黄昏の世界に咲いた花【改稿版】

柊木紫織

一部 愛巡り、花巡る

0.人と花と、この世界

 青々と茂った木々が、自由に枝をのばしあっている山の中。細い鉄が二本、地を這い何処までも続いていく。

 平行に並ぶ鉄の合間には小石が敷き詰められており、等間隔で木の板の残骸らしきものが転がっている。鉄と朽ちた木材の下には、所々小石の隙間からのびた植物が顔を出していた。

 レールと呼ばれているその道を辿り、ひたすらに歩み続けている二つの人影がある。

 一つは大人と言い切るにはまだ若い、緑が混じる黒髪を持つ青年だ。茶色の外套マントを羽織って、革製の大きな荷物袋を背負っている。一目で旅をしているのだとわかる装いだ。

 もう一つは、青年の腰ぐらいの背丈しかない子供。蝶の形をした花びらを重ねたような衣服を着て、その上から頭巾フードがついた淡い色合いの外套を纏っていた。かぶっている頭巾から覗く幼い顔立ちには表情がなく、年相応の無邪気さは感じられない。しかし、身軽な足取りは、まるで遊び行くような楽しげな心境が伝わる。

 彼の数歩先を歩いていた子供は、ふと立ち止まって言葉を紡ぐ。


「レイ、花の気配がします」


 凛と、澄んだ声が清涼な森の空気を震わせた。

 名前を呼ばれた青年……レイが視線を上げると、子供は足音を立てずに走り出す。歩幅こそ狭いが、足はとても速い。

 それは蝶がふわりと飛び立つかのように、とんとんと坂道を駆けのぼっていく。のんびりしていたら、見失ってしまうだろう。

 レイはそんな子供に「仕方ないな」と言いたげにため息を吐き、荷物を背負いなおして追いかけた。


 走り始めてほどなく、木々の壁は不意にとぎれる。視界が広がって、緑ばかりだった光景に澄んだ青が広がった。木々が遮っていた太陽の光が、眩く二人を照らす。この先のレールは山壁に沿って続いていて、足場は二人が並んで歩くにはギリギリの幅しかない。山壁の反対は崖だ。崖側を見ると深い森は途切れ視界が広がり、遠くの景色まで見渡せた。

 少し進むと崖側に灰色の四角い岩がある。先に走っていった子供は、その岩の上にいた。

 錆びついた鉄の骨組みが岩の上を覆うように残っていて、もう何が書いてあったのか定かではない鉄製の板がぶらりと垂れ下り、風に揺られてギィギィと音を立てた。真ん中にはイスのようなものがある。それは板でつくられていたようだが、今は腐ってカビが生えている始末だ。綺麗であれば腰掛けるのにちょうど良かっただろう。

 こういった場所は、かつて駅と呼ばれていた。

 追いついて、スイと呼んだ子供がいる岩に上りながら、レイは異議を申し立てる。


「スイ、いつも言っているけど、俺は君ほど足が速くないんだ」

「あっ、ごめんなさい……花の気配がして、つい」


 崖の向こうを見つめていたスイは振り向いて、些か呼吸が荒くなっているレイを見てハッとし、子供らしからぬ言葉遣いで謝った。見失ったときにはちゃんと戻ってきてくれるとレイも理解しているので、それ以上強く言うことはしない。それよりも重要なことをスイは口にしていたのだ。


「花の気配ということは、里は近そうだな」


 山を下りた先の光景に視線を向けると、ちょうど山を下り、ふもとにある森を抜けた平原にレールが伸びている。平原の途中に駅とみられる岩の塊があり、それに隣接するように人里らしき場所を見つけた。柵に覆われた建物の密集地が人里だ。柵の中の建物は、周囲に転がっている崩れた建物の残骸とは違って、補修などがされて整えられている。今も人が住んでいるのは明白だ。

 レイは岩の縁に座る。イスが使えればいいのだが、座った瞬間に折れて腰を強打することは目に見えていた。


「スイ、少し休憩してから行こう」

「いいのですか? 早く次の里に行きたいと言っていたのに」

「あの距離なら夕方になる前に辿り着ける。山に入ってから休憩していないし、なにより水を飲まないとな。それに、君が枯れてしまったら俺は困る」


 水の入った鉄の筒……水筒と呼ばれていたものを袋から取り出しながら、四角い岩に座るようにスイを促す。少し渋ったようすを見せたが、喉は乾いていたようだ。スイはレイの隣に行儀よく腰掛けて水筒を受け取った。

 スイが水を飲むのを確認し、レイは別の水筒に口を付ける。朝に汲んだはずの湧き水は数時間たった今も冷たい。この水筒に入れておくだけで、しばらく液体の温度を保てるというのだから、先人たちの知恵が宿る道具は便利だ。

 ついでに昼食がてら干し肉を齧り、レイはここから見える景色を眺める。

 手前の人里からさらに向こうには、崩れた建物の残骸交じりの平原。建物や鉄の塊を呑み込む森。さらにレールが伸びていく先には、雄大な山々がそびえていた。

 そしてその更に向こう。空へと伸びる細長く見える樹のようなものを認識して、レイは目を細める。


「ユグドラシルは、まだまだ遠いな」


 天樹てんじゅ・ユグドラシルは、雲を突き抜けて伸びるほどの、巨大な樹だ。

 天気と立地条件さえ揃えば遠い土地にいても視認することができる。自分たち旅の指針にしている存在の遠さと大きさを、改めて認識した。


「遠すぎて、嫌になります?」

「いいや。ユグドラシルはあくまで終着点であって、旅の目的ではないからな。スイも色々な花人に会いたいなら、遠い方が色々な里を巡れる」


 びゅうと、強い風が吹いた。春先のあたたかさを孕んだ風が頬を撫でていく。その余波で、スイの頭巾がぱさりと後ろに流れた。

 白髪とは違う真っ白な髪は、毛先が紫にうつろって色づく、スイートピーの花の色合いだ。いったん風で閉じられていた瞼が開いた時に覗いたのは、長いまつ毛に縁どられた陽光のように柔らかい、金色の瞳。人のものとはかけ離れた色彩に、中性的な美しさを持ったこの存在は……人ではない。


 花人はなびと


 それはユグドラシルが生み出したといわれる、新たなる人。男とも女ともつかぬ中性的な美しい姿をもち、元となった花々を思わせる色彩や衣服を纏った神秘の存在だ。そして、栄華を極めた文明時代から取り残された人々が生き残っていくための、要石となる者たち。

 スイが飲み終えた水筒を受け取り自分の水筒とともに荷物袋にしまう。花は立ち上がって線路へと降りて行った。


「次は、どんな花人なんだろうな」

「会ってみないとわからないですけれど、仲良くなれると嬉しいです」

「そうだな。友好的なのが一番だ」


 歩き出す花の後を追って線路に戻れば、また強い風が吹く。

 ふわりと、遠くから運ばれてきたのは黄色い花びらだった。


――これは、滅びを迎えた世界で共存する……人と花の旅の記録。

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