15.支えあうために

 子供たちの笑い声が、静かな里に響いている。低く四角い建物に囲まれた広場で、子供たちが元気に走り回っていた。

 その中心にはスイがいた。身軽に逃げ回る花に、子供たちは楽し気な悲鳴を上げて捕まえようとはしゃぎまわる。スイは変わらず無表情のままではあるが、その動作は軽快で、どことなく楽しそうだ。


 そんな微笑ましい光景を岩に座って眺めていると、一人の少年が遠慮がちに近づいてきた。

 レイに向かって敬義正しく頭を下げた少年は、この里で最初に見た子供だ。年長者である彼……ジェンといったか。ここに来た時の名乗りを思い出しながら、座っていた場所をずらして場所を開ける。


 彼はレイの隣に腰かけて、しばし子供たちを眺めていた。ずっと子守をしていたのだろうジェンの横顔は、どこか疲れているようにも見えた。


「ありがとうございます。食べ物だけじゃなくて、薬や子供たちの面倒まで……」

「いいや。オレたちは頼まれただけだ。礼なら、隣の里の花人たちにすればいい」

「それでも届けてくれたことは変わらないので」


 この状況下でも他人に対する礼儀を忘れないのは立派なことなのだ。この状況ならば仕方のないことかもしれないが。


「ところで、サルスベリさんは何処へ?」

「……休んでる。今日は眠らせてあげるといい」


 あの話のあと、幾ばくか安心したのか花人はそのまま眠ってしまった。だいぶ神経を張っていたのだろう。今日はもう起きることはないとレイは見ている。

 そう告げれば、幼い顔がくしゃりと歪んだ。


「やっぱり、無理してたんですね。今年はずっと休眠していないので、そうかなとは思っていたんですけど……」

「子供たちの前ではずっと気を張っていたみたいだからな」


 子供たちからすれば親を失い、突然世界に放り出されたようなものだ。


 隣の里へ半日の距離。子供であれば倍の時間がかかる。

 道中には突然変異種の気配がなくとも、普通の獣は存在しているし、触れるだけで命に係わる危険な毒性植物や毒虫もいる。知識と経験がない子供では、隣の里に助けを呼べるわけもない。


 結局のところ、花人に頼るほかに子供たちは冬を越すことすら困難だった。だからこそ、サルスベリは眠らないという選択をとったのだ。自分の命を犠牲にする覚悟で、子供たちを生かすために。


「花守になるはずだったのに、何もできない自分が情けないです」


 花守の役目を全うできずに、ただ花が弱っていくとわかりながら頼るしかない状況。

 震えるジェンの声を聞きながら、花守になる前の自分の記憶を思い返す。


(……人は、どこまでも無力だよな)


 結局、花人がいなければ自分の命を守ることも、普通に暮らしていくことも難しい。

 故郷の里など、特にその事実が如実に表れていて、苦い記憶が蘇る。


(あの子より、サルスベリは恵まれているんだな)


 文明時代以前の花人がいない暮らしというものが、レイには想像もつかなかった。不思議で便利な機械の存在は知っていても、それより昔は今以上に世界には何もなかったと聞いている。

 今は文明の名残を引き継いで細々と、それでもなお花の力を借りている。だからこそ、花を守らねばならぬはずなのに。


「なら、できることを増やせばいい。何事もそこからだ」

「できること……」


 結局のところ、手の届く範囲で人が成長していくしかないのだ。

 大人がいなければ、子供たちは子供であることを捨てて、大人にならなければならない。


「花がしていることを思い返して、一つ一つできることを探していく。それだけで負担は減る」

「えっと……狩り、とか」

「そうだな。あとは山菜や薬草とり。この二つだけでもだいぶ変わるだろう」

「でも、サルスベリは子供だからさせられないって」


 子供たちだけでは狩りは難しい。武器の扱いはどうしても練習が必要になるし、狩った獲物をどう処理するかも、知識がなければムダに死体を増やすだけだ。だが、小さな生き物なら罠を作ることはできる。ウサギや鳥ならば捌くのはそう難しいものではない。


 薬草も山菜も、見分け方を知らなければ毒を自らむことになる。どちらも経験と練習がものをいう。子供に任せるわけにもいかないところだけれどこの状況になってなお、子供だからと遠ざけ続けることもできまい。


「大人がいない以上は子供も大人も境目はない。簡単な罠での狩りや、山菜取りは教えていく」


 本格的なものを教えるには、時間も道具も足りない。


 けれど、よしんばすべてが解決して、隣の里に子供たちを預けることができたとしても、基礎的なことができるか否かで里での扱いは変わるだろう。何もできない子供たちを大勢置いておくほどに裕福な里は、そうそうないのだから。


 遊んでいる子供たちに目を向けたままそうレイが告げれば、ジェンは「よろしくお願いします」と、これまた律儀に頭を下げた。


「その代わりといってはなんだけど、色々聞いてもいいか?」

「僕に応えられることなら」


 情報を得たいのなら、まず対価を差し出さねばならない。それか、信頼を勝ち得る必要がある。子供たちの癒えない傷に触れるなら尚更だ。


「大人たちが罹ったという病気のことを、詳しく教えてほしい」



 ***



 里の奥……建物が密集していた一帯の先にそれはあった。


 生い茂る緑を被った山が蓋をするように、ぽっかりと口を開けた洞窟。四角く形を整えられた岩と木材で支えられており、奥には下へ向かうだろう段差が続く道がある。段差は細いレールが真ん中を通っていた。


「ここが炭鉱か」


 それは文明時代の人間が、鉱石を取り出すために山に開けた場所なのだろう。

 ここから里の大人たちは石炭を掘り、近辺の里と物資を交換してきた。

 一年は人の出入りがなく、当たり前だが人の気配はない。洞窟の中から漂う空気は、ひんやりとしていて湿っぽく心地よい涼しさではなかった。


「本当にここにあるのか? 流行り病の原因は」

「おそらく。けれど、他に考えられる原因がないんだ」


 サルスベリの疑問に、レイが応える。花人は、植物を張り巡らせられる場所の情報しか得られない。日光のない洞窟には根を伸ばせなかったのだろう。

 ジェイや他の子供たちから聞いた話をまとめると、まず発症したのは男性から。続いて女性、そして老人と死んでいったという。


「この里では男性は炭鉱に入って石炭を掘るか、狩りをするのが一般的。これは持ち回り制で、皆炭鉱には入っている。順当に考えれば、炭鉱か森に何かしらの原因があると考えるのが自然だろうな。最初は獣の肉が病原菌に汚染されたということを考えたが、それなら男性からという説明が難しい。狩った獲物はみんな口にできるはずだからな。子供たちだけが無事な理由もない」


 炭鉱に入った男性が病原を持ち帰り、女性に移したと考えるのが自然だ。

 だが、子供に移っていないことを考えると、夫婦間の粘膜接触が原因とみていい。感染経路はそれが有力か。

 子供たちが炭坑に入ることがなかったのは、里での決まり事なのだそうだ。

 山の神に許しを得られる年齢になるまでは山の中に踏み入れてはならない掟。それがあって幼い子供たちは被害を免れた。


「でしたら老人はどうなるのです?」

「老人も入ったんだ、炭鉱に。大人がいなくなって、足腰が弱くなっても入らざるを得なくなった。男性が死んで、感染を免れていた女たちも石炭を取らなければならなくなった。交易にはどうしても必要だからな。結果として、皆感染したと。そして炭鉱に入れない子供だけ生き残った」

「だが、今までも炭鉱には皆入っていた。それこそこの里ができてからずっと。今まではこんなことがなかったんだが」

「事が起こる少し前に、炭鉱に変化があったんだ」


 言いながら、レイは入り口から離れ、レールに沿って少し戻る。スイとサルスベリも首を傾げながらその後に続いた。

 レールの終わりには、上が開いた四角い鉄の箱に車輪が四つほどついている奇妙なモノがあった。大きさは人が二人乗れるほどだ。レイはそれに森で採ってきた数種類の薬草を入れ始める。


「病気の症状を聞いてみたんだが……最初は皆風邪のような症状だったらしい。それから急に心配性になったり、水を呑むことを嫌がったり、突然暴力的になったり。極めつけは動かなくなって眠り続け、そして死に至る。確認だが、間違っていないよな?」

「あぁ……オレもそう聞いている」


 箱の半分ほどまで積まれた草の山は、独特の青臭さを立ち上らせていた。

 その上に木屑を入れ、液体の入ったビンを取り出すと、蓋を開け中味を箱の中に回し入れる。


「この症状から考えるに、狂犬病だろうな」

「狂犬病……他の里でも同じ病に罹っている人がいましたね。稀なことですけど」

「そう。感染し、発症したが最後、死は確実。普通は犬や狐に噛まれたりすると感染するんだが――」


 カンカンと火打石を打てば、チカリと火花が散って、ぼう……と紅い炎が揺らめいた。

 レイはそれを確認すると、箱を押してレールの上を滑らせる。それはギギっと錆びた音を響かせながら前に進み、段差に到達すると勢いよく炭鉱の奥へと進んでいった。


 少し離れて様子を見ていると、白い煙が洞窟の中から立ち上る。次いでバサバサと羽音が響いた。直後に、さほど大きくはない黒いものが炭鉱から飛び出してきた。一つ二つではなく、百単位のそれは黒い塊となって白い煙から吐き出されてくる。キイキイと耳障りな音と羽音が、静かな森を覆いつくした。


 ポロポロと落ちた何体かを残して、それは空に飛んでいき森の向こうに散っていく。おそらく、炭鉱の先にある反対側の出口も似たようなことになっているだろう。

 しばしして静かになったのを確認し、三人は炭鉱に近付いていく。

 穴の近くに落ちた黒いものは、細長い胴体と大きな翼を持った生き物だった。それは痙攣し、地べたでもがいている。


「これは、コウモリですか?」

「あぁ。原因はこいつだろうな。あぁ、むやみに触れたら危ないぞ」


 しゃがんで覗き込もうとしたスイを制する。生きていれば噛まれることもあり、死体に触れても狂犬病以外のウイルスや寄生虫の危険がある。突然変異種だけでなく、ごく普通のネズミと同等に、人間にとっての脅威となりえる動物だ。


「しかし、何故こいつが……少なくとも生息するとは聞いたことがない」

「子供たちの話を統合するに、病気が逸る数か月前……石炭を掘るために炭鉱を広げていたら別の洞窟と繋がったんだと。おそらくそっち側の洞窟に生息していたんだろう」

「この子たちに襲われたのですか?」

「コウモリは人から近づかない限りは滅多に襲わないんだけどな。ただ、光を持って入っていたはずだから、それで驚いて噛みつかれたという状況はある。狂犬病は発症まで時間がかかることも多いから、噛まれたことすら忘れていたのかもな。あとはコウモリの糞や唾液、排泄物の中にあった病原体が空気中に漂って、それを人が吸い込んで発症、とかな」

「……やけに詳しいんだな」

「冒険者だった祖父から聞いた話だよ。洞窟に入るときはそういうものに注意しろと」

 文明時代にも危険視されていたというその病は、正体さえ分かっていれば防ぎようはある。だが、すべての里がそれを知っているということもなく、知っていたとしても精神的な病として扱われることもあった。狂犬病という正確なこの病名を知っている人間は、とても少ない。

「ともかく、これで原因ははっきりした。人から人に感染したとしても、それは粘膜接触に限る。コウモリさえ遠ざけてしまえば、子供たちが発症することはまずないだろう」


 知らなければ恐ろしいが、原因が全て分かってしまえばどうということはないのだ。

 サルスベリはようやっと原因がハッキリして、ほっと息を吐いた。いままでずっと、子供たちを守りながらいつ発症するかもと恐れていたのなら、相当安心したことだろう。


「ありがとう。なんと礼を言えばいいか……オレだけだったらきっと、何も分からなかった」


 これが森の中で起こったことであれば、サルスベリでも辿り着いた答えだったのかもしれない。けれど花人の索敵は洞窟などの自分の眷属が延ばせぬ範囲まで届くことはない。万全の体調だったとしてもだ。


「いや、俺の安全確認も兼ねていたし、礼を言われることではないさ」


 だが、問題はここからだ。 


「とはいえ、この里の現状を回復するには、子供たちが大人になるのを待つしかない」


 原因が分かったとはいえ、壊滅的な状態となったことには変わりない。子供たちが復興に必要なことを始められるようになるには時間がかかるだろう。


「そうだな……大人になるまでは、他の里に預けるしかない。受け入れてくれるかはまた別の問題だが」

「でも、病気のことは解決しましたし、フヨウさんなら大丈夫なのでは?」

「そう簡単なことじゃないさ。あちらの里への交渉は必要だ。もちろん、サルスベリ側がある程度不利になってしまうことも許容しなければならない」


 そもそもの話、フヨウがこの里を心配していた主な理由は石炭だ。燃料資源が貴重となるこの時代、サルスベリの里の存続の確認は大切だっただろう。だからこそ、フヨウがなんの見返りもなしに子供たちを快く受け入れるかは未知数だ。最悪、里の合併交渉もあり得る話。


 花人は人を愛する種族ではあれ、自分の里の人間が優先なのだ。たとえ上手く事が運んだとして、いざ移住して上手くやれるかも分からない。そして子供たちがそれを理解し、順応してくれる保証もないのだ。


「とりあえず、子供たちの所に戻ってこれからどうするのか話し合ったほうがいい。ここで滅びるのも生き延びるのも、俺やスイに強制されることではないからな。責任など持てない」


 レイとスイは旅人だ。この先のサルスベリたちの結末に、何もかも責任を持てるわけではない。だからこそ、彼らの決断に任せるほかないのだ。


「とはいえ、交渉役ぐらいはしてやらないとな……」


 子供たちを見捨てて花もろとも滅んだなど、流石のレイも心が痛む。

 後始末は、まだまだ時間がかかりそうだ。

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