第八話 渺の人
「作者が自ら結末を書き換えようとは感心せんな」
ふたりが驚いて振り返った先に現れたのは、頭から顔まで覆い隠すような頭巾をまとった、見覚えがある男の姿であった。
「せっかくここまでお膳立てしてやったというのに、それを肝心の作者にひっくり返されては元も子もない」
「
自身の筆名を騙る男の唐突な登場に、
だが頭巾の男は彼女の声を聞き流して、キムの顔ばかりに目を向ける。
頭巾の隙間から覗く黒い瞳に浮かぶのは、生身の人間に注がれる視線と言うよりも、どこか骨董品や絵画を愛でる好事家のそれに似ていた。
「改めて見れば、さすが天女役を務めるに相応しい美しさだな。今少し艶があれば私の好みにもそぐうのだが、なかなかそこまで思い通りにはならんということか」
彼の手袋を被った指先が頬に伸びようとして、キムが慌てて後退る。そして彼女を庇うように、
「ちょっと、何を私のこと無視してるの」
長身の男を見上げる
「誰かと思えば天女の世話役か。申し訳ないが私は端役には興味がない」
そして顔を上げた彼がキムを見る視線には、対照的に純粋な興味に満ちている。
「こんなところで物語を終わらせてしまってはもったいない。お前が書いた『大洋伝』の結末は、もっと劇的で壮大なものだろう」
「やっぱりあなた、『大洋伝』を読んだことがあるのね?」
警戒した口調のキムに向かって、頭巾に覆われた男の口元が微かに笑みを浮かべたように見えた。
「私は『大洋伝』の一読者として、その行く末を見届けたい。ただ、それだ……」
そこまで言いかけた男の頭が、不意にがくんと下に引き落とされた。
「だから無視するなって言ってるでしょう!」
見れば男の頭巾の端をつかんだ
露わになった男の顔を、
王宮から脱出したあの晩は、ほとんど闇の中で彼の目鼻立ちまで捉えることは出来なかった。今目の前にする男の顔は、褐色を通り越して漆黒と言うべき艶やかな黒。一方で彫りの深い整った目鼻立ちや卵形の輪郭は、むしろキムに近い。
有り体に言えば、黒い肌の美青年である。
「やっぱり……」
男の顔を見つめる瞳をこれ以上ないほどに見開いて、
再び顔を頭巾で覆いながら、男が小さくため息をつく。
「肌の色がそれほど珍しいか。この世界で私は天女以上に目立つ。お陰で頭巾が手放せない、それだけが不便でならん」
「それは私のせいだわ。悪かったわね、
「……なんだと?」
その言葉を聞き捨てならないとばかりに、男の――
頭巾の合間から覗くのは、長い睫毛が被さった大きな黒い瞳。同じく黒いはずの
その瞳に目を合わせるとどこまでも吸い込まれてしまいそうで、
しばらく口もきかずに見つめ合っていたふたりは、だがそれ以上答えようとしない
「物語はここでは終わらない。私はひと足先に結末の地、
そう言うと
「お前たちも
はっと目が覚めたように
「なんなの、いったい」
「決まった位置を一定の力で押すと開くようになってるのね。きっとこれも、王宮の抜け道のひとつだわ」
中を覗き込んだ
やがて再び閉じた隠し扉の前で、
「何が『共に物語の結末を見届けよう』よ。いけ好かない奴!」
「ねえ、スイ。もしかしてローランの正体がわかった?」
そう尋ねられて、
「そう見えた?」
「だって『やっぱり』とか『私のせい』とか。見当はつけてるんじゃないの?」
すると
「『そこに住む人は皆、磨き抜かれた黒檀の如く黒い艶やかな肌を持つ、美男美女ばかり』」
唐突に、まるで文章を読み上げるかのような
「――何?」
「『
キムのような金髪碧眼に透き通るような白い肌も想像の埒外にあったが、
ただいざ書き出そうとして、さすがに読む人の想像を超えていると思い直し、文字に起こすことは控えたのである。
いわば作者だけが知る、伏せられた設定だ。
「あいつはまさにその通り、私の理想の異世界人だわ」
「
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