膝枕
夏期講習終わりの足で、カナのところへ向かう。
いつものように出迎えてくれたカナにつれられて、彼女の部屋へ。
部屋の真ん中にあるテーブルの上に、彼女が写しやすいようにノートを開げた。自分のところには、昨日と同じように夏の課題を開いておく。
「昨日はちゃんと眠れた?」
カナの目元を見ながら、そう聞いてみる。
そこには、思っていたような隈はなかった。
「うーん、一昨日よりかは眠れたって感じかな」
「そっか、それならいいんだけど。無理しないでね」
「これで授業出てたら寝てたかもしれないけど、出てないから大丈夫だよ!」
「いや、それはあんまり大丈夫じゃないけどね?」
「みっちゃんに教えてもらったほうが分かりやすいし!」
「俺だってちゃんと理解出来てるか分からないよ。先生の話きちんと聞いて」
「まぁまぁ、それは置いといて」
「置いておくことじゃないのに……」
「それより、ね? どうだった? 文化祭の話し合い」
これ以上話を元に戻そうとしても無駄だろう。
諦めて、今日の話し合いの成果を話す。
「カナの思惑通り、滞りなかったよ」
「でしょー?」
してやったりとでも言いたげなニヤニヤ顔。
彼女は実際にしてやった側なので、こういう顔にもなってしまうのだろう。いたずらっ子のような笑みでかわいい。
翌日、話し合いはカリスマ性の高い男子生徒による進行のもとで行われた。文芸部2人によって先に作られていたプロットから配役を決め、配役が出来る特技を盛り込んだ話運びにしていこうという結論になった。リフティングなどの『部活動で得られた特技』を活かすことが、学校のお偉いさん方に対する出来得る限りのアピールになるだろうと判断してのことらしい。リフティングをどうやって話に絡めるのだろうと思わなくもなかったが、文芸部の子が嫌な顔をしていなかったので問題ないのだろう。
カナが根回ししていたことを踏まえても、かなりまとまりのある有意義な話し合いだったと思う。これが元々はまとまりのないクラスだったのだと思うと感慨深い。
「文化祭でクラスの出し物について気にする必要はなくなったかもしれないけど、その角をどうにかするのは諦めてないからね」
「そうしてくれると嬉しいかな。でも、焦らなくていいよ。お母さんもお父さんも、こんなことならずっと家にいてもいいって言ってくれてるから。なんだったら、お家で出来そうな仕事を見つければいいしね」
……それはいつの日か、学生でいられなくなる時のことを言っているのだろうか。
そこまで角が付きまとっているだなんてことは考えたくはないが、可能性としてはゼロではない。
「早く俺が養えるようになるね」
「ふふ。養われるのが先か、角がなくなるのが先か……どっちだろうね?」
「角がなくなるのが先のほうが嬉しいかな。これから文化祭だけじゃなくって、修学旅行もあるんだし」
彼女の顔が驚きに揺れる。
「そういえばそうだったね」
「忘れてたの? 北海道だよ」
そして即座に、唇を噛んだ。
「……さらにこの角が嫌になった」
「やっぱり行きたいでしょ、修学旅行は」
「行きたい。気難しい店主さんが作るパフェ食べてみたい」
「前に言ってたところでしょ? 確かその近くで自由行動になる予定だったはずから、行こうと思えば行けるよ」
「流石みっちゃん! 調べてくれたんだねー」
「もちろん。俺も行きたかったし」
「でも、解決するのかなぁ」
「……はぇ」
彼女が仰向けに倒れ込み、俺の膝の上に頭を乗せる。長い髪の毛が、ふわりと広がる。
画面の向こうで展開されているスローモーションのような光景に、手も口も出せないままそれを受け入れた。ゆっくりと倒れ込んできたのは、角が刺さらないようにだろう。
そんな配慮をするくらいなら、俺の心情にも配慮してほしかった。
俺の思惑を知らない彼女はニッと笑って、なんでもないことのように言葉を続ける。
「昨日も言ったけどさ……」
カナが何かを言っているけれど、きちんとした意味のある言葉として頭に入ってこない。
俺の目に映るのは彼女のきらきらとした瞳、そしてよく動く唇だけだ。血色の良い赤色で、つやつやしている。柔らかい果物みたいだ。
おいしそう。
手を伸ばせば、届く距離にある。
「ねぇ、ちゃんと聞いてる?」
「ふわ!?」
カナの顔に手を伸ばそうとした瞬間、反対に下から伸びた手に頬を掴まれ、上下左右に引っ張られた。
「聞いてないでしょ?」
「ごうぇん……」
「もう!」
「ゆるして」
「しょうがないからゆるすー!」
「ふへ」
勢いよく手を離されたけど、彼女自体の力が弱いのかそんなに痛くはない。
それよりも。
いきなり現実に引き戻されたことによる驚きと、自分の考えていた内容の邪さに、心臓が音を立てて脈打っているのが分かる。もし彼女に俺の思考を読む能力なんかがあったら、絶対に引かれていた。
……いや、もしかすると想像していたことを実行されていたかもしれない。それはそれで嬉しいけれど、考えていることが筒抜けになるなんてやっぱり怖い話だ。
好きな人に好きだと伝えるための手段なんて、いつでも考えているんだから。
「そんなにドキドキする? 膝枕」
「するよ……」
「膝枕したことないの?」
「あるわけないじゃん」
「わーい! 初膝枕もらったー♪」
やったーと両手を宙に伸ばして、からから笑う。
「……嬉しいの、それ?」
そんなに喜ぶことだろうか。
俺にとってはそうでもないけれど、カナにとっては重要らしい。
「嬉しいよ。これから先も私だけが膝枕をされるんだろうなって思うと、すっごく嬉しい」
「独占欲?」
「そうかも」
「膝に独占欲……」
「膝だけじゃないよ」
カナが静かに起き上がり、俺の頬に手を触れた。
黒々しい目と、しっかり見つめ合う。
人の心に、柔らかくて抜けないトゲを植え付けようとしている人の目だ。
「みっちゃんの全部が私だけのものだよ」
その手のひらには、まるで俺のすべてを包み込むかのような優しさが溢れている。
「もちろん、私の全部もみっちゃんのものだよ」
彼女の中にある優しさをすべて抽出して凝縮したら、こういう手触りなのかなと頭の片隅で思った。
「カナには敵いそうもないなぁ……」
そんな油断しきっていた状態だったから、口から出てきた言葉も油断していたものだったんだろう。
彼女は即座に俺の頬をつねってきた。
しかも、さっきよりずっと攻撃性に溢れるつねり方だ。正直言って痛い。
「お父さんと似たようなこと言ってる!」
「わざとじゃないって!」
「それもお父さんと同じことだもん! みっちゃんも親父ギャグ言い始める!」
「誤解だーーーーー!!」
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