2.ユグドラシルの遣い
五〇〇年ほど前の話。
科学で発展してきた人類の文明は一度、滅びの時を迎えた。
まず空より飛来した物体が地面に激突し、光が大地を駆け巡ったという。
その光は大地を震わせ、建物を壊し、人を焼き焦がし、逃れた土地にも病原体をまき散らした。地上の世界は汚染され、生き残った人類は各地の地下に逃げることで生存を図り、生きながらえることに成功する。
そうして地上が再び人々の住める環境になるまでに費やしたのは、およそ三〇〇年。
生き残った人類が再び日の目を見た時、世界は大きく変わっていた。
最初に目についたのは、天を衝くほどの巨樹・ユグドラシル。
次に発見されたのは人と同じような体を持ちながら、人とは違う美しい生物、花人。
最後に人間と花人の天敵となる、突然変異種。
かつて地球と呼ばれたこの星を支配するのは、人類ではなくなっていたのだ。
2.ユグドラシルの遣い
灰色の細長い建物は文明時代にビルと呼ばれていたものだ。
今ではほとんどのものが崩れ去っているが、こうして大まかな形を残しているものは、里人が整備して住処として利用している。
窓は葉で編んだカーテンでふさがれているだけだが、この季節は風も気にならない。
用意してもらった清潔なシーツからは、日向のにおいがした。
これだけでもずいぶん手厚い歓迎だ。
「ここはいい人たちばかりですね」
「そうだな。よくしてもらいすぎたとも思うけど……」
花が開花して、長閑な里は一転してお祭り騒ぎとなる。
スイが触れたとたんに花人が目覚めたこともあり、何かの縁だと二人は盛大にもてなしを受けた。
里長直々の誘いで宴に参加し、ご馳走や酒をふるまわれ、夜になればこうして寝床まで提供される。本来ならば別の里の名産品や、旅の途中で拾った貴重品を対価に宿を借りるのが常ではあったので、レイにとっては些か座りが悪く感じてしまう。
「ところで、さっきは蕾になにをしたんだ?」
「花人にですか? ただ呼びかけただけですよ。そうしたら起きました。元々開花の時期だったので」
「てっきり、君が特別なことをしたのかと思った」
花人の生活は、人より花のほうが近い。
元となった花の開花時期に合わせて花人は活動できる。レイの記憶ではマリーゴールドの開花は春と夏の間から、秋頃まで。
今は晩春なので丁度いい頃合いだったのだろうが、あまりにタイミングが良すぎた。
だから問いかけたけれど、
「スイにそのような力はありませんよ。マリーゴールドさんは、少し寝すぎていたのが気になったので声をかけたんです」
「それは、何かしたうちに入ると思うが」
この花の意識としては何かしたつもりはないのだろう。眠っている者に声を掛けたら起きることは普通のことだ。
しかし起きてしまったものは仕方がない。花人も普通に起きたという様子だったので気にすることをやめた。
ただ、寝すぎていたというのはどういうことか。問おうとしたが、うつらうつらとベッドの上で頭を揺らし始める姿を見て、質問を止める。先に寝かせるべきだろう。
「……眠いなら寝ておいてくれ。最近は夜も活動していただろ」
「はい」
促せば、今眠気を自覚したようにあくびをした。
花人の大半は、夜の活動が苦手なのだ。旅をしている中で張りつめていた緊張がなくなったこともあり、スイは挨拶もそこそこにベッドに倒れこんですうすうと寝息を立て始める。
「おやすみ、スイ」
寝入ってしまった相棒に、レイはそっと毛布をかけた。
そして彼も力を抜くように息を吐いた。
(しかし、なにも変わったことがないな……)
ここに来る前の、大きな獣のことを思い出す。あの瓦礫があった場所は里からそう遠くはない。
だが、里の様子を見るかぎり、誰も突然変異種に警戒しているようなそぶりはなかったのだ。宴でふるまわれていた料理には、狩りで捕ったであろう鹿肉も並んでいたのだから、まるっきり柵の外に出ない生活ではないだろうに。
(花も普通に咲いていたしな……)
否、花が自分の不調を隠している可能性は否定できない。
(スイは、たぶん何かに気付いたと思うが……)
葉っぱのカーテンを上げて、窓の外を眺める。三階の部屋なので、広場がよく見える。月明かりに照らされた花畑は、昼間の長閑さと違って厳かな雰囲気だ。遠くではまだ宴が続いているのか、時々広場の向こうから笑い声が聞こえてくる。
花畑にある本体の花では、マリーゴールドの花人が寝ているようだ。宴は続いているとはいえ、子供と花人が寝る時間は変わらない。
しばし眺めていると、その傍らに人影が一つ、花畑に近寄った。見つけて目を凝らすと、花守であるマリアだと分かる。
この時間も花の世話をしているのか。はたまた様子を見に来たのか。どちらにせよ仕事熱心なことだ。
ふと、彼女が昼間の辛そうな表情を思い出す。花が咲いた喜びよりも、悲しみが勝ったような顔。詳細まで察することはできないが、彼女の心の中に葛藤のようなものがあるのか。知ったところでレイはどうこうする気はないけれど。
様子を見ていると、彼女の元に見覚えのある男が近づく。ルドーだ。
恋人の逢瀬だろうかと考えたが、誰かに見られる可能性の高い広場……その上眠る花人の前でする必要はない。花人の様子を見に来た彼女に、ルドーが話しかけに言ったのだろう。
あまり覗き見てしまうのも趣味が悪いと思ったが、二人の動作と手ぶりからするに揉めていることが分かってしまう。
業を煮やしたルドーが彼女の手首を掴んだが、マリアが彼の腕を振り払って走り去っていく。彼もそれを追いかけて、広場から人間はいなくなった。
花人は相変わらず眠るだけで、目の前のやりとりに気づいてはいないようだ。いくら夜に弱い花人といえ、あそこまで騒がれたのなら起きてもよさそうなものだけれど。
「……大変そうだな」
他人事のように呟いて、カーテンを下ろす。
そしてレイはスイが寝ていないほうのベッドに向かい、そのまま寝転がって目を閉じる。
旅で疲れていたせいか、何も考えることなく意識は沈んでいった。
***
広場の花畑では、花人が子供たちと戯れていた。
花弁のようにふわふわとした髪は、優しい日差しに照らされて煌く太陽のよう。子供たちに微笑む様子は神々しくも優しい。性別が判別できない中性的な美貌も、神秘的な魅力を引き立てている。
レイとスイがそんな花人の元に近付くと、子供たちが「旅人さんだ!」と色めき立つ。子供たちがこぞってスイを取り囲んだ。自分たちと同じ年頃の子供が旅をしているとなれば気にはなるのだろう。
「ねえねえ、遊ぼう!」
「旅のお話をして!」
取り囲まれて質問攻めにされてスイは驚いたのか、するっと子供たちの輪を抜けてレイの背後に隠れた。
「ごめんな、この子はちょっと恥ずかしがり屋さんだから」
そんなフォローを入れても、子供たちの好奇心と無邪気さは抑えられない。見かねた花人は、くすくす笑って子供たちを
旅をしていることもあり、相手にするのは大人たちばかり。こうして子供たちに駆け寄られると扱いが分からないのだ。
「こらこら、旅人さんが困っているよ。ね、旅人さんたちとお話があるから、向こうで遊んでいてもらっていいかな?」
「えー……あとで遊んでくれる?」
「もちろん。皆はいい子だから、ちゃんと待てるよね」
子供たちは「はーい」と元気な声で返事をすれば、一目散に花畑から離れていった。それを三人は微笑ましく見届けてから、改めて互いに向き直る。
「ありがとう。子供たちの相手は慣れないから、助かった」
「役に立てたならなにより。――改めて、キミたちが来るのを、待っていたよ」
「やっぱり、わかっていたのですね」
「植物たちの噂話は、風よりよっぽど早いものだよ。……ユグドラシルから教えられていたのもあるしね」
花人を生み出し、今の世界を支えていると囁かれる巨樹。今では眠っていることの多いユグドラシルは、時々目覚めては各地にいる花人に声を届けることがあるという。そのおかげか、レイとスイはこうしてつつがなく里を巡る旅をすることができるのだ。
「改めてようこそ。
「はい、よろしくお願いいたします」
「よろしく。と言っても俺のことは添え物ぐらいに思っておいてくれ」
マリーゴールドは穏やかに二人を歓迎する口上を述べ、二人もそれに応じるように言葉を返す。
遣い。それは花たちに声を届けられても、逆に花の聞くことができない天樹の代わりに、世界を巡って花たちの様子を見て回る特別な花人のこと。スイはありのまま、花人たちの今をユグドラシルへと届ける天命を授かっている。
スイは、その天命を誇りに思っていて、だからこそ役目には意欲を見せる。
「あ、マリーさんとお呼びしてよろしいでしょうか?」
その提案は、スイなりの距離を縮める手段の一つだ。けれどマリーゴールドの反応は、二人が思っていたのとは違った。
肩をわずかに跳ねさせて、驚いたように目を瞬かせたのだ。それを見て、スイはわずかに眉を下げた。
「……」
「不都合ですか?」
「ううん。少しだけその呼び名が、懐かしかっただけ……そう呼んでくれるのは構わないよ」
マリーゴールドの頭をとっただけの、ありきたりでひねりのない呼び方だ。けれど花人は懐かしいと切なそうな顔をする。寂しさも混ざっているように思えた。この里ではみな花のことを「花人様」と呼ぶ。それは花守であるマリアも例外ではなかった。愛称で呼ぶこと自体、この里の人にとってはありえないことなのかもしれない。
レイがそう考えを巡らせていると「花人様―!」とマリーに呼びかける声が聞こえる。見ると、マリアが二人の元に走り寄ってくるところだった。マリアはスイとレイの姿を見つけると「やってしまった」と言いたげに両手で口元を隠してしまう。
「邪魔をしてしまったでしょうか……?」
「いいえ、大丈夫ですよ。マリーさんに何か御用ですか?」
「え……」
朗らかに答えて、スイは大丈夫の意味も込めて話を振ってみたけれど、マリアは驚いたような顔をした後、すぐにくしゃりと顔を歪めてしまった。なにか不味いことを言ってしまっただろうか。ちらりとマリーの顔を伺えば、困ったような顔をする。
「大したことではありませんので、また後で伺いますね!」
マリアはそういいのこし、言い残して走り去ってしまった。
レイはその反応を見て「あー……」と零し、スイは首を傾げる。
「この呼び名、もしかしてとても失礼でした?」
「大したことじゃ……ううん。この言い方はよくないね。でも、スイが気にすることではないよ」
「そう言われてしまうと逆に気になります。また失礼をしてしまうかもですし」
「うーん……スイとレイならいいのかな、里の人じゃないし」
穏やかなマリーの笑みが、憂いを帯びたものになってしまった。
そしてぽつぽつと語り始める。結論を言えば「花人と花守が恋人同士だった」ということ。
だった。ということは、今は恋人ではないのか。
スイが聞いてみるとそういうことでもないらしい。恋人なのかそうでないのか、花人は「わからない」と答えた。とても困惑していて、長いこと悩んでいたのが声の重さと表情から読み取れた。
花と人の恋は珍しいことではない。人は美しい花に惹かれるもので、花も親身に世話をしてくれる人間に恋をすることもある。感情ある生物としてはおかしくない。里によっては大きなタブーとはなるけれども。
「マリアが正式に花守になったのは、七年くらい前だったかな。恋人になったのは本当に自然に……でも里の人たちには秘密だった。今思うと一部には気付かれていたとは思うけど。マリーは二人きりの時の愛称だよ……里の人たちはみんなボクを花人様って呼ぶからね」
「それはとても悪いことをした気分です……そういえば、マリアさんのお名前ともかぶりますね」
「マリアという名前は、この里では代々花守になる子たちにつけられるんだ」
なるほど、この里は花守が誰になるかはきちんと決められているのか。と心に留めつつ、口を挟まないままレイは話の続きを聞く。
最初は幸せだった。おかしくなったのは恋人になった年の開花時期が過ぎて、マリーゴールドが枯れて眠りについた後だという。翌年に開花してマリアに再会して様子がおかしくなった。
それは開花を重ねるごとに露骨になって、愛称で呼ばれることも、恋人のように幸せな時間も消えてしまったのだと。
マリーゴールドには彼女がどうして恋人として接することを拒んだのかが分からないのだと。
その話題に触れることも辛そうな彼女から、真意を問いただすことも躊躇われた。また傷つけると思ったから。やがて恋人として接することをマリーは控えるようになった。それは人間でいう自然消滅に近しいものだが、マリーとしては釈然としないのだろう。だから結果として曖昧な言葉がでてきてしまった。
「うーん……難しいですね」
「うん、難しい。でも、いっそマリアも人の子と結ばれたほうがいいとは思うから、このままでもいいんだけど」
「そういうわりには、寂しそうですね」
「まぁ、ね。好きだった記憶があるし」
花たちには分からない感覚なのだろうと、話を聞く中でレイはマリアの気持ちを考える。
今まで里を巡る中で、花と人の恋の話は珍しくはない。
寿命の違いや、一年の中でも限られた時間のみしか言葉を交わすことのできないもどかしさ、普通の夫婦のように子を成して家庭を作ることができないという、どうしようもない理由で上手くいかなかった恋の話。
もちろん、それを互いに受け入れて、人側が死ぬまで幸せに寄り添った恋もある。こればかりは相性だ。
ふと、マリーゴールドが目覚めた時のマリアの表情を思い出す。
――おはよう、そして初めましてと久しぶり。
そう言われて歪められた顏。
一年草の花人は開花が終わると、体が老人のように皺くちゃになり、色褪せ、枯れて消えてしまう。しかし、次の開花時期に新しい体となって活動する。
もちろん記憶もきちんと継承されている。自らがどんな性格で、今までどんなことがあったのか忘れることもない。花は本体さえ枯死しなければ、半永久的に今の人格のまま受け継がれるのだ。
一度死に、別の身体が記憶を引き継ぐ。
それははたして同一人物だと言えるのだろうか?
はじめましてとは、今の身体に出会うことがはじめてだから。けれど記憶としては久しぶり。
花人としては当たり前のことが故に、同一人物として動けるのかもしれない。だが、人はどうだろうか?
普段であれば気にしなかった花の特異性を、恋人になったからこそ気にしてしまったのかもしれない。
ただの「おやすみ」が「さようなら」と感じてしまうこともあるのだろう。
これはすべてレイの憶測にすぎないのだけれど。
物悲しい空気が満ちた。
しかし、それをかき消すかのように、痺れを切らした子供たちがマリーゴールドを呼びに来てしまう。
子供たちは一緒にいたスイも遊ぶのだと巻き込み、レイは気付かれぬ間にそっと距離を取る。子供の相手は子供に任せるに限るのだ。
「お、レイじゃねぇか!」
恨みがましいスイの視線を背中に受けながら花畑を出ると、ルドーが離れた場所から手を振っている。何事かと近づけば、彼は快活に笑ってレイの肩に腕を回す。
「ちょうどよかった、付き合ってくれないか?」
「わかったよ。そんな強くつかまなくても逃げやしないさ」
聞く姿勢は見せているが、同意するまでは離す気もないのだろう。がっしり掴まれた腕にそこはかとない圧を感じつつ、苦笑しながら同意した。
できれば触れないでほしいなど思うが、世話になっている里長の一族にそのような不遜なことを言っても、ろくなことにはならない。
「で、何に付き合うんだ?」
あきらめ半分で尋ねれば、ルドーは嬉しそうに背負った矢筒と弓を示す。
「狩りだ」
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