第九話

 薄暗い空間に二人の男女と一振ひとふりの剣は居た。視覚が完全に奪われないのは、頭上に大きな穴が空いており、そこから僅かではあるが差し込んでくる光が、空間のなかを舞っている不純物を幻想的に照らし出していた。

 

 一人は、背筋に棒を入れられように垂直状態にし、膝を折り曲げて、こうずねを地面にペタッと貼りつけ、そこに上半身を乗せるように座っていた。

 だが、背筋を伸ばして綺麗な姿勢を維持しているにも、関わらず。その人物は、地面に視線を向けているために、自然と首も視線と同じ方向に傾いていた。

 そして、両手を折り曲げた両膝のうえに、ちょこっと置き、瞳を潤ませてながら、正座をしていた。


 一人は、両膝を左右に開き、体の前で両足首を組んで、両足首を両手で掴みながら、前後に振り子のように揺らしながら、子ども独自の落ち着きのない胡坐あぐらをかいていた。

 

 一振の剣は、上下に海にただよう海月くらげように、浮遊していた。

 

 二人の男女と一振の剣は、焚き火を囲い込むような感じで、座っていた。


「怪我ない、みたいやし。それが、なによりや」


 子ども独自の落ち着きのない胡坐をかいていた人物が。独特のイントネーションで、一人の人物に話しかけた。


「怪我なくてよかったです」


 独特のイントネーションの人物が、話しかけ終えたあと。続けるように、海に浮かぶ海月くらげのように上下に浮いている剣が、言葉をかけた。

 

「……、……。すみま、せん」


 正座をしている人物は、真っ赤にした瞳で、弱々しく謝罪の言葉を口にしたあと。ある一点を凝視した瞬間、両上まぶたが勢いよく落ち、身体を小刻みに震わせた。


 彼らが探し求める物は、見つからなかった。

 これ以上、探すのは、危険と判断したからだった。

 

 そう、あれは。

 二人の人物と一振の剣が鞘を探し求め始め、一時間の四分の一よりも短い時間で、事故が起きた。

 一人の人物が、ドジっ子ぷりを発揮したのだ。積み上がっていた瓦礫がれきの山を崩すというおおドジを。


 ドジっ子は、瓦礫の隙間からぴかぴか光る物を見つけた。ぴかぴかと光る物が、鞘か確認するために、瓦礫の一部を"えい! "と、引き抜いた。

 

 ドジっ子、属性とは。

 注意力散漫、運動音痴、あがり症、慌てものと。その様々な要因で、簡単な仕事でも失敗し、自滅していく。

 因果いんがを持ち合わせた人物。

 別名。

 ――面倒製造者トラブルメーカー! と人は呼ぶ。

 

 一発で引き当てた。

  

 瓦礫の山を微妙に支え、維持していた、重要な箇所を。



 砂粒すなつぶが頭に降りそそぎ、異変に気づき。上を見上げたときには、大量の瓦礫が!

 ――わたしに!

 完全に涙目になりながら、崩れ落ちてきている瓦礫を眺める。いや、眺めることしかできなかった。

 正直、こんなくだらない失態で、死ぬことになると思ってもいなかった。

 "もっと慎重に瓦礫を動かしてほしいです"と、心のなかで、言った罰なのか?

 まさか、まさか、まさか、まさかの四度目の死の恐怖。

 一度目は、ミノタウロスに遭遇したとき。二度目は、地面が崩壊して転落したとき。三度目は、ミノタウロスに、巨大な斧で真っ二つにされそうになったったとき。そして、最後の四回目は、自分自身で瓦礫を崩し――下敷きで、人生の幕を閉じることになる。 


 ……、……。


 ドジっ子は、命、拾いした。


 一人の人物と一振の剣によって。


 海月のように上下に浮いている剣は、ドジっ子を包み込むように、素早く幾何学きかがく模様が浮かんだ薄い膜を半円状に創り上げ、護り。

 崩れてきた瓦礫は、子ども独自の落ち着きのない胡坐かいていた人物が。両腕を上下左右に振ると、大気を切り裂く甲高い音と、ともに、瓦礫を砂の山へと変えた。

 一人の人物と一振の剣の息のあったコンビネーションで、ドジっ子の命は救われたのだった。

 そして。

 一人の人物と一振の剣は、くだした。

 ――捜索中止!

 

 

 そして、今にいたる。



「天然さんのドジっ子さんやな!」

「マスターは、どう思います。天然だからドジっ子なのか? それとも、ドジっ子だから天然なのか?」

「え!? なに、その、"鶏が先か、卵が先"、かぽい、質問」

「わたしとしては、因果性いんがせい葛藤ジレンマに、新しく一石いっせきを投じみました!」

「哲学者、先生たちに、怒られるわ!」

「……、……」

「「……、……」」


 一人の人物と一振の剣は、即席漫才をしたが……。観客は笑い声をあげることはなかった。漫才で重要な部分である"笑いどころ"が、"まったくどこか"分からないという致命的欠陥のあるネタを披露したことによる原因ではなかった。

 漫才を見ている人物は、一応、笑っていた。

 感情のこもっていない遠い目をしながら、口が少し開いた半笑で。


 ……、……。


 漫才を始めた張本人は、プチパニックを起こし。慌てて、相方である一振の剣に問いかた。


『おい! めっちゃ、ショボクレてるやん!』

『そのようで』

『なんで、あんなにショボクレてるんや』

『反省しているのでは。瓦礫を崩して、迷惑をかけてしまったことを』

『え!? そんなこと気にしてるかいな。あんなん、迷惑のうちに入らんやろ、今さら』

『そうなんですけど。ワートさんにとっては、深刻なことだったと、しか』

『デリケートなやな』

『一見、天真爛漫てんしんらんまんに見えますが。根は真面目な性格ですかね。マスターと同じで』

『はぁ! 俺は不真面目を売りにしてんねん!』

『はい、はい。言い訳してる暇があったら。優しく頭でも撫でながら、"気にするな"って言ってあげてください。ワートさんに』

『むぅい!』

『ガンバ!』 (えらく、動揺してますねぇ~)


 動揺が身体をぎこちない動きにさせた。左腕と左足、右腕と右足を同時に出しながら歩くという高度な指示。プチパニックを起こしながらも、肉体は、それを器用にこなし。

 少女に近づく。


 しかし。


 くせ、とは。

 いい意味でも、悪い意味でも、使用される単語。


 小さな体温が高い手で、腰まで伸びた赤茶色の髪に指が引っかからないように、優しくくしを通すように、触れ、撫でながら。

 

「気にするな、ワート」

  

 撫でられ、なぐさめられている人物は、呆然あぜんとした。

 

 いつもの独特のイントネーションでなく。柔和な一音、一音、の声音が脳を揺らす。それだけではなく、甘い香りが、鼻腔を刺激する。

 意識は朦朧もうろうとしていくのに対して、視線はしっかりと甘ったるい匂いにのもとへと、吸い寄せられるように、自然といく。

 そこには、小さい体躯の男の子。

 目つきが悪く、図々しいく、横柄な、悪ガキ。

 目線を合わせていると、次第に、小さな体躯の男の子が、一種異様いっしゅいようしていく。

 目つきの悪さが、凛々しさに。図々しさが、大胆さに。横柄な態度が、男らしさ。へと。

   

「……、アートさん」


 名前を呼ばれた人物は、躊躇ちゅうちょするどころか。逆に大胆に腰まで伸びた赤茶色の髪を手のひらにすくいあげ、一本、一本、の髪の感触を確かめる。手のひらで掬いあげた髪は、上質な糸、摩擦抵抗なく滑るように、手から流れて落ちていく。

 落ちた髪が、持ち主の顔の一部を隠した。

 隠された人物の表情を見るため、名前を呼ばれた人物は、一度、右手を対象の視界にあえて入れる。

 対象にこれから、いま、見せた手で触れるよ。という意思表示。

 爪で肌を傷つけないように慎重に、それでいて指は、鋭く獲物を捉えるように的確に顔の輪郭に。

 髪を優しく横へ。

 女性と呼ぶには、少し幼く未成熟、でも、魅力は十分。

 きめ細かい透き通る肌に、赤茶色の髪がアクセントになり、幼さが残っているが整った顔立ちに、空と海を想像させる蒼い瞳。

 あと数年すれば、男たちを虜にする美しい女性になる。

 ただ、熟すまで、まてなかった。自分の触れている少女の美しさに、そのうえ、実際の年齢よりも、発育のいい体躯。

 が!

 おとこの本能を呼び起こさせてしまった。

 微笑を浮かべながら、舌で唇を舐め、事の準備を終えると。

 整った輪郭に沿って指先でなぞる。

 少女の肉体の温度が上昇し、顔は紅潮こうちょうに染まる。

 指先があごまでなぞり終えると、少女の顎は容易たやすく引き上げられる。

 血の味がした少女の唇は、健康なピンクに戻っていた。

 眼前に居る人物の顔が近づくにつれて、ピンクから真っ赤な色へと濃く唇が、熟していく。

 

 ――食す!


 ……、……。


 やっぱり、アートさん。

 ――セクハラ大魔王。


「さっきまで、動揺してたと思ったら。どさくさに紛れて、また!」

「ほら、雰囲気が、さぁ~。イケ、てきな」

「その節操せっそうのなさで、何回、刃物沙汰になったことか!」

「男の勲章!」

「女の敵! Pね!」

「おま! 自主規制音入れたら、好き勝手、言っていいと思ってるやろ!」

「しP! 女の敵!」

「!? Pを前後させるな! 二文字やねんから完全に言っること、分かってまうやろ! よい子のみんなが、真似まねし始めたら。PPPのかた達から苦情が来て。さあ、たいへんなん、知ってるやろ!」



 つい先ほどまで、身体がくの字型に折れ曲がって、のたうち回っていたのが、嘘のように元気ハツラツに会話されています。

 アートさん。

 ほんとうに、反省するということをしない人です。 

 こんな人が、一二◯◯年前の大戦を終結させた英雄の一人と思うと。対魔大戦って、すさまじく、 しょうもない大戦だったのでは? と、ちょっと考えてしまいました。

 が!

 そんなわけもなく。

 著名な歴史学者の先生たちが、考察こうさつでしか、語ることができない。

 今日こんにちまでの歴史のなかで、最も重要視されている出来事。

 ――対魔大戦。



「へたぴぃー!」

「調子に乗んなよー!」

「そんなんじゃ~、ぜん、ぜん。あたりま、せ~ん」

「テメー! ケツの穴から突っ込んで、串刺しにして、こんがり肉にしてやっからな!」

「ほう、なら刺してみ~。お尻、ふり、ふり~」


 ……、……。 


 ウパニシャッドさんに、謝罪されてしまいました。

 わたし。

 自分の提案が、まさかこのような事態になるとは、予想外だったそうです。目の前で、堂々と行為を行う。

 ――大胆不敵。

 

 なんでも、すけこまし? な、ことを失念していたとか。

 アートさんが、わたしが瓦礫を崩して失意のどん底にいる姿を見て、一時的ですが動揺したように。ウパニシャッドさんも、頭は冷静だったらしいのですが、思っていたよりも動揺していた。とのこと。

 

 お二人に、またしても、ご迷惑をおかけしました。

 でも。

 ちょっと――かなり――すごく! 嬉しいです!

 

 

「おま! マジで、ケツの穴、狙ってくんな!」

「新しい"性"に目覚めろ!」

「自主規制音入れて、喋れ!」

「PPPが! なんぼのもんじゃー!」



 とんでもない下衆げすい言葉の掛け合いとは違い、目の離せない洗練された光景。限定された狭い空間で、一人の人物と一振の剣は。

 ――舞っていた!

 それは、見惚れてしまうほどだった。

 秒よりも、最も短い時間――刹那。

 剣と糸が幾度も交錯こうさくしていた。

 やいばが糸を擦り火花を散らすと、糸が反攻はんこうし刃を擦りながらつんざく悲鳴のような金切り音を鳴らす。

 互いに離れれば近づき、近づけば離れるを繰り返しながら、自分に有利な間合いの奪い合い、駆け引きを繰り返していた。

 まさに、一進一退、鬼気迫る攻防戦。

 だが。

 どちらも手の内を知り尽くした者同士の戦いは、徐々に激流から緩流かんりゅうへと流れが変わっていき、最終的には膠着状態こうちゃくじょうたいになる。

  

 そして。

 

 一人と一振の剣と同じように膠着状態になっている人物が居た。

 その人物は、緊張と弛緩しかんとで、ぽかんと口を開けていた。

 

 緊張は。

 瓦礫の山がそこら中あるなかで、一人と一振の剣が激しく暴れまわっていることに、対してである。今しがた、瓦礫の山の一つを自らの手で崩し、下敷きになりかけたのだから。

 骨身にしみる、その恐怖。

 

 弛緩は。

 現実、離れし過ぎた、一人と一振の剣との戦い。と、まったくと言っていいほどに、呆れ果てる会話の内容。

 にもあったが。

 飽きてしまったのが本音である。

 この人物の性格。

 ――天真爛漫てんしんらんまん

 その性格から最初は、ハラ、ハラ、ドキ、ドキ、した。あの高揚感が希薄になっていき、飽きてきてしまったのだ。

 その原因は。

 打って変わっての静寂せいじゃくにあった。

 ワートの眼前には。一人と一振の剣の間に蜃気楼が見えるだけ。

 先ほどまでの戦慄せんりつ驚嘆きょうたんさせる戦い。

 一瞬だけ姿を現したと思った瞬間、次にはその姿は消えており。入れ替わるように舞い散る火花と金属が擦れる独特の嫌な音が鳴り響く。

 肉眼では見えない、でも、聞こえてくる。そこに存在していることを雄弁ゆうべんに語る、リズミカルなステップおんと空気を切断するおと

 読み手を引き込むために、英雄譚で誇張こちょうされ表現される戦闘描写。それが、本の中から現実世界に飛び出し、実際に目にすることがあれば、誰もが感極まってしまう。

 闘い。

 命の賭けた熾烈しれつな闘争でありながらも、極めた者同士だからできる美しい闘争。

 ――舞闘ぶとう

 

 ……、……。


 ワートはグッと背筋を伸ばし、リラックスモードに突入した。ついさっきまで、子どもが絵本を呼んでもらっているときのように、食い入るように前のめりになっていた体勢を開放させた。

 アートとウパニシャッドが姿を現し、睨み合い、膠着状態になってから。もう、三分近く、時間が経過していたのだ。

 ワートは三分間も、睨み合っている一人と一振の剣を見ているだけ。

 

「ひま」


 漏れる本音。


 ワートの視線は地面に変更された。

 瓦礫の山を支えている部分を一発で、引き抜いたドジっ子の右手。その血管が透き通る白い肌の人差し指が、同じように白い肌の頬の右頬を軽く人差し指で、ノックしながら、思案する。

 数秒もしないうちに、頬に触れていた人差し指が、地面を這い始める。


「り、りきさく!」


 地面に人差し指が触れ、這い始めて、数十秒で。それは完成した。

 ワート画伯の画力が高すぎ、描かれた対象がはっきりと認識できない、が、ナニか? を描いたことだけが、存在した。

 四足歩行する生物であることは確認することができた。そして、口らしき部分から牙が二本、大きく強調するように描いてあった。

 

「男はみんなおおかみ


 と。


 呟きが、再開の合図となった。

 


 始まったみたいです。

 まぁ、先ほど同様に。

 わたしには、お二人の姿は見えてないんですけどね。見えるのは、舞い散る火花だけ。あとは、軽快な足音とくうを斬る剣の音。そして、お二人の会話を内容ぐらいです。

 しかし……。

 アートさん……。

 小さい体躯なのに頑丈です。どんな身体の構造しているでしょうか? ウパニシャッドさんの渾身の一撃を喰らってピン、ピンしてるって。

 ものすごい音だったんです。

 ワートさんの左脇腹に、柄頭つかがしらえぐり込んでいく、と、ほぼ同時に聞こえてきた重低音。

 聞こえたときに。

 あ! ワートさん死んだな。

 と、確信したぐらいです。

 なぜ? わたしが、ワートさんが死んだと確信したかと言うと。

 小さいときに、港に荷物が搬入される作業をお父さまと一緒に見学しに行ったときです。荷物が落下するという大事故が、発生したのです。そのとき聞いた、あのときと同じ音だったのです。

 猛烈な衝撃音と、ともに、揺れる地面。わたしは、お父さまに必死にしがみつくだけで、泣くことさえ忘れてしまうほどでした。

 幸いのことに大事故でしたけど、死傷者が出ない奇跡的な事故だったのですけど。事故現場は、悲惨なありさまでした。

 落下した荷物は大きく変形しており、落下した箇所は深く大きな窪みができていました。

 そんな体験をしている、わたし。

 が。

 目の前で……、同じ音を聞けば……。

 ――死んだな。

 と判断してもおかしくないのです。


 ……、……。


 実際、はたからしたら大事故でも。あの方たちからしたら、なんでもない、出来事なのでしょう。

 あの、調子、ですし……。

 

「ちょろちょろと逃げるんじゃねー! さっさと、串刺しになりやがれー!」

「ウパちゃん、えらい腕、錆びたなぁ~。剣だけに、なんちゃって!」

「ぜんぜん! おもんないんじゃー! それと、ウパちゃんって呼ぶなぁー!」


 師匠、口調が……。

 でも、ウパちゃんって。なんとなくですが、可愛らしいモノを想像させます。

 ウパちゃん。

 生命体、あえて身体の色は、桃色です。正面から見ると、つぶらな点のような、お目々。顔の両側には、得体のしれない、謎のひらひらがあり。さらに、両生類にすることで、キモかわく、し。水中でも陸上でも、のんびり、ゆったり、動くその仕草に、一部の人を魅力する生物。

 ――ウパちゃん、ここに誕生です!

  

 あ! 

 ウパちゃんで、思い出しました。

  

 アートさんは、セクハラの次は! わたしに対して、準なんちゃら罪をしようとしたから、ウパちゃん――師匠が体当たりして、阻止そししたそうです。

 簡単に言えば、キスをしようとしたところを、止めたということです。

 そのときに、"男はみんなおおかみ"だから気をつけなさいと。ウパちゃん――ウパニシャッドさんから注意されました。

 どういう意味なのでしょうか?

 肉食? 動物? ってことなのでしょうか? 男の人はみんな?

 あれ? 人って雑食だった気がしますが。

 偏食の人もいますし。

 これは、難問ですね!


 またしても、ワートは空想の海で泳ぎ遊び始めるのだった。



 ……、……。



「なぁ~」


 糸で剣撃を受け止めるながら、アートはチラッと、ある方向に目線を切り。ウパニシャッドに問いかけた。


「PP!」


 剣撃を受け止められているウパニシャッドは、力を込めた自主規制音で、答える。


「Pは、もう、いいから。それよりも、ワート……」

「ワートさんが、なんです」


 余裕綽々よゆうしゃくしゃくに、自分の斬撃をいとも容易く回避し、受け止める、あるじ。戦闘しているときに見せる余裕の表情ではなく、悪ガキが、おもしろい悪戯を思いついたときに見せる不敵な表情で。


「エライことになってんで」


 と。

 目線をある方向に向けながら、再度、主は問うた。


 ウパニシャッドは、主であるアートの不敵な表情に、やや不安を感じ。目線を向けている方向に意識を向ける……。


「へぇ、PーPさーん!」

「そこは、自主規制音。いらんやろ」

 


 生死をかけた追いかけっこが、いま、無事に終了した。

 空間のなかをかき混ぜる勢いで叫んだ、一振の剣の視線の先には……。

 PーPさんこと、ワートが……。

 地面にコロンと横倒しになりながら、生まれたての子鹿のように震え、両足を両手で抱え込むように押さえながら。

 泣き笑いという役者でも、難しい演技をしながら。


「いたい、いたい、ですぅ~。あし~が~。じん、じん、しま~すぅ~」


 と。


 救難信号ならぬ、救難音声を発していたのだった。

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