マリーゴールド

1.呼びかけと開花

 この里に生まれてよかったと、ボクは嘘偽りなく答えられる。

 温暖な気候に、綺麗な自然、動植物もおとなしいものが多く、土壌も豊かで作物にも水にも困らない。

 そして、優しい里人たち。

 不便も不満も不安もない日々だ。彼らは自分を頼り、愛し愛され、共に歩むことを良しとしてくれた。

 ユグドラシルから産まれ、目覚めてからこれといった苦しみもなかったように思う。

 百年ほどの時が経ち、人の誕生から老いて死ぬまでの一連の流れを見た。

 死は悲しいことだ。一緒に過ごした記憶が消えていくことは、とても寂しいことだと。

 そしてボクを見て人々は言う。


「花人様がうらやましい」


 聞いてみると、人として当たり前の気持ちだという。

 一年のうち限られた時間しか活動できないけれど、根や種さえ枯死しなければ花は終わりを迎えることはない。

 たしかに、死んで何もかもを喪うよりはいいかもしれない。そう考えれば羨むことにも納得ができた。

 なら、恵まれている分できることをして彼らに寄り添おうと誓った。彼らとボクの中にある変えられない種族的な差というものを払拭したかったのかもしれない。


 違いを自覚してまた数百年経ち、ボクは初めて恋慕という感情を知る。

 幸せだった。

 彼女に愛称で呼ばれることが、愛してくれることが。

 その愛情は「花は人間と違う」という、心にある不安や恐怖を取り払ってくれた。

 自分も同じ「人」なのだと、信じさせてくれた。


 けれどそれは、単なる自惚れにすぎなかったんだ。



1.呼びかけと開花



 山の麓まで降りると、樹々同士の間隔はだんだんと広がり、青空も見えるようになってくる。

 レールの近くの草木に花が咲いていた。それは花人がいる里に近付いているということを示している。


「マリーゴールドか」


 やわらかな春風に揺られている花を発見して、レイは目を細めた。

 波打つ花弁を鮮やかな黄色やオレンジに染めたそれは、この先の道にもぽつりぽつりと咲いているようだ。おそらく森の中にもひっそりとあったのだろう。


「次の里には、マリーゴールドの花人さんがいるのですね」


 控えめに咲く一輪の花の前でしゃがみこんだスイが嬉しそうにしている。レイもそれをみて微笑ましそうに口元を緩めた。


「たくさんお話しできるといいですね」

「そうだな……数日は滞在してもいいかもしれない。最後に立ち寄った里の名産品もあるし、邪険にはされないだろ」

「! はい、ありがとうございます、レイ」


 再び歩き出しながら、期待に満ちた目を向けられたレイは答えた。

 暗に時間を取ると告げられて、スイの無表情が少しだけ柔らかいものになっている。やはり同族に会えることは嬉しいのか、頭巾の下から覗く金色の瞳はいつもよりイキイキしていた。


 森が開け、ぽつぽつとレールの周囲に花が増えていく。平原の合間に覗く花は、草とともに風に揺られて波を作った。

 所々に昔は建物だった瓦礫の山が点在している。


 ふと、二人は森近くの瓦礫の隙間に、なにやら動くものを見た。目を凝らしてみると、かなり大きなものだとわかる。獣か。建物の残骸のせいで全容はつかめない。

 互いが互いの存在を認識した瞬間、ピリッと空気が張りつめた。旅をしている中で、この類の気配は覚えてしまえるほどに出会っている。

 すぐに身構えて武器を取ろうとするが、ソレは何をするでもなくゆったりと遠ざかっていった。

 完全に気配が消えると同時に、ふっと肩の力を抜く。


「――今の、大きかったですね」

「突然変異種で間違いないか」


 それは、数百年前に各地で出没した人類の天敵である生物の総称だ。

 文明時代から存在していた生物が、なんらかの形で遺伝子的な変異を起こしたとされている。動物や、虫、魚に鳥が巨大化して人を襲うようになったものと考えれば相違ない。

 突然変異種は人間や普通の動物を襲うが、花人を襲うことは稀だ。花人のいる土地には滅多なことがない限りは近づかず、干渉しないように遠ざかる。

 人はそれを花加護はなかごと呼び、人が安心して暮らす要となっている。

 花人もまた、自らが眠っていて動けないときは人に守ってもらわなければならない。だからこそ、人と花は共存するのだ。

 花が咲いているということは、この場所はもうすでに花人の加護がある土地の中だ。小さい突然変異種ならともかく、大きな種は土地の中には容易に踏み込めないはずだが……。


「どうしてこんなところに」

「花人に、何か異常があるのかもな」


 あるとすれば、花人の身に異常があるときだけ。嫌な予感を感じながら、二人は足早にレールを進む。

 もうしばらく歩みを進めると、レールの両脇にも岩でできた柵が見えるようになった。ほとんどが崩れて風化しているか、植物が絡みついて彩られている。崩れた柵は近くに駅があるという目安の一つだ。

 見える範囲に山の中腹で見た駅が視認できた。駅の横には、木製の高い柵がレイたちの視界から里を隠している。山の駅で見たように里全体を囲っているのだろう。苔むした灰色の建物が柵からはみ出しているのが確認できた。


 駅に辿り着くと、岩に上る。この駅は山の物より細長く、鉄の骨組みには辛うじて屋根のようなものが半分ほど残っていた。線路の反対側には下る段差があり、一メートルほどの大きさの、錆びた鉄の塊が二つほど置いてある。機械と呼ばれる文明時代の遺物だ。

 機械の合間を通り過ぎると、数歩先に里へ入る門があった。そこには当然のように、見張り番であろう男が立っている。

 彼は二人に気付くと、少し驚いたような顔をした。


「こんにちは。この里の方だろうか?」


 レイは警戒させぬよう、にこやかに笑顔を作って声をかける。


「やぁ、こんにちは。そうだが……君たちは、商人じゃないよね。今日はその日じゃないし」

「旅の者だ。里への立ち入りの許可を願いたい。食料を補充したいのと、妹を休ませてあげたくて」


 問い掛けは、警戒しているというよりは疑問を抱いている様子だ。幼い見目のスイを見てのことなのだろう。妹といって顏を隠したスイを示せば、彼は目を瞬かせた。


「旅人なのか。子供をつれてずいぶんと無茶をする。大丈夫だったかい?」

「はい、運よく獣に遭遇せずにたどり着けました」


 スイが答えれば、男は少しだけ表情を柔らかくした。


「そうかいそうかい。小さいのによく頑張ったね……たぶん問題ないかと思うが、君たちが入っていいのかどうか許可をもらってこよう。たしか近くにルドーがいたはずだからね」


 この男には子供でもいるのか。スイに向けた声はとても優しい。

 門番は背後の扉に手をかけようとして、けれどそれはひとりでに開いた。


「全部聞こえてたぞ」


 開いた門から顔を出したのは、レイより幾分か年上の若い男だ。高めの身長にがっしりとした体形に焼けた肌と声から、気さくな兄貴分という印象を抱いた。


「お、盗み聞きかい?」

「ちげぇって。門番交代してやろうって思ってたんだ」

「ははっ、ありがたいが、それよりもこの子たちを里に入れる許可が欲しい」

「大丈夫だろ。親父も目くじら立てることはないだろうさ」


 会話の流れから、彼が里の中でも権力が強い立場だということが分かる。しかし、門番が掛ける言葉は軽いものだ。この里の人間の傾向なのかもしれない。

 ルドーは「来いよ」と二人を呼ぶ。言葉に甘えて門をくぐれば、ひらひらと黄色い花弁が風に遊ばれて通り過ぎて行った。


「ようこそ、オレたちの里へ。つっても、これと言って面白いものはないけどな」


 彼の背後に広がるのは、黄色く彩られた景色だ。

 真っ先に目に入ったのは、細長い建物たち。高さや細かな形状がバラバラの建物が半円を描いているかのように配置されている。囲んでいるのは広場で、中心にある花畑の中にはとても巨大な花があった。

 成人より一回りほど大きい緑の蕾が風に揺れている。レイもスイも、こういった光景はよく知っていた。


「っと、自己紹介がまだだったな。改めてになるがオレはルドーってんだ……立場はここの里長の息子。困ったことがあれば、遠慮なくいってくれ」


 ニカッと屈託なく笑うさまは、本当に自分たちを歓迎しているのだろうということが伝わってくる。


「ありがとう。俺はレイで、こっちは妹のスイ。分かっていると思うけど、旅人だ」

「よろしくお願いします」


 軽く自己紹介を済ませて、彼はさくっと里の中の説明をする。

 広場と、広場を抜けた先には野菜畑と鶏小屋、水場などの共用施設があるという。人の行き来はされなりにあるようで、あちらこちら家事で動き回る女性たちがおり、広場付近では子供たちが走り回っていた。それなりに人口がいる里のように見受けられる。


「あの、花畑には入っても大丈夫ですか?」


 広場をぐるりと一周し、ルドーから軽い説明を受けた後でスイはおずおずと口を開く。

 同族が眠る花畑だ。気になって仕方がないのだろう。話している間もずっとそわそわとしていた。


「アレか? んー、ちょっと待ってろ」


 ルドーはきょろきょろとあたりを見回して、動きを止める。彼の視線の先にいたのは一人の女性だ。


「お、マリア! 丁度良かった!」


 マリアと呼ばれた女性は、彼の呼びかけに気付くと足早にやってくる。水を汲んで来たのか、取っ手のついた重そうな桶を持っていた。レイたちの姿を見て、マリアは首を傾げる。


「……あら、その人たちは?」

「旅人でオレの客人」

「そうなのね。いらっしゃい、旅の子たち」   


 ふわりと、彼女は朗らかに二人に笑いかける。


「彼女はマリアだ。この里の花守はなもりをしてるから、花人周りのことは彼女に聞いてくれ」


 花守は各里に存在する花人の世話係の総称だ。花人や、その眷属である花畑を管理することを仕事としている。大体の里にいる、必要な役割だ。


「それでさ、こっちの嬢ちゃんが花畑に入りたいんだと」

「すまない。この子、花がとても好きなんだ。あと、眠っているとはいえ、花人様にはちゃんと挨拶したほうがいいと思ってて」

「あら、そういうことなら大丈夫よ、花人様も喜んでくれるわ」


 単刀直入に要件を伝えるルドーに、捕捉するようにレイが言葉を添えると、マリアは快く承諾した

 里によっては、花守以外に花に触れることは許されない里もある。が、この里はやはり気さくな人間が多いのだろうか。あっさり許可が下りれば、スイは一言礼を述べた後に花畑に向かってしまう。


 花畑はそよ風に揺られてさわさわと波打った。

 一年草と呼ばれる種類の花を元とした花人には、例外なく花畑がある。周囲を彩る眷属の花と、中心にある本体と呼ばれる巨大な花で構成され、本体の花が咲くときに花人は産み落とされるのだ。

 マリーゴールドの花畑も同様で、すでに本体の緑色の蕾は大きく膨らんでいた。

 スイは花を踏まぬようにして、花畑の中に入って行く。ふわりふわりと、花々に集まっていた蝶が舞った。

 蕾の元までたどり着くと、スイは華奢な手を蕾に伸ばしてそっと触れる。


「こんにちは、マリーゴールドさん。どうしたのですか? 


 小さな声で、スイは語り掛けた。すると、ざわっと風が吹くよりも強く花々が揺れた。スイの言葉に応えるように、緑の蕾が綻んで、裂け目から黄色い花弁がのぞく。広場にいた人間たちがざわめいた。

 誰かが「開花だ!」と歓喜の声を上げ、周囲があわただしくなる。花守であるマリアも焦った様子で駆けよってきた。その間にも蕾は開いて花びらを広げ続ける。広がり切った花の中心には、オレンジ色の髪をもったヒトが座っていた。

 年のころは二十代前半といったところだろうか。花人は息をのむ里人たちの視線にも動じず、ゆるゆると瞼を持ち上げる。覗くのは金色の双眸。体を伸ばして瞳を何度か瞬かせた後、目の前にいる者たちを認識した。


「おはようございます、マリーゴールドさん」


 スイはさも当然のように花人に声をかけ、花人もまたスイを見て微笑んだ。


「やぁ、おはよう。それと、ようこそ。僕らの里へ」


 慈愛と親愛に満ちた声が、この場にいた者たちの鼓膜を震わせ、静寂を満たした。

 人々からは歓喜と安堵の声が上がり、今年もつつがなく花人が咲いた喜びが空気を塗り替える。

 歓声の中で、花人はマリアに視線を向けた。じっと彼女の顔を確認するように見つめたあとに笑う。微笑みではなく、喜びを籠めた笑顔だった。


「おはよう、そして初めましてと久しぶり」


 彼女の笑顔が一瞬だけ凍り付いた。いつの間にか背後にきていたルドーの舌打ちもレイの耳にも届く。


「――っ。はい、おはようございます」


 そう返す声は、とても苦しそうなものだった。

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