第二話

 少年の問に対して少女は回答できなかった。と言うよりも、あまりにも過酷なできごとと、衝撃的過ぎるできごとが、数十分という短時間で繰り返し起きたことにより。精神が完全に疲弊し、思考が停止していた。


「この、意識、飛んでるやん!」


 独特のイントネーションで、少年は呟くと。面倒くさいという表情を隠すことなく全面に押し出しながら、一歩、右足を前に出したときだった。

 ――天罰!

 つまずいた。躓く要因は最初からあった。サイズの合っていないズボンを穿いていることを少年は、しらなかった。


「ぁ!」


 少年は躓いたことに身体は素早く反応した。しかし、素早く反応したとしても、状況は変わらなかった。サイズの合っていないズボンを穿いていることを考慮した反応ではなかった。姿勢のバランスをとるために、左足を前に出したが、状況が変わることはなかった。それどころか、最悪の戦況せんきょうに向かって転がっていった。

 余ったすそを常に踏んでしまうために、どんなにバランスをとろうとしても、躓くことしかできなかった。

 それを、数回、繰り返す。

 少年はひらめいた! 自分の持っている片手剣を地面に突き刺し、動きを止めることで、この状況を打破できると。

 ――実行した!

 が、遅かった! 剣は地面に突き刺し、剣だけかろうじて止まることができたが。少年の勢いは止まることはなかった。少年と少女との距離は、わずか六十センチにも満たない距離まで近づいた。

 あとは、運に任せるしかなかった。

 少年はそのまま、両手を前に出した。偶発的に出たのか? 意図的に出したのか? は。とうの本人にしか、わからない。 

 両手には硬く冷たい金属の感触と内側に押し潰れる肉の感触。唇にはプニッとした柔らかい少女の唇の感触。

 

「ぎゃゃゃゃゃあぁぁぁぁーーーーー!!!!!」

 

 さきほどまで、精神が疲弊し、意識が遠くにいっていた人物とは思えないほどの鋭い正拳突きが、少年の顔面にめり込んだ。その衝撃で後ろに海老反りの体勢になり、後頭部から地面に着地し、少年は悶絶していた。

 鋭い正拳突きを繰り出した少女は。

 顔を赤らめながら、唇を指で押さえながら、死の恐怖とは違った涙目になりながら、悶絶している少年を睨みつけるのだった。


 悶絶していた少年は、ピタッと動きを止めると、勢いよく身体を起こす。左手で正拳突きを食らった鼻を押さえるながら、右手で後頭部をさすりながら。


「な! なに、すんねん。ただ、乳揉んで、チュー、した。だけやんけ! 大袈裟おおげさなやっちゃなぁー」

 

 少年の無神経、きわまりない言葉と独特のイントネーションが、より憎たらしさを倍増させてた。

 少女の蒼い瞳が赤く充血し、涙を拭いながら、少年を今にも噛み殺すぞ! と言わんばかりに、犬歯をむき出しの鬼の形相をしながら。


「ぉ……、乙女の……。く……、唇を……。な……、なんだと……。お……、思って……。るん、ですかぁー!」


 唸るように叫んだ。


 その少女の反応に、猫のように目を細め、顎に手を当てながら。少年はニヤッといたずらっ子の表情をすると。


「なんやぁー。ファーストキスやったんかぁー?」


 少女は――大きく動揺した。

 たしかに、自分にとって初めの口づけだった。理想としては、英雄譚に描かれた英雄とお姫様が愛を語り合ったあとに、愛を誓う口づけ。そんな、ロマンチックなファーストキスを自分はする! のだと決めていた。

 そ・れ・を!

 命を助けてくれた恩人であるとしても。小憎たらしいくうえに、目つきが悪く、さらに年下の癖に年上である自分を小馬鹿にする態度。

 少女の敵意が沸点を越えた。


「きぃぃぃぃぃーーーーー!!!!!」

 

 言葉にならないよりも、言葉ではない叫び声を少年に放つ。


 超音波を出し終えると少女は反省した。自分が一瞬バカなのでは? と。反論する言葉が浮かばなく、自分の語彙力のなさに腹立ち紛れに叫んだのはいい。

 ――いや、それがよくなかった。もっと冷静に対処すればよかったと瞳を潤わせた。これは、死の恐怖からではなく、胸を鷲掴みにされ、ファーストキスを奪われた乙女の恥じらいからでもなく。ただ、ただ、自分に対しての後悔だった。


「ぅぅぅ」


 年下にいいようにあしらわれる屈辱から無意識に呟いてしまった。耳ざとい少年には聞こえたようだった、屈辱の呟きが。

 鼻で笑う声が、少女の耳に、はっきり、くっきり、と聞き取れた。不愉快オーラー全開状態で、潤んだ瞳で射るような視線を少年に向ける。

 それなりに迫力のある不愉快オーラーなのだが。如何いかんせん、潤んだ瞳で射るような視線は少年には。

 ――効果なかった。

 それどころか逆に少年は、頬を掻きながら。


「じぶん。そんな怒りかたしてたら、血管切れて。死んでまうでぇー」


 再び、少年はニヤッっとした表情をし、独特のイントネーションで少女を挑発した。


「きぃ――」


 再度、少女は沸騰し! 少女が超音波を出そうとしたときだった。


「はい、はい。夫婦漫才めおとまんぜいは。そのへんにしてもろうて、よろし、おす、やろ、かぁ」

「「……、……。……、……!?」」


 少年と少女は、驚愕と唖然とした二つの表情が、混じり合った変な表情になった。どこからともなく、少女の声とは違う大人の女性声、そのうえに少年の独特のイントネーションに近いが、異なる話しかた。

 二人は辺りに視線を巡らせ確認する。この空間には、二人しかいない。ミノタウロスの死体はあるが死んでいるので、数に入らない。

 少年と少女は、顔を見合わせる。少年と少女の心のなかが、シンクロした瞬間だった。


(二人しか……、いない……。はず……、なのに……。第三者の声!)


「はぁー。そちらのお嬢はんはべつにして。なんで? マスターあんたが驚いて、どない、するん、どす」


 二人は声が聞こえるほうに視線を向けると。そこには地面に突き刺さった少年の片手剣。


「はじめまして、お嬢は――。……、……。失礼しました。マスターの話しかたを聞いていたら、つい、私も昔の口調で話してしまいました。私の名前は、ウパニシャッドと申します。以後、お見知りおきを。おじょうさん」

「「……、……。……、……!?」」


 地面に突き刺さっている少年が持っていた片手剣が、少女に丁寧な自己紹介の挨拶をしてきたのだ。

 最初は少年と同じ独特のイントネーションの話しかたに聞こえたが。少年よりも、話しかたが、ゆっくりとしており。少年の話すイントネーションよりも、柔らかな感じの話しかたで挨拶してきた、が。一度、言葉を区切ると。仕切りなおして、挨拶の言葉をべてきた。

 その声音こわね妖艶ようえんとした大人の女性を感じさせた。

 ――剣。


「ぁ、ゎ。あ! あわわわぁぁぁーーー!」


 パニックを起こした。少女はとりあえず、口から出せる言葉を発した。


「だいじょうぶですよ、お嬢さん。とって喰ったりしませんから」


 透き通る落ち着いた声。鼓膜を振動させずに、脳に伝わる変な感覚に少女は、我に返ったときだった。


「たべられる! わたし!」


 ウパニシャッドのセリフが悪かった。パニック状態の少女には、喰ったりという部分だけが強烈に頭に残ってしまったのだ。

 少女は急に、オロ、オロ、とした変な仕草をし始める。

 

「え!? 言葉のあやだったのですが……。まさか……、に受けとるとは……、思いませんでした。お嬢さん、たべたり、しませんから、だいじょうぶですよぉ~」

「たべ、ませんか?」

「私、剣なので。口、ありませんから、食べたりできませんよぉ~。まぁ、刺したり、切ったりはできますけどねぇ」

「さされる! きられる! わたし! ころされる!」

「え!?」

「ぁ、ゎ。あ! あわわわぁぁぁーーー!」


 またしても、少女はパニックを起こし。口から語彙力、皆無の叫び声を発した。

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