8.一つの恋の終わりと、旅立ち
事件から数日ほど。里の騒がしさはだいぶ落ち着いたように思う。日常が戻り始めた雰囲気に、花人たちほっとしていた。
花畑から離れて遊ぶ子供たち。炊事洗濯で忙しそうにしている女や、力仕事をしている男たち。
この光景だけ見れば、あの事件ですらなかったことのようだ。
「でも、本当に誰も大怪我をしなくてよかったです」
誰一人犠牲にならずに帰還できたことは奇跡といってもいい。
もちろん子供たちはこっぴどく大人たちに絞られ、マリアも両親に泣かれ、ルドーも立場を考えて行動しろと叱られた。
そんな数日前の光景を思い出したのか、スイの隣でマリーゴールドは「ふふっ」と笑う。
けれどその微笑みは、すぐに憂いのあるものへと変わった。
「……お互いの幸福を願うことにしたんだ」
ふと零された言葉の意味は、スイにも理解できた。内容は悲しいものではあったけれど、告げる声はどこかスッキリとした印象をスイは受ける。悲しいし苦しいけれど、なによりも安堵がマリーゴールドにはあったのかもしれない。
事件があった後日、人々に二人で長いこと話したそう。マリーゴールドの気持ちも、マリアの葛藤も。どうすることが一番いいのか、長く話し合った。
でた結論は、抱えた恋心に決着をつけるというものだ。時間は掛かってしまうだろうけれど、終わらせてしまったほうがいいのだと。
レイもこの場に居たのであれば「一番傷が少ない結論だ」と言うのだろう。
「ままならないものですね。マリーゴールドさんは何も悪くないのに」
「マリアも悪くないんだよ。ただ、僕と彼女の仕組みが違いすぎた。それでも幸せになれる場合もあったかもしれない……でも、マリアにはそれができなかったんだよ。ボクにもできなかった」
「スイにはよく分からないです」
「そのうち分かるようになるよ。もっと色々に里に行って、色々な花人に会うのであれば。――あるいは、ユグドラシルの元にたどり着けばきっと」
花人は、守るべきものが多すぎる。
今回のマリーゴールドの行動は本来褒められたものではない。一人を助けるために、里を危険にさらすところだったのだから。
自覚せざるを得なかった。自分の感情がどれほど自分本位であったのかを。里のためと言いながら、大半は自分のために行動していたことを。そして自覚した今、自分がどう動くべきなのかも。
花人が恋をすることを好まれないのは、その人物しか見なくなる可能性も孕んでいる。それを認識している人間は、いったいどのくらいいるのだろうか。
「――でもさ、ボクは幸せだと思うよ」
「どうしてですか?」
「好きになった子をずっと見守っていけるから。きっと彼女は別の誰かと幸せになって、老いて死んでしまう。でも彼女の生きた証がその先にあって、それを年の半分は見守っていられるんだから……幸福だよ」
「なるほど、そういう考え方もあるんですね」
それはきっと、悩んだ末の結論だったのだろう。本当にマリーゴールドがそう思っているのかどうかスイには分からない。けれど本当の気持ちになるように、傷を癒していくんだろうか。
「……マリーゴールドさんの考え方、スイは素敵だと思います」
彼自身の幸せがどうなるか、それはもっと後になってからハッキリするのだろう。それまでこの里に留まることはできないため、スイには祈ることしかできない。
*
「なんで二人ともオレにわざわざ報告しに来るんだよ……」
盛大に吐かれたルドーのため息と心からの愚痴は、岩の部屋の中で反響した。
出立の準備を進めていたレイは、干し肉の保存状態を確認しながら彼の愚痴を聞いている。
「いいことだろ。これで晴れて彼女は自由になって、君も気兼ねなく花人と話せるようになる」
「複雑すぎるだろ!? 迂闊にマリアに告白できねえよ、というか気まずい!」
マリアはルドーの気持ちに気付いていた。兼ねてから花人に入れ込む彼女を諫めていたのもあって、きちんと報告したのだろう。
マリーゴールドまでルドーに説明しに行ったということは、マリーゴールドも気づいていたのか。そして彼女のことを任せるつもりだったのかもしれない。
「気まずいとしても、約束は果たしてくれ。君だけなんだ、この里の在り方を変えられるのは」
「……」
レイがルドーに要求したのは「対等な友人として花人に接してほしい」という願いだった。
戦いの後に、マリーゴールドがどれほど裏で耐え忍んだのか、そしてそうせざるを得なかった理由は口外無用という約束で話してある。
マリーゴールドの苦労話を語って混乱を招くより、今後どうするかを円滑に考えられるようにとの配慮。黙っているほうが良い事も、世の中にはたくさんあるのだから。
今後マリーゴールドが穏やかに生きるためには、人に嫌われるという恐れをなくしていくことが何よりも重要だ。ひいてはそれが里を守ることにも繋がる……とレイは考えている。
しかしそれを実現するには前例というものが必要だ。今まで敬い、無垢な子供以外で一線を置いていたのだから、いきなり友人のようにと言われても戸惑ってしまうだろう。
マリアではだめだ。次期里長のルドーが率先すればこそ、変わっていくきっかけにはなる。その目論見が叶うかどうかは、すべて彼やこの里の次世代を担う人々次第になってしまうけれど。
これからは都合のいい花ではなく、正しい意味で助け合い支えあう共存関係として進んでいければいい。
「……お前さ、この里に住む気はないのかよ」
「ない」
「即答かよ」
それは、里を変えたいのならお前もここに居ればいいという意味だったのだろう。
もちろん、レイにそのような予定も意志もない。素直にそう告げれば、ルドーは残念そうな顔をした。
「なら、またこいよ。戻る場所がないなら、できるだろ?」
「そうだな……それなら考えておくよ」
この里にまた訪れることがあるかと聞かれれば、その可能性は限りなく低いだろう。
旅の導はレールのみ。後戻りはしない旅だ。それでも否定をしなかったのは社交辞令に他ならない……いや、多少はルドーへの気遣いもあった。
ルドーは気にしていたのか。最初の狩の日に問いかけた不躾な言葉を。そしてその返答のことを。
帰る家があること、居場所があること。いずれ旅をやめたときに帰る場所を気遣っているのかもしれない。それか、永住する土地を探しているのだと思われているのかもしれない。
帰る場所がないことはなんとも思っていないけれど、人々のこういう優しさを感じると、少しだけ心はあたたかくなった。
*
里を出てレールを辿り、道中の小さな森を抜けると、草原が二人の視界に広がっていた。
朝日が少し高くなった時刻だが、空は快晴のためいつもより色が鮮やかだ。
薄く雲が広がる青空の下、青々とした緑が広がって、穏やかな風が草の香りと共にレイの頬を撫でる。さわさわと風に揺れる草原を割るように、レールは伸びていた。
レールの先には大きな森と山脈が。さらにその向こうには、細く天に伸びる樹が見える。
ユグドラシルは今日も変わらず世界を見下ろしていた。
振り返っても、里はもう見えない。
森の上で、黄色いものがひらひらと風に舞い上がって空に昇って行ったような気がする。
「……もう里も遠いですね」
名残惜しそうに呟くスイの声まだ声は眠そうで、一度あくびを噛み殺すような仕草をした。朝日が出てすぐに出立したからか、まだ寝足りなかったようだ。
「マリーゴールドさんたち、大丈夫でしょうか?」
「彼ら次第だろう。どう転ぶかまで面倒は見切れない……が、前に進もうとしているなら大丈夫だろ」
レイの返答も声音も、相変わらず淡々としていた。けれど、大丈夫という言葉が一つあるだけでスイは安心できる。
何だかんだと言いつつも、レイも多少なりとも気にはしてくれるのだろう。もしあの里が花人にとって「もう駄目だ」とレイが判断したのであれば、彼はまず花と人を引き離そうとしただろうから。
「……レイ」
「何?」
「花と人が恋をするのは、間違っていると思いますか?」
「一概に言えるものじゃない。当人たちとその周囲がどう思うかだろう。極論だが……当人たちが想いあっていても、周りに迷惑をかけてしまうのであればするべきじゃあない」
「断定するのはレイの経験からですか?」
「さあ――ただ、恋をすることそのものを否定はしない。花人に心があるのなら、そういう感情もまた自然なんだろ。自然に備わっているということは『必要』だということ。自然界にしろ、生き物の構造にしろ、必要だからあるものだと俺は考えるよ」
「マリーゴールドさんもですか?」
「少なくとも、心の成長のきっかけにはなったんじゃないか?」
人に感情がある必要性を考えた時、それは生き抜くために必要だったと、レイは考える。人という生物は強くなく、集団で行動し生き延びているにすぎない。
感情があるのは分かりあうため。互いの成長を促すため。そのための一つの手段として恋があるのなら、人に寄り添って生きる花人にそれが備わっていても、なんら不思議なことではない。
思いやりで寄り添うのも、共通の敵を作って憎しみで団結するのも、感情に基づいての行動という点では同じだ。けれど、感情を制御しきれなければ、いとも簡単にバラバラになってしまう。
もし感情が必要なく、人間がただただ合理的に生きるものであるのなら……文明時代は崩壊しなかった。
「スイも成長できるでしょうか」
「それも、君次第だ」
返答を聞いて満足したのか再び前を向いて、スイは歩き出した。その後ろにレイも続く。
はるか遠くに望むユグドラシル。
レールが導の道のりで、これからも数多の人や花に出会うのだろう。
そうして天樹の下に辿り着いたとき、レイとスイは何を見て、何を感じるのか。
それはまだ、誰にもわからない。
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