神神の微笑。わたしと十三番目の英雄

はちごさん

第一話

 少女の目の前には、黒い体毛を生やした獣と人の中間の姿の怪物が、巨大な斧を軽々と振り上げているところだった。

 少女にはその怪物が巨大な斧を軽々と振り上げている動作がスローモーションのように、詳細に認識できた。

 命の危機に対して脳がフル稼働していた。でも、少女にとってはそれは、恐怖を助長するだけだった。

  動かなかったのだ。

 ――身体が。

 命を失うという畏怖から少女は、逃げるために、両目を強く閉じ、神に祈る。

 少し、少しでも、苦痛なく死ねることを願った。

 ――が。

 神さまは、少女の願いを受け入れなかったのか……。それとも……、願いが天まで届かなかったのか……。

 否! ――心が拒絶した。

 少女の生存本能が死を拒んだ。どうにもできない受け入れることしかできない状況、神にすら死ぬなら慈悲の死を! と強く願った。が、死という未知の恐怖に少女の心は耐えれなかった。

 強く閉じた両目から涙が溢れ両頬の輪郭に沿って流れ、雫となり地面に向かって、ポツリ、ポツリ、と自由落下していく。

 死という結末を簡単に受け入れることができる者たちは、皆無に等しい。

 

 鋭い風切り音が少女の耳に聞こえてくる。

 その風切り音は、少女に対していの死へのカウントダウン。

 身体は硬直し、ありとあらゆる感情が混じり合う。そして最後に出てきた感情は、悔しさだった。それが無意識に、唇を噛み締めさせた。

 生きている証拠である。濃い赤い血液が唇から顎の下で涙と混じり合った薄い赤色の液体になりながらが、地面に落ちた。

 聞こえるはずのない音が少女には聞こえた。地面に涙と血液が混じり合った液体が触れた音。

 

 少女の死は――。


 ――来なかった。


 鋭い風切り音が止むと同時に、甲高い金属の衝突音が鼓膜を振動させた。

 驚きから少女は、固く閉じた両瞼を恐る恐ると開いていく。

 命を奪うためだけに、振り下ろされた巨大な斧が止まっていた。

 少女の眼前には、自分とミノタウロスの振り下ろした巨大な斧の間に、年端も行かぬ少年が立っていた。

 正確に言えば、年端も行かぬ少年が右手に持っている片手剣でミノタウロスの巨大な斧を交差させるかたちで、受けて止めていた。

 ミノタウロスは、凍ったように動かなかった。今、起こっている出来事に、ミノタウロスは驚愕していることが、手に取るように理解できた。それは、自分自身も同じように、凍ったように動けなかったからだ。

 

 ただし、内面は違った。

 ミノタウロスは、絶望を。

 少女は、希望を。

 ――見ていた。


 ミノタウロスの巨大な斧を片手剣一本。それも、ほんとうに片手だけで容易く受け止めている少年。

 呼吸を殺しミノタウロスは、少年に視線を引きずるように向ける。

 少女はそれを見て、なんとなく思ってしまった。

 自分の内面に湧き上がった希望という感情は気の迷いで、正しくは絶望だったのではないか……と。その理由は身体の反応が示していた。狂った心臓の打つ鼓動、死を恐怖し、死を覚悟したときりも、早く強く血管を流れる血。

 そして、背中を流れる一筋の冷たい汗が、少女に予感させた。

 多くの英雄譚で語られる。窮地になると颯爽と登場する英雄。では、なかったからかもしれない。年端も行かぬ少年なのは問題ではなかった。英雄譚のなかには、少年が英雄として語られている物語も存在している。

 しかし、この少年は完全に違うと確信できた。

 あからさまに身なりが――変! だった。

 ダボ、ダボ、な完全に身体のサイズに合っていない服。服を着るのではなく、服を纏っている。大人の衣服を無理やりに、子どもに着せた装い。

 現にズボンは少年の足の長さに合っていない。ズボンの股下からすそにかけておかしな位置で折れ曲がって、引きずっていた。

 さらに、上半身も同じだった。

 サイズが合っていないがために、重力によって後ろにずり下がり、少年の肩の一部が見えていた。衣服がぎりぎりのところで、少年の身体に引っかかって止まっているだけだった。

 その証拠に。

 ミノタウロスの巨大な斧を受け止めている右腕のそでは後ろに重なるように大きく後退している状態。さらに反対側の力を抜いてダラっとさせている左腕は、袖が余っているために、少年の腕は完全に袖によって隠されていた。

 衣服を着るという概念を意図的に壊しているようにさえ、見えてしまうほどに異質な着こなし。

 これだけでも十分過ぎるほどに、少女の不安感は上昇していく。

 

 少女は英雄譚が大好きだった。それでいつか自分も英雄になりたいと想い、冒険者という道を選んだ。

 その英雄譚のなかには、伝説の聖剣や魔剣や神々の武具などが登場する。もし、本当にそんなモノが存在するのなら、一度でもいいから見てみたいと憧れていた。


 その憧れは――砕け散った。


 少女が目にしている少年の持っている剣は、伝説の聖剣や魔剣や神々の武具と呼ぶには、あまりにも、生々しかった。

 少年の持っている剣は――生きている!

 刀身に青い筋と赤い筋が脈打つように交互に浮かび上がる。それは少年から、なにか? を吸収しているようだった。

 宿主の生命力を吸い己の生命力とする寄生虫。


 少女は――後悔した。


 現実的に考えれば。伝説の聖剣や魔剣や神々の武具と呼ばれるモノは、人智を超えた代物しろもの。よく、よく、考えれば当たり前のことだった。魔王を殺す聖剣や神を滅する魔剣。または、神々の武具。使用したことにより、都市が一つ地図上から消し去るほどの力を持ち得ると、英雄譚でも書かれてあったのにだ。

 聖剣、魔剣、伝説の武具と響きのよい、呼び名に自分は踊らされた一人なのかもしれない。真実を隠すための響きのよい呼び名という偽りに。

 

 自分が冒険者になる、きっかけになった英雄譚。無数にあり、物語も登場人物たちも、千差万別だった。ただ一つだけ共通して言えることがあった。


 それは――人智を超えた力の存在だった。


 物語に描かれる美しい文章で表現されているが、それほどの力を秘めたモノが、そんな生易しいモノではないということを痛感させられた。

 目の前に少年が持っている剣を見て、少女の不安感がさらに上昇していくのは当然のことだった。

 少年の持っている剣が。聖剣なのか? 魔剣なのか? はたまた、神々の武具なのか? 理解できないが、一つだけ理解できたことがある。


 それは――少年が人智を超えた代物を扱える人物だということだった。

 

 空間が、じわり、じわり、と湿気を帯びていく。

 少女は不安感から不快感に変わっていく。

 それは、ミノタウロスも同様だった。

 動きを止められていたミノタウロスが、急に叫び声を上げ、斧を剣から一旦離し、再度、遠心力を加えながら少年に向けて横薙ぎに振る。

 受け止めときよりも、より甲高い金属音が響く。

 少年は巨大な斧を受け止めることをしなかった。それどころか邪魔だと言わんばかりに、下から上に向かって剣を振り、斧を弾き上げた。

 その力の強さは圧倒的だった。

 ミノタウロスの頑強な巨体と大きな斧はその力に耐えることができなかった。ミノタウロスが尻から地面に倒れる。


「――!」


 少女はその光景を見て表情が引き攣った。

 ミノタウロスが尻餅をつく無様な姿。まさに、大人と子どもほどに――違う! 天と地ほどに歴然とした力の差。

 ミノタウロスは、尻を地面につけた状態から少年に目を見張る。少女も固唾を呑んで、凝視した。

 おもむろに、少年が剣を縦に振り下ろした、だけにしか見えなかった。

 ――けた。

 綺麗にミノタウロスの身体は二つに割かれた。左右に割かれた身体が右と左に傾いていく、それなのに二つに割かれた身体は、不思議なことに血飛沫一つ舞い上がることはなかった。

 二つに割かれた身体が地面に倒れ終わってから、ゆっくりとミノタウロスの大量の血液が流れ出だし、血の池ができた。


 少年は何事もなかったように、踵を返す。

 寝ぼけたような、虚ろな黒い瞳。脳に大量の酸素を送り込むために、長い欠伸あくびをしたあと。

 あまりにも現実離れしたできごとに、腰を抜かして動けない少女に、虚ろな瞳を合わせると。


「ここどこ?」

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