食後

 食べ終わり、ごちそうさまでしたと手を合わせる。

 肝心のチーズ入りハンバーグはというと、とてもおいしかった。食べられるのならば、最後の晩餐はこれがいい。そう思ってしまうくらい、自分の好みに合っていた。

「おいしかったよ」

「本当に?」

 少し前に食べ終わり、お茶を飲んでいたカナがこちらを振り向く。

「うん。本当においしかった」

「みっちゃんがそう言ってくれるなら嬉しい!」

 彼女は満面に笑みを浮かべて、その嬉しさを表現してくる。


 かわいい。


 ……もう少し油断していれば口から言葉が出て行くところだった。危ない危ない。

 まだお互いに好きであると打ち明けたばかりなのだ。結婚を前提としたお付き合いを始めたことは、今のご両親に言うべきではないだろう。

 ……いや、どうなんだろうか。ここは素直に『娘さんとお付き合いをさせていただいております』と言うべきなのだろうか。

「みっちゃん?」

 しかし今回のことは、彼女に角が偶然にも生えてしまった騒動によるなし崩しのようなものだ。経緯が経緯であるがゆえに、印象はあまり良くないだろう。かといって、今更きっかけを変えることも出来ない。遅かれ早かれ、話すことにはなるだろう。

 それだったらいっそのこと、今のうちに話しておくべきなのではないだろうか?

「みっちゃーん?」

「トリップしてるわね」

「今回はいつも以上に目から生気が感じられないね」

「そうね。とりあえずパパは、お風呂に入って来たら?」

「いつもありがとう! そうさせてもらうよ」

「どうぞごゆっくり」

 あああ! 全然分からない!!

 誰かと付き合ったことなんてないから、こういう時にどうするのが正解なのかがまったく分からない。こういうことなら、誰かと……。

 いや。いやいやいや。

 そういう思いで誰かと付き合うのは失礼に当たるし、そもそもカナ以外とどうこうなりたいだなんて思ったこともない。

 こうなってしまった以上、探り探りに答えを見つけていくしかないのだ。

 よし! ひるんでいる場合じゃないぞ!

「あの」

「わぁ!」

「わあ!!?!」

 突如として耳に響いた声に、必要以上に驚いてしまった。何事かと辺りを見回すと、赤城母娘の視線が一気に俺へ集中していた。どうやら俺は、ずっと考え込んでいたらしい。

「もうみっちゃん! 無言で百面相されると怖いよ」

 頬を膨らませたカナが、かわいらしく俺を怒る。

「ご、ごめん」

「呼んでも返事しないし。いつものこととはいえ、心配になるんだからね?」

「それもごめん。ちょっと考え込んじゃってた」

「……なにか気がかりなことでもあるの?」

 彼女の視線に見つめられ、なんでもないよと言うのが憚られてしまう。

「んんー……。あると言えばあるかな」

「なんにも気にしなくていいのに。みっちゃんが悪いわけじゃないし」

「いや…でもなぁ」

「むぅー」

 どうやらカナは納得がいかないらしい。

 ぷくりと頬を膨らませたままでいたが、すぐになにかを思いついたように目を見開いた。

「そうだ!」

「なに?」

「みっちゃん、お風呂入って帰るよね? 今はお父さんが入ってるけど」

「いや、流石に突然来てそこまでお世話になるわけにはいかないよ」

「あら? 別にうちと八重島さんの仲なんだから気にしなくていいのよ? 今日はちょうど浴槽も洗ったから、ゆっくり入れるだろうし」

「ほら、お母さんもこう言ってるし」

 途端に誇らしいような顔になるカナ。いや、それはおばさんの功績だろう。

「うーん……」

 しかし、どうしたものだろう。お風呂か……。

 正直に言えば、家の風呂よりもここのほうが湯船が広いし、入って帰りたい気持ちもある。だが、お風呂に入ってしまった後の帰宅ほどつらいものもないのだ。

 入浴と帰宅、どちらを優先すべきだろうかと少し考える。

 ん? おふろ……?

「今日のところは、入らないで帰ります」

 一瞬にして脳内が邪になってしまったので、丁重にお断りするしかない。むしろ今まで、なんでもないことのようにお風呂までお世話になっていた自分は異常なのではないか? そんなことすら思ってしまう。

 今のままであれば、カナの前に入ったとしても後に入ったとしても、気まずくなってしまうだろう。

「あら。遠慮しなくていいのに」

「そうだよ。どうせいつかは一緒に入ることになるんだし、気にしなくていいんだよー?」

「んえ!?」

 突飛なカナの言葉に、肩を震わせるほどに驚いてしまった。

 なんてことだろう。俺が切り出すより先に、カナのほうが切り出してしまった。

「あらあら、まぁまぁ」

 おばさんが口に手を当てて、珍しく目を見開いて驚いている。

 やばい。どうしよう。

 こんな遠回しで、かつ嫌らしい言い回しの『結婚を前提としたお付き合いをしています』という宣言があるだろうか。いや、ないだろう(反語)。

 あるいは、ただ単に『お付き合いをしています』、もしくは『身体の付き合いがあります』とも受け取れなくはない。ウワァ、一番最後だと思われたら最悪だ。

 弁解のために口を開きたいのだが、頭の重要な器官が驚いてしまっていて上手く回らない。

「あの、ですね、おばさん……」

「お義母かあさんって呼んでくれてもいいのよ?」

「うっ」

 やっと口から出た言葉に、とんでもない言葉が返ってくる。

 怖い!

 おじさんの言動は『娘が第一』といういかにもな思想なので分かりやすくて助かるが、おばさんの淡々とした言動はなにを思っているのかまったく分からない!

「大丈夫よ、そんなに怯えなくても」

 そうは言われても、こうして怯えていることがもう悟られていることも恐怖を助長してくる。

 背中に悪寒が走っているのを感じながら、それでもおばさんから目を逸らさないのは、俺の中にあるなけなしの意地だ。

「どれだけあなた達のことを見て来たんだと思ってるの? いずれそうなると思ってたわ」

 おばさんの口から出てきた言葉は、とても幼なじみの母親らしいこと。

 まさに言葉通り、怯える必要なんてなかった。

 すべてとはいかずとも、成長を見届けてきた親という立場だからこそ分かる、直感。

「それに、私は香奈が幸せであればなんだっていいの。……分かってると思うけど、偶然にも香奈を幸せにするハードルは上がってしまった」

 おばさんの視線が、カナの角に向かう。

 黒い、2本の角。

 彼女の角を見て、おばさんは微かに笑った。

「それでも、湊君ならなんとか出来るって信じてるわよ」

「ありがとう、ございます……」

 自然と頭が下がっていた。

 顔を上げてと言われても、すぐに上げることは出来ない。それだけおばさんの俺に対する信頼に、感謝の念を抱いたのだ。

 しばらくしてから、顔を上げておばさんと向き合う。

「覚悟が決まったら、お父さんにも話してね」

 綺麗なウインクを見事に決められ、俺は頷くしかなかった。

 ──その覚悟は、いつ決まるのだろうか。

「私はもう覚悟を決めてるから、いつでもみっちゃんのご両親に挨拶しに行けるよ?」

「とんだ肝っ玉だ」

「ふふん、それほどでもあるかな!」

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