サルスベリ

13.花樹の中から

 眠りは穏やかだ。

 花としての眠りの中、ふわふわとした微睡みの向こうで人の声を聞く。

 眠っている間も、絶えず自分に声をかけてくれているのだと分かって、オレはとても嬉しく幸せだった。

 けれど、今年の眠りは様子が違った。


 ある時を境に声が減った。

 泣き声が聞こえた。

 助けてと、悲痛な懇願が夢に響いた。


 何が起きたのか。どうして泣いているのか。

 日に日に助けを求める声が増えて、それが毎日のように続いた。

 どうしたのかと問うことも、駆けつけることもできない眠りの中で、オレは焦りを感じながら夢の中で叫ぶ。


 大丈夫だ。

 泣き止んでくれ。

 オレが守るから。


 何度も何度も叫んで、それが彼らに届かないと分かっていてもやめられなかった。

 そして季節は巡って、ようやっとオレは目覚める。

 昨年と同じように樹の洞で目覚め、そして見えた光景は――。


 *


 夏季の暑さが徐々に和らいできた。とはいえ、未だじんわりとした空気は青臭さを孕む。それは不快感とともに汗をにじませ続ける。


 レイは額に滲む汗を拭って、前を見据えたままため息を吐いた。


 眼前に続いているレールには、これでもかと生い茂った植物が覆い隠すように絡みついていて、自由に伸びた低木の枝葉が視界も体も遮る。樹々の青葉闇で森全体が薄暗くなっているのもあり、注意深く見ていなければレールを見失ってしまいそうだ。これほど荒れてしまった道は、少なくとも半年以上は誰も足を踏み入れていないのだろう。スイレンの里への道のりと同等か、それ以上だ。


 行く手を阻むそれらを短剣で切り落とし、スイの操る蔦はレールの脇に枝葉や草をのける。その度に青臭い匂いが鼻をついた。


「本当にこの先に、里があるのか?」


 太い枝を切り落とし、レイはスイに問いかけた。


 歩みは亀のごとくゆったりで、本来であればもう辿り着いていてもおかしくない道のりを、二人は未だに歩き続けている。振り返った道もレールが見えるようになったものの、樹々がドンネルのように光を遮っているために、不気味な薄暗さがある。小鳥が囀っている声だけが、まだ普通の森なのだと僅かに心を和ませた。


 だいたいは、里と里の間で交流があるはずだ。それは物資の交換や、里中で同じ血が濃くなり過ぎないように定期的に里人を交換ための営みだ。そのこともあり、必然的に次の里に繋がるレールは人の手によって整備されている。それは隣の里に行くまでかかる道のりを、より早く移動するための努力だ。逆に、ここまで手入れのされていない道は人の往来がないことを意味する。


「花の気配は感じます、まだほんの少しですけれど」


 スイは確かに花人がいる里はあると断言する。人の知識よりも花人の探知能力は何よりも勝る判断材料だ。スイが言うのであれば、行って確認しないわけにはいかない。


「はぁ……なら、進まないといけないな」

「はい。もしかしたら、花人に何かあったのかもですし。それにフヨウさんからのお願いです」


 この道は、ユグドラシルに向かうためには全く関係のないレールだ。それでもこの道を進むのは先日訪れた木芙蓉もくふようの里の花人からの依頼でもある。

 今上っている山の先に、サルスベリの里があるという。その里から一年以上連絡が途絶えているため、様子を見てきてほしいということだった。


 何が起こったかわからない状態で、里人を使いに出すわけにもいかなく、困っていたところを、旅慣れしているスイとレイが都合よくやってきたためお鉢が回ってきた。ユグドラシルの使命のこともあり、なるべく多くの花人に会いたいと望むスイに断る理由はなく、レイにも断る理由はない。


 だが、ここまで道が荒廃しているとはレイも予想していなかった。帰りの道も確保しつつ進まなければならないのもあって、想定よりも時間がかかっている。半日ほどで辿り着ける算段ではあったが、これでは夕方になりそうだ。


「……しかし、妙だな。花の気配はあるのに、一年も音沙汰がないなんて」


 花人に何かあれば、里人が木芙蓉の里に連絡をしていてもおかしくはない。何もなかったとして、一年も連絡が途絶えるのはあり得ないこと。木芙蓉の里では薬や農作物の一部もサルスベリの里に送っていた。だからこそ、交流が無ければ生活にも支障がでるはず。何か不測の事態が起こったとは想像に難くない。

 様々なパターンを考えながら、また枝を切り落とす。するとスイが何かに気付いたように「あっ」と短い声をあげた。


「レイ、花があります!」


 声を聞いて、前方に目を凝らせる。すると濃淡様々な緑の向こうに、わずかだが桃色が見えた。まぎれもない花の色。枝葉をのけながら奥に進めば、植物たちの壁は突如として終わった。


 荒れてはいるがレールがしっかり見える地面に、桃色の花をつけている木々が転々としている。木の形状や縮れた花びらの形を見るに、サルスベリで間違いはないだろう。

 スイの言葉から里もっと遠いと予想していたが、道を見るにそうでもなさそうだ。スイは近くにあるサルスベリに触れ、すべすべとしたその樹の樹皮を撫でた。


「意外に近いな。花人の気配はどうだ?」

「綺麗に咲いているのにとても弱々しいです。マリーさんの時よりもずっと弱々しくて、すぐ眠り始めてもおかしくないほどに」


 突然変異種から里を守るために自分を犠牲にしていた花人マリーゴールドを思い出す。今はまだその気配も兆候もなさそうだが、突然変異種に注意すべきか。

 ともあれ、里に何か異常が起こったことは明白だ。急ぎ向かうべきだろうと前を向いた時、スイが鋭く声を上げた。


「上です!」


 空気が張りつめた瞬間、白い矢が足元の地面を抉って深く刺さっていた。


 上を見る前に、スイが短剣を構えて跳躍する。樹の上にいた人影へ一直線に。スイの短剣と人影が持っていた弓の胴がぶつかり、ガッと鈍い音が響いた。


 人影は一度たじろいだ様子を見せて、一拍置いてからスイの短剣を力任せに弾く。足場がなく踏ん張れなかったスイは、その衝撃を素早く地面に降りることに利用した。地面に伸ばした己の蔦の上に着地して、キッと前を見据える。その間にレイも態勢を整えて、樹の上にいる人影をようやっと捉えた。


 サルスベリのように艶やかな、ボリュームのある濃い桃色の髪。二人を見据える白眼のそれは人のものとはかけ離れており、整いすぎた顔立ちと身にまとう雰囲気からも人でないとわかる。サルスベリの花人で間違いはないだろう。


「お前、花人か……?」


 花人は先のやりとりでスイが人ではないと気付いたようだ。スイも相手が花人だと確信を得たのか、目深にかぶっていたフードを取る。すると花は驚いたように息を呑んで、樹の上から飛び降りてスイの目の前に着地した。


「ユグドラシルの遣い、か。これは失礼なことをした」


 スイよりもはるかに身長の高い花人は、膝を折って謝罪した。いままで出会ってきた花人は、どちらかと言えば花のごとく穏やかだったり淑やかだったりする性格の者が多かった。けれどサルスベリは美しい事には変わりはないものの、雄々しいという第一印象を抱く。それは喋り方のせいか、所作のせいなのか。


 まじまじとスイを見た後、サルスベリの花人は安心したような表情を見せ、そのままふらりと倒れこんだ。

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