労えないこと
カナの部屋は、家の2階に上がってからすぐ右に曲がったところにある。
扉には自らの部屋であることを主張するプレートと、ドアをノックして欲しい趣旨のシールが貼られている。ちなみに、ノックをしても彼女が聞いているとは限らないので困りものだ。
「入って入ってー」
彼女に促されて、部屋に入る。
雪がやたらと緊張しているのを意外に思ったが、男子高校生が女子の部屋に入っていると思えば当然の反応なんだろう。いつもカナの部屋にお邪魔している俺のほうが、ある意味では異常なのだ。
「2人が来るって分かってたから、ちゃんとお茶とお菓子を用意してあるんだよ!」
「おー」
言葉の通り、テーブルの上にはかわいらしいコップに入ったお茶と、これまた愛らしい器に入ったスナック菓子とチョコレート菓子が置かれていた。
甘い物としょっぱい物を選んだのは、彼女なりに配慮してのことなんだろう。
いや、カナのことだ。自分が今食べたかったお菓子を選んだだけということもあり得るけれど。
テーブルを囲み、俺を起点として右に雪、左にカナといった並びで座る。
座ってからも落ち着かない様子の雪は、緊張をほぐすためなのか、目の前にあったお茶を一気に飲み干した。
「あ、雪ちゃん、お代わりいる?」
「いや、お構いなく」
「コーラのほうがいいなら、下から持ってくるよ?」
「あのなぁ……」
普段学校で接しているのと変わらないカナの物言いに、雪の顔には呆れが滲んでいた。いつもであれば、少し荒っぽく怒りの雷を落としていただろう。
それを少しでも落ち着かせようとしてなのか、深呼吸を1つ。
それからため息とともに、言葉が吐き出された。
「今はほかに気にすることがあるだろ?」
「角なら逃げたりしないよ。見てみる?」
思っていたよりもしっかりとした口調で答えた彼女は、右の手で頭に巻いてあるタオルに触れる。
ゴクリと、雪が生唾を飲む音が聞こえた。
「その下に、角が生えてるんだな?」
「そうだよ」
タオルは一般的なものなので、角がそこにあるのだろうということは、角の存在を知っていれば分かるほどに形として浮かび上がっている。
それでも、実物を目にするのにはまだためらいがあるのだろう、雪はしばらくタオルに包まれた角を見つめていた。
「……っ」
なにかを発しようと開かれた雪の口が、ためらいがちに閉じられる。
その手は、固く握りしめられていた。彼の手に呼応するかのように、俺の手にも自然と力が入る。
「あのさ」
沈黙に耐えられなかった俺が、口を開く。
「……気が進まないのなら、無理強いはしないよ」
親友だからこそ頼ろうと思えたけれど、親友だからこそ無理なんてさせたくない。
無理強いするくらいなら、また振り出しに戻ったほうがいい。
彼以外の頼れる人を見つけるのは困難だろうけど、角を生やした本人が焦っていないのだ。俺が焦ってしまってもしょうがない。
「何も聞かなかったことにすれば」
「大丈夫だ」
すればいいよと続けようとした俺の言葉を、雪は遮る。
その顔は紛れもなく今後のことを決意したものであり、俺はそれ以上に口を開けなかった。
「見せてもらっていい?」
「うん。驚いて腰抜かさないでね」
頷いた彼女は、するりとタオルを取り払った。そこにあるのは、相も変わらず威圧感を放っている黒々しい角。
その瞬間に雪は、目の前の光景を疑うように目を
しかし、何度目を開いても視界には必ず角が映る。彼女の頭の上で、これでもかといった具合に存在を主張してくるのだ。
否が応でも、受け入れるしかない。
やがて雪も、目の前のことを受け入れたのだろう、ゆっくりとした瞬きのあとに口を開いた。
「……こういう時にかけるべき言葉って、一体なんなんだろうな?」
「えー? うーん……大変だね、とかじゃない?」
「そりゃあそうなんだろうけど……」
雪は、困ったように頭をかく。どう言えばいいのか、なんて言えばいいのかを決めかねるように、母音が口から漏れ出ている。
それでも、誰かに急かされているかのように1つ1つ言葉を紡いだ。
「そんな言葉じゃ、お前の感情の1ミリも労えないだろ?」
その言葉に、カナは虚を突かれたように目を見開いた。次いで雪のほうへ近寄ると、ペタペタと顔を触っている。
それどころではないのだろうが、これには少しばかり妬いてしまった。
「もしかして、熱がある? 風邪? 知恵熱?」
「知恵熱ってなんだよ、本当に失礼だな。俺は至って普通だよ」
「そ、そうなんだ。雪ちゃんがあんまりにも優しいから、すごく驚いちゃった」
「俺は普段から優しくしてるつもりだけどな?」
「それは、そうなんだけど」
今度はカナがどう言えばいいのか決めかねる番だった。
「こ、この感情ってどう表現すればいいんだろう?」
「素直にありがとうって返せばいいんじゃないのか?」
「それはもちろんありがとうなんだけど、そうじゃなくって……」
くるり。
カナの顔がこちらに向いたかと思えば、あろうことか勢いよく抱きついてきた。
「みっちゃーーーーん!!!」
「うぁ」
これは多分、泣きつくといった表現が正しいんだろう。本当にどう言えばいいのか困っているらしく、眉尻が下がっている。
「いや、さすがに俺もカナの心中までは読み取れないかな……」
それでも、なんとなくこうなんじゃないかというのは思い浮かぶ。彼女の頭を撫でながら、出来る限り落ち着いた口調で話を続ける。
「多分なんだけど、カナはそんな風に雪から労われることが予想外だったんじゃないかな?」
「うん! そう!」
カナがガバッと頭を上げた。その拍子に顎がぶつかりそうになるが、それすらも悟られないように彼女の話を聞く。
「なんていうか、みっちゃんの親友だから理解はしてくれるだろうって思ってたのね。でも、その上で私のことも気遣ってくれたのがすごく嬉しかった」
「だってさ」
「どうせならイチャつきながらじゃなくって、こっち見ながら言ってくれ」
「だってよ?」
「うんー!」
俺の腰から手を離した彼女が、雪の前に座る。そしてにっこりと微笑んだ。
「私の心配をしてくれてありがとう! 雪ちゃん!」
「あぁ」
雪もまた、同じくらいの笑みで返す。
その光景を俺は感動3分の1、微笑ましさ3分の1、嫉妬3分の1で見ていた。
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