第二章 現世夢幻
第一話 上紐恕
例えば柱を彩る朱は鮮やかとは言い難い、むしろ光沢を抑えた色調で統一されている。中庭にも見栄えするような草木の一本も見当たらず、一面が武芸の稽古場に取って代わられている。唯一贅を凝らした装飾が施されているのは、来客が目にする正門から応接の間や客間のみ。人目に触れる範囲は装いつつも、それ以外は実用一辺倒という造りから、屋形の主である
屋形での振る舞いにおいても、
「いちいちそんな礼儀作法に則らなくて良い。儂は面倒なしきたりは苦手だ」
「それよりも、今宵は久々に天女と話す時間が取れる。酒席を共にしろ、
「畏まりました。後ほどキムと共に伺います」
恐縮しながら頭を下げる
「この者は天から降りて日も浅く、未だ右も左もわかりません。島主様の屋形に上げよというのであれば、今日まで彼女を世話していた我が娘も供をさせるがよろしいかと存じます」
「もしキムが屋形に上がるよう言われたら、彼女の世話役としてでも何でもいいですから、私も一緒に推薦してくださいね。絶対ですよ!」
島主の屋形に向かう前、
そこまでして島主の屋形に入り込んだ
「なんとしても屋形の書庫を覗いてみたい!」
この世界にまつわる史書を求めていた矢先のことなのだ。島主の屋形であれば、膨大な史書が蓄えられているに違いない。
「そうは言ってもそう簡単に入れてもらえるもんじゃないんでしょう?」
「色々と下々には明かされないような機密文書もあるだろうし、一般に公開されてるものじゃないからねえ」
キムが島主の屋形への出仕を命じられて、世話役の
こっそり忍び込むことも考えないではなかったが、今回は父の船に密航するのとはわけが違う。失敗した場合、下手をすれば
「というわけで、ここは正直にお願いに参りました」
「書庫に入る許可が欲しいだと?」
「それはいったいどのような理由だ」
「島主様、キムはこの世界のことをよく存じ上げておりません。内海周辺については我が家でもひと通りの知識を得ることは出来ましたが、キムはより深くこの世界を知りたいと申しております。そのために史書を拝読したいのです」
「史書か」
そう言うと
「しかしなんだな。儂は天女の話を聞くためにお前たちを呼び出したというのに、先ほどから口をきいてるのは
「申し訳ありません、島主様。私の記憶が未だ朧気であるため、元の世界についても満足に語ることも出来ず」
代わりにキムが頭を下げると、
「天女、いや、キム。お前が元いたという世界にももちろん興味はあるが、そもそもお前はこの屋形にいるだけで十分意味がある」
「屋形にいるだけで、ですか?」
「そうだ」
空になった杯に注ぎ足そうとする
「この
「そうは仰られましても、まず私は自分が天女であるという自覚が乏しいのです。そんな私が果たして島主様のお役に立てるかどうか」
「お前が自分のことをどう思おうが、それはどうでも良い。周囲がどう受け止めるかが肝要なのだ」
身も蓋もない言い様だが、
ふたりのやり取りが一段落したことを見届けてから、
「島主様、そういった意図であることは理解しましたが、その上で重ねてお願い致します。私たちふたり、書庫に出入りさせて頂くことは出来ないでしょうか?」
「ほう、挫けないな、
面白そうに見返す
「キムは元の世界で、私たちのこの世に関する物語を書き上げた覚えがあるそうです。その物語は手元にありませんが、史書を拝読すればその記憶もきっと蘇ることでしょう。島主様にもご満足頂ける話を語れるものと存じます」
「儂も満足するような話だと。大きく出たな」
「といっても書庫を完全に解放することまでは許可出来ん。その代わりといってはなんだが、書庫にある史書や類するものをお前たちの部屋に運ばせよう。これでどうだ」
「ありがとうございます!」
十分以上の回答を得て、
ふたり揃って平伏する様を見下ろしながら、
「そこまで大見得を切ったならば、よほど儂を唸らせるような物語を語ってくれるのだろうな。楽しみにしているぞ」
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