閑話休題 スイートピーの夢

 微睡みの意識の中で、スイートピーは夢を見た。

 透明な板で天井まで囲われた広い部屋の中、咲き誇る色とりどりの花の中で笑う……真っ白な服をまとった男女の夢。


 板から差し込む日差しはきらきらと二人に降り注いで、満ちる花の香りは優しく包むように。流れる水の音は、花たちを育みながら小鳥たちの歌声の伴奏を奏でる。


 男女のことを、スイートピーは知っている気がした。いや――ここにいる花々はスイートピーを含め、

 彼らが自分を撫でる優しい指先も、かけてくれる嬉しい言葉も、朧気ながら覚えていた。


 自分たちにとって楽園だったその場所。

 永久に続けばいいと切に願った、失われた夢。



閑話休題 スイートピーの夢



 たどり着いた駅は、建物の残骸はあるものの、無人だった。

 両手ほどのサイズの細長い赤紫の四角石が、床に敷き詰められ、積み上げられたりしている。それは壁となっていたり、階段になっていたり、建物になっていたりした。


 文明時代は綺麗に並べられていたであろうそれらは崩れ、バラバラになって植物に浸食されている。折れたり倒れたりした灰色の棒のようなものが、一定の間隔で置いてあった。


 そんな赤紫の石の空間をぐるりと囲うように、森がある。それ以外に特出するものはない駅だった。


 花人も人間もいないそこは、文明時代はどのような所だったのだろうか。人で賑わっていたのだろか。スイもレイも、そんな取り留めのないことを考えていた。


「不思議な雰囲気の場所ですね。こんなにたくさんの同じ形の石、どうやって集めたんでしょう?」

「人工的に作ったものだったんだろう。今まで見てきた岩の建物も人工的に作った物。大きなものが作れるんだったら、小さなものを作るのは造作もないことだったんじゃないか?」

「なるほど」


 かけて崩れた石を手に取って首をひねるスイに、レイは淡々と答える。

 拾った岩はずっしりと重く、苔むしている。今は劣化して色褪せているのだとしたら、かの時代はどのように綺麗な石だったのだろうか。その時代はもう戻ることはないけれど、想像することは許されるはずだ。


「それより、水はありそうか?」


 レイの言葉で、里がないこの駅に留まっている理由を思い出す。飲み水を確保するために移動していたのだった。

 すっかり忘れていたことに少しだけ焦って、スイは周囲の植物たちに尋ねる。答えはすぐに出て、スイはこの広場の奥にある、骨組みだけが残されている建物を指さした。


 二人で近づいてみると、錆びた鉄の骨組みが壁や天井を作っている不思議な建物だった。足元から肩にかけては先程の紫の石でできており、それより上は骨組みが伸びている。蔦植物が無造作に絡まった骨組みの所々に、透明な板が破損した状態で所々残っていた。これはレイも知っている。ガラスと呼ばれるもの。今の時代は限られた里でしか生成できない高級品だ。文明時代は窓だけでなく、この骨組み全体にガラスがはめ込まれていたのだろうか。なんとも贅沢な話だ。


 入り口らしき場所を探しつつ、スイの視線はキラキラしたものに一度奪われた。それはスイの両手で持てる大きさのガラス板だった。淡く青い色をしたそれは、太陽に透かして見ると光も青くなった。

 スイの白々な顔も、髪も青く染まる。ガラス越しで周囲を見渡しても青かった。


「レイ、このガラス、色がついています」

「へぇ……そんなのもあるんだな。高いものと交換できそうだ」

「そんなことばっかりですね、レイは。こんなに綺麗なのに、もったいない気がします」


 旅をしていると道中で価値のあるものを拾うことがある。文明時代の貴重な品は、里によっては物々交換できることはスイもわかっている。しかし、もう少しこの感動を分かち合いたいという気持ちはあったので面白くはない。


 入り口にあたる場所はすぐに見つかった。紫の岩が積み上げられたトンネルのような個所から中に入る。外と同じように歩く度、ガラスの破片が小さな音を立てた。

 中は様々な草木が生い茂っている。道らしきものが伸びており、成長しきった草木がその幅を狭め、花も所々に咲いていた。


「結構広いな。しかし、何のための施設だ?」

「一つの場所に色々な植物がそろっているのは珍しいですね……」


 レイは周囲を見回し、道沿いに何やら立札を見つける。駅にもよく置いてあるが、だいたい文字がかすれて見えないものばかりだ。ここも長年放置されているせいか文字は読めない。

 しかし、うっすら見える絵のおかげで、すぐ目の前にある植物のことを指しているのが分かる。


 疑問を持ちながら奥に進めば、まあるい天井のある部屋に辿り着いた。骨組みだけの半球の形をした部屋だ。他の部屋と同じく草木が壁や骨組みを浸食して、元の部屋の構造が分かりにくい。


 その奥に池があるのが見えた。近づいてみると、外の小川と繋がっているのがわかる。

 循環している水ならば、飲み水としては問題ない。レイはさっそく荷物を下ろして、水を汲み始めた。


「湧き水じゃないのが残念だが、ないよりはマシだな」


 水は旅の生命線。地域によっては手に入りにくくなることもある。蓄えられるときにできるだけ備えておきたいものの一つだ。だからこうしてレールから外れ、水を探しに行くことも多い。


(次の里まで、あとどのくらいでしょうか……)


 スイは先程拾ったガラス板を、もう一度空にかざす。

 どうしてだろう。ガラス越しに見る景色は、直に見るものより綺麗に見えてしまう。いや、一瞬だけまるで違う景色に見えてしまった。

 たくさんの花々が咲き誇る、いつかの夢で見たとても懐かしい景色が見えたような気がした。


「……スイ?」


 ただ、部屋の形が似通っているだけの違う場所とは分かっているのに、どうしてだろうか。

 見えてしまう。色とりどりの花が、ガラス越しに煌いていた日差しが、小鳥の囀りも水の流れる音も――幸せそうに笑うあの二人も。


 レイが異変に気付いて歩み寄れば、スイはかざしていたガラス板を下ろした。

 金色の瞳はどうしてか、涙で濡れていた。


「泣いているのか?」

「……突然懐かしくなってしまって。全然知らない場所なのに、不思議ですね」


 いつか夢で見たことがある場所に見えてしまった、なんて彼には言えない。

 しかし彼は他者の嘘に敏感なのはスイもよくよく理解しているので、きっと見透かされている。それでもレイは何も言わないのだ。「身体がなんともないなら、それでいい」というだけで、また水を詰めに戻ってしまった。


 それが心地いいような寂しいような、複雑な気持ちを抱えて涙を拭う。もう一度周囲を見回しても、やはりいつかの夢で見たあの部屋とは広さからして違う。


「さぁ、早いところ次の里に行こう」


 水を詰め終わって荷物を整理したレイはさっさと立ち上がって歩き出す。いつもなら多少なり物資を集めて行こうと言い出すのだけれど、今日はそれがない。気を遣われているのだろうか。


 すたすたと歩いていく彼を追いかけて……一度だけ振り返る。


 そこにはやはり何もなく、自分の夢が見せた錯覚だったのかと思うことにして踵を返してレイを追いかける。

 すると、背後から優しい風がスイの背中を押した気がした。

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