困ること
「あのね、みっちゃん」
しばらくお互いにやるべきことと向き合って集中していたものの、ペンを握っている指が痛くなってきた頃。
顔を上げたカナがこちらに話しかけてきた。
その手からノートに、シャーペンがコロコロと音を立てて転がる。これ以上は集中出来ないという意志が、これでもかというくらいに伝わってきた。
かくいう自分も、集中力が切れてきている。
見れば、始めてから1時間半の時間が経っていた。
そろそろ休憩したほうがいいだろう。これ以上続けても惰性になりかねない。
軽い伸びで、固まった体を柔らげる。
「どうしたの?」
ペンをテーブルの上に置き、顔を上げて話に乗った。
カナが目線を自らの角に送っているので、自然と俺も角を見つめる形になる。
「この角、寝るときにすごく邪魔なんだよね」
「あー……そんな気がする」
普通ならばあり得ない部位が追加されているのだ。先端はいくぶんか丸みを帯びているとはいえ尖っているし、慎重に動かなければどこかにぶつけて傷をつけてしまうだろう。
もしかするとその衝撃で、カナ自身に痛みが走るかもしれない……。
なんてことだろう!
思っていたよりも角があるということは厄介なのだと思い始めた。代われるものなら代わりたい。
「これ見てよ!」
「枕? ……って、うわ」
そう言いながら立ち上がってベッドの側へ行った彼女が見せてくれたのは、穴が空いた枕だった。
「ひどいでしょ、これ!」
可愛らしい猫の絵柄は破かれ、穴からは白い綿がこぼれ出ている。
「かなり悲惨なことになってるね……」
「これだけじゃなくて、マットレスにも傷がついてるの!」
「あー……」
おそらく、枕を貫通した先端がマットレスを傷つけたのだろう。
「横になったり、うつ伏せになったりすると穴が空くんだよ」
「角度的にどうしてもそうなるね」
「うん。それで、仰向けでしか寝られなくなっちゃった」
「カナって、覚えている限りだと横向きで寝てたよね?」
「そうそう、昨日の朝までずっと横向きだったよ。だから仰向けでしか寝られないってなると、すっごく寝にくいんだよね……」
言うが早いか、彼女の口が大きく開いてあくびをこぼした。あまり寝付けなかったのだろう。
「しっかりした仰向けをずっとってなると、中々難しいよね。俺も寝るときは横向きだから、気持ちだけは分かる」
「代わってよ、みっちゃーん!」
ベッドの端に座り、イヤイヤと駄々をこねる子供のように手足をバタつかせる。高校生のカナがするには、ずいぶん幼い動作だ。
ずっと昔にも、彼女がこうやっているのを見たような気がする。その時はたしか……当時流行っていたアニメのおもちゃが欲しいって騒いでたはずだ。
当時の自分にはどうすることも出来なくて、彼女の叫びにただひたすら頷いて頭を撫でていた。
今の彼女はそんなことをしなくても、しっかり自分の中で折り合いをつけられる、はず。
「代われるものなら代わってあげたいって、今思ってたところ」
「みっちゃんに角が生えたら、私のほうがみっちゃんを養うことになるかな? なら私、いっぱい頑張るね!」
「先の見通しが早い」
「だって絶対に一緒になるわけだし」
その瞳があまりにも堂々としていたので、恥じらいだとか躊躇いだとかを挟む余地がなかった。
しかし俺の中にはたしかに恥らいと躊躇いがあったので、しばらくの間なにも言葉が出ていかなかった。
「……そうだね」
ようやく出てきた言葉で、なんとか肯定する。
「でも、多分代われないでしょ。無理に引っこ抜いたりして、カナが傷つくのは嫌だよ」
「え」
「え?」
「引っこ抜くんだ?」
「……そうじゃない? 他になにかある?」
「そもそもどうやって代わるのかも考えてなかったー」
カナがあっけからんとそう白状したので、思わず吹き出して笑った。
「カナはそういうところあるよね」
「むー、なんかバカにされてる感じする」
「そんなことないよ」
そうは言うものの、俺の口から笑いは止まない。彼女は頬を膨らませ、ジトッとした目でこちらを睨んでくる。ずっと見ていたら変な趣味が目覚めてしまいそうだ。
目を逸らし、課題のほうへ意識を向ける。
「バカにされないように、勉強の続きしよう?」
しばらくはこちらを威嚇するような唸り声をあげていたけれど、やがて観念したのか元の位置に座り直した。
「……ここ、授業中からよく分かんなかったから詳しく教えてくれる?」
「どこ?」
「このベクトルの求め方」
「あー、これちょっとややこしいよね」
「うん」
カナの側に寄り添いながら、自分の言葉で説明をする。ちゃんと説明出来ているだろうか、話を理解してくれているだろうかと思いながら、言葉を並べ続ける。
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