に遮られて見えない場所にある可能性もあって、その場合は花で判断するしかないのだ。


 里間を行き来するだけならばともかく、レイたちのように旅をする人間は稀なので、里人にとってあまり問題はないのだろうけれど……。

 兎も角、自分たちの疲労や保存食の兼ね合いもあり、なるべく早めに里には辿り着きたいところだ。

 歩けば歩くほどに、霧も、生い茂る緑も濃くなっていく。こうなると正確な時刻もつかみにくい。


 レールに生い茂るのは草ばかりではなくなり、木の根まで浸食してしまっている。枝をナイフで切り落としながら進むと、普通に歩いていた時よりも進みが遅くなった。スイの能力で植物を引かせてもらうこともできるが、いつどこで突然変異種と出会うか分からないのもあり、力の温存のためにそれは断念した。


 しばしそうして進んで、半刻ほどたってからだろうか。ふと道が広がったのだ。

 草木の向こうにあったのは、断崖絶壁の山壁だ。そこに、穴が開いていた。


 灰色の、建物に使われる岩と浸食する蔦植物に縁どられた、黒い半円の大穴。大きさではレイの身長の二倍以上か。黒々としたそれは光もなく出口も見えないことから、それなりに長い洞窟だとは察しがつく。

 湿った空気とひんやりとした冷気が洞窟から漂う、森以上に不気味な洞窟。困ったことに、草木の浸食から解放されたレールがその奥に伸びて、闇に呑まれていた。


「ずいぶん長い洞窟ですね。この先……なのでしょうか?」

「だろうが、ここを通るのにはリスクが高いな」


 レールがあるということは、文明時代の人工的な洞窟なのだろう。だとしても、今は突然変異種が巣にしていたり、内部が崩落していたりする可能性もある。せめて出口が見える程度の長さならよかったのだが……。

 だが、周囲を見回して確認できるのは、上ることは難しいほどの高さの壁と急斜面の道。登れる箇所を見つけて進んだにしても、体力も時間もかなり持っていかれるだろう。

 レールの道ですら進むのに苦労する山だ。レールなき道はさらに歩きづらく、危険も多い。

 日光がない場所を花人に歩かせるのも避けたいことだけれど、不安なら早めに抜けるしかない。どのみち長引いて夜になれば結果は一緒なのだから。


「……進むしかない、か」


 花人の気配があるのであれば、少なくとも自分たちで対処できるレベルの突然変異種しかいないはずだ。

 面倒な事態にならないように祈りながら、レイは荷物からランプを取り出した。


 火をつけてから中に足を踏み入れると、ぴちょん、ぴちょん、と一定のリズムで水の音が広い洞窟の中で反響していた。

 レールは床より高めに配置してあり、足元の安全を考慮してその横を歩く。時折顔を出すネズミが、レイやスイに驚いてしまったのか走り去っていった。


「文明時代の方々はすごいのですね……こんなに大きな洞窟を作ってしまうのですから」

「昔の、科学技術というものだったかな。もっと北東に行けば、ここより色々残っているかもしれない」


 ぼう……と、暗闇を橙色の光が洞窟内を照らす。

 その光の端で、スイは感心したように洞窟の壁を見上げていた。

 普通の洞窟とは違い、滑らかな岩が半円を描くように壁が作られている。入り口から中までずっと同じ作りで、一定間隔にでっぱりのような小部屋があった。


 足元は湿っており、時折うっすらと水が溜まっている。影の色を見るとレール横の床だけでなく、壁もそこそこの高さまで濡れていた痕跡がある。少なくともひざ下程度までは水がたまることがあるのだろうか。


 床にはガラスのようなものが転がっており、調べれば天井にいくつも並べられている丸い物体に、ガラスが欠けているものがあった。あれが割れて落ちたのだろう。

 空気は冷たく、肌寒いぐらいだ。スイには外套を着せて、活動が鈍らないようにした。

 当人は別のものに興味を示すことで眠気を誤魔化しているようだが、長いことは持たないだろう。


 奥へ行くほどに空気は淀んでいる。

 歩いている時には感じない程度だが、わずかに傾斜になっているようで、奥に行けば行くほどに水たまりが増えていた。カビと腐った水の臭いに、気持ちは泥に沈むかのように落ちていく。

 そして、足元には砂利のような砂が混ざり始める。さらに進めば、ごつごつとした岩と土が進路をふさいでいた。


「行き止まり、ですね……」

「落盤だろうな。まぁ、これほど長い洞窟だ。無理もない。――花の加護はどうだ?」

「先程より強いです。それほど遠くないと思いますが……」


 岩の隙間からひゅうひゅうと風が吹いているのか。いくつか別々の風の音が聞こえるため、出口はここからそれほど遠くはないのだろうか。しかし、ほぼ隙間なくふさがっている岩や土を取り除けるような技術は、レイにもスイにもない。


 横道でもあればいいのだがと、周囲を見回す。しかしそんな都合のいいものがすぐそばにあるはずもない。戻って別の道を探す羽目になるのかと落胆して、ため息がこぼれた。


「――? レイ、何か聞こえませんか? 音が……」

「音?」


 スイが何かを察知したように、振り向いた。そしてレイも倣って暗がりの向こうを見る。

 入り口の光さえも見えないほどの奥まった場所だ。新しい音があればすぐにわかるものだとは思うけれど。


 耳を澄ませてみたのなら、チリーーン。と細長く、澄んだ音がこだました。

 それも、一つ二つではなく、複数の音。鈴の音ということは突然変異種ではなく、人だろう。

 二人に緊張が走るのは、こういう場において出てくる人間が善人とも限らないからだ。

 帰るべき里を持たない、ならず者の可能性だって十分あり得た。それに、道中に里はなかったのだから、警戒してしまうのは至極当然のことだ。


 レイは動きが鈍くなっているスイを下がらせ、一歩前に出て腰に下げた銃と短剣の存在を確認する。

 鈴の音は近づいて、一度ギィ……と音が響くと、より鮮明に鈴の音がトンネルの中にこだました。何かの扉を開けたような音だったが、どこかに横道でもあったのだろうか?


 鈴の音に加えて複数の足音が、近づいてくる。相手はこちらの存在には気付いているはずだ。でなければ、行き止まりになっているこちら側に来る理由がない。


 砂利を踏む足跡とともに、暗がりの向こうから「ぼう……」と光が見えた。ちょうど洞窟の緩やかなカーブの向こうから、光がやってくる。

 大きな影がにゅっと出てきて、黒い人の形が四つ。それらはみな背丈が違うものの、全員が暗い色の外套を羽織り、傘のようにフチが広い帽子をかぶっている。手には鈴のついた杖を持って、歩くたびに一定のリズムで音をらす。いやに統率のとれた一行だ。


 人影は、レイたちに近付き過ぎない程度の所でぴたりと止まった。レイたちがあからさまに警戒をしていたからなのか、はたまた相手も警戒しているが故なのか。


 さてはてどうするべきかとレイが逡巡したところで、彼らは驚きの行動に出た。

 皆一様に膝を折り、首をたれたのだ。


「ようこそお越しくださいました、旅のかた」


 先頭にいた人影は、低い声で告げた。

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