閑話休題 自己を表す最たるもの

「レイの名前の由来は、なんですか?」


 手ごろな横穴で野営の準備をしていると、ゆらゆら揺れる火を眺めながらスイは問うた。

 レイは川で釣った魚の下ごしらえをしながらスイの顔を一瞥する。その質問の意図を探るために。が、純粋な好奇心以外にあるわけもないかと思いなおした。

 とはいえ、素直に答える気にもなれなかったけれど。


「唐突にどうした?」

「いえ、以前レイは花の名前にも由来があると言っていたので。人にもあるかと気になったんです」


 たしか出会った頃にそんなことを教えた気もした。自分の持つ知識なんて、大概が祖父受け売りの古臭い文明由来のものだけれど。

 ただ、それで自分の名前に興味を持たれるとは思ってもみなかった。


「何故今になって」

「思い出して、気になったからです」


 鱗を取って内臓を取り、枝で串刺しにした魚を二匹、薪から少し離して立てる。

 パチパチと、火がひと際大きく爆ぜて火の粉が飛べば、スイは少し顔を離した。これは割と見る光景だ。


「で、あるんですか?」


 何事もなかったようにスイは続きを促す。 

 別に隠すほどのことでもないけれど、こうして気にされると些か話しにくい。


 じっと金色の瞳が揺れる炎の向こうから見つめてくるものだから、ふぅ……と息を吐いて口を開く。

 そしておもむろに枝をとって、地面に文字を描いた。


『零』


「文明時代にはカンジという種類の文字があった。それに当てはめた時の俺の名前だ」

「これでレイと読むんですか?」

「そうだ。意味はゼロ。って意味だ」


 スイが驚いたように目を瞬かせた後、きゅっと唇を引き結んだ。

 鈍感なようでいても、ここまで言えばレイの何込められた意味に、その悪意に嫌でも気付いたんだろう。


「……それは誰がつけたんですか?」

「母親だよ。君のことだから理由も聞きたがるだろうからついでに言うけど、単純だ。母親は俺の存在をなかったことにしたかった。それだけ」


 愛情なんて欠片も母から貰ったことはなく、貰えたものと言えば憎しみとこの名前。そんなものだ。


 それを悲しむことも、愛を求めることも、とうの昔にあきらめて、今ではもう話していても痛むことはない。むしろ自分にぴったりの名前だとすら思うのだ。

 名は体を表すというけれど、人も花人もそこは変わらないらしい。


 リコリス……生まれ故郷の花人も同じ質問をしてきたことがある。あの子も今のスイと同じ反応をしていて、それを懐かしくすら思うのだ。


 あの子はそのあと謝罪をして、二度とその話題に触れなかったか、

 あの頃は自分もまだまだ子供で、言ったそばから悲しくなって言葉を失ってしまったから。


(あれだけ求めていたものですら、今となっては何も感じないんだよな)


 くるりと焼いている魚を回転させて、空を仰ぐ。

 陽は落ちて、空の大半は藍色に塗り替えられて星が瞬いていた。月が見えない今夜は新月だ。


 視線を落としてスイを見れば、何にかを考えているようだった。

 はて、先程教えたことに謎解き要素なんてなかったはずだがとレイは内心で首を傾げる。

 するとスイはややあってから、一人納得した風に頷いた。


「ゼロなら、たくさん足していけますね」


 とだけ言って、納得して満足した様子を見せた。すぐに欠伸をしたものだから、意味は聞き損ねた。

 するとスイは立ち上がって横穴に行ってしまう。寝るのだろう。

 横穴の中でどこからともなく蔦植物が密集した。スイはそこに横になる。いつもの簡易ベッドだ。自分の分も用意したのは癖か。

 寝つきのいい花は、すぐに安らかな寝息を立てて夢の中に行ってしまった。


「足せるものなんて、そうそう見つからないんだけどな」


 そう呟いて火に目を向ける。 

 気が付けば、魚は少し焦げていた。

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