第三話 翠の妙案

 討伐軍は右填うてん一味のねぐらを正確に探り当てていた。迷わずにたどり着けたのは、案内人を務めたせんの手柄である。


 賊のねぐらは紅河の河口に程近いびん北岸の、内海に迫り出す複雑な岩肌の合間に張り巡らされて、まるで砦の様相を成している。その前で討伐軍は、大船団の威容を見せつけることで降伏を促すため、海賊が視認出来る程度の沖合に灯りを焚きながら布陣した。


 だがここでせんの不安が的中する。それまでの海賊たちと異なり、右填うてんは討伐軍に対して不服従の構えを取ったのだ。


 といっても正面切って戦いを仕掛けてくるようなことはない。彼らはそんな矜恃を持ち合わせていないし、そもそもそれは海賊の戦い方ではない。


 その晩、右填うてんたちが仕掛けてきた攻撃は、複数の小舟を繰り出しての夜襲であった。この辺りの海域は彼らにとっては庭同然である。しかも煌々と灯りを焚く大船団を目指す程度なら、松明を灯さずとも暗闇の海を渡ることなど児戯に等しい。


 音もなく忍び寄る賊たちが何隻かの船に取りついて、急襲を仕掛ける。夜闇を切り裂くような火矢が何本も射かけられて、船に燃え移る。慌てて火を消しに回る兵士たちの背後から、いつの間にかよじ登ってきた賊が斬りかかる。


 雲霞の如き大量の小舟に分けての賊の襲撃は、少なくとも初撃で討伐軍の狼狽を誘うことに成功する。


 だが討伐軍も、彼らの襲撃については十分に備えていた。


「鉄鎖を引け!」


 その掛け声と同時に、船と船の間を紐付けるかの如く、次々と海中から鉄の鎖が姿を見せた。松明に照らし出される黒々とした鎖が海上に立ちはだかって、隙間をかいくぐろうとした賊の小舟たちは次々と絡めとられていく。ある者は鎖になぎ倒されて海に投げ出され、ある者は小舟が立ち往生する間に矢を射かけられて命を落とした。


 先んじて船団の合間に忍び込んでいた小舟たちは、網の目のように張り巡らされた鎖によって大半が動きを封じられた。


 鉄鎖の存在に気づいた海賊の後続集団は正面からの侵入を避け、船団の左右から背後に回ろうとする。船団の奥深くにいるはずの旗艦を一気に襲撃しようとの算段だろう。だがその可能性を想定して、両翼に配置されたのは討伐軍の中でも最強のいつ水軍であった。


 いつの水軍はその勇名に恥じることなく、小舟に何倍もする巨船を手足のように操りながら、賊たちが背後に回ることを許さない。


 やがて賊たちは鎖に繋がれた大船団を丸ごと火の海にするべく、火矢を放つことに徹し始める。すると今度は「鉄鎖を切れ!」という号令の下、船と船を結びつけていた鎖が一斉に海に落ちた。


 同時に未だ大量に蠢く小舟たちの集団に向かって、大船団がこぞって前に出る。


 この動きをもってこの夜の戦いは幕を閉じた。


 なぜなら討伐軍が前進したと見るや、海賊たちの小舟は文字通り蜘蛛の子を散らすようにして退散し、あっという間に暗闇の中に紛れてしまったからである。


 ***


 一連の戦闘中、すいとキムは、旗艦の船尾に割り当てられた船室から一歩も外に出ることはなかった。


 蝋燭の明かりも火事になりかねないということで、室内を照らすのはわずかに船窓から漏れ入る星明かりのみ。ほとんど暗闇と言って良い船室の中で、外から聞こえる血生臭い喧噪に耳をそばだてながら、ふたりは身を寄せ合ってまんじりともしない夜を過ごしたのである。


「こんなのいつまでも続くなんて、耐えられない」


 ほとんど一睡も出来なかったすいは、睡眠不足以上に精神的に疲弊したらしく、目の下にはくっきりと隈が浮かび上がっていた。


「キム、『大洋伝』ではこの後どうなるの?」


 げっそりしたまま尋ねるすいに、キムもまた青ざめた顔で応じる。


「討伐軍はとにかく急いでリョウに上らないといけない。宰師は討伐軍がイツに集結してたって知らなかったからその分こっちは有利なんだけど、でもここまで来たらさすがにもう気づかれてる。ほっとくと紅河の水軍を集められちゃうし、いつまでも海賊相手と戦ってるわけにはいかない」

「うん」

「そこで討伐軍は、海賊たちを寝返らせるの。これが上手くいって、討伐軍はリョウまで足止めされることなく攻め上るのよ」


 敵を寝返らせるという作戦は、物語の上でなら簡単なことなのだろう。だが現実には、何か伝手でも無い限りは難しい。


「いや、あるじゃない」


 キムの説明を聞いて、すいには真っ先に思い浮かべた名前がある。


「海賊一味の中には、がくがいるんでしょう。寝返らせるっていうか、そもそもあいつは私たちの仲間よ」


 そもそもせんによれば、海賊の仲間に潜り込んだがくを通じて、これまで右填うてん一味と渡りをつけてきたというのである。敵方への潜伏者が役立つとしたら、まさにこのような状況こそだろう。


 もっともそのことを、父もせんもずっとすいに秘密にしてきた。それについてはすいは未だに納得していない。


「お前に喋ったら絶対に反対しただろうが」


 仕方ないだろうといったせんの言い訳は、かえってすいの怒りの火に油を注ぐだけであった。


「当たり前でしょう! お父様もせんも、なんだってがくにそんな危ない真似させて平気なのよ!」

「海賊に潜り込むって案は、あいつが自分でやるって言い出したんだよ!」

「だからってねえ!」

「いい加減にせんか」


 ふたりの口論を抑えつけるように押し黙らせたのは、上紐恕じょうちゅうじょの太い地響きのような声であった。


「いきなりすいが現れたかと思ったら、後から続いたせんと一緒に、あろうことか罵り合うとは。いったいどういう了見だ」


 ここは旗艦の、総司令官の室である。上紐恕じょうちゅうじょがひとりでいる時を見計らってすいが中に飛び込んだところを、せんが慌てて取り押さえようとしたのであった。


「島主様。天女様の思し召しにもかなう、妙案があります」


 改めて上紐恕じょうちゅうじょの前に跪いたすいは、そう言って話を切り出した。「おい、すい」となおも押しとどめようとするせんを、すいはきっと睨み返して黙らせる。


「天女の思し召しだと。申せ」


 その言い回しにぴんと来たのだろう。上紐恕じょうちゅうじょは彼女にその先を口にするよう促した。島主の言葉に頷いて、すいは面を伏せながら上申する。


「海賊の中に潜り込んでこれまでりんと通じてきたがくは、かつてせんと共に飛家に仕えていたひとりです。言うなれば私にとって下男も同然」


 下男呼ばわりされてることを知ったら、がくはどんな顔をするだろう。呆れ顔のがくを思い浮かべながら、すいはさらに言う。


「私が賊のねぐらに忍び込み、がく右填うてんをとっちめるよう持ちかけます。私の言うことなら、がくはふたつ返事で承諾するに違いありません」

「つまり離間の計か。ふむ」


 四角い顎に手を当てながら、上紐恕じょうちゅうじょは翠の提案を検討する。


 このままここに釘付けにされて、困るのは彼自身である。かといって右填うてん一味を見過ごして通過しようとすれば、背後から邪魔してくるのは目に見えていた。彼としては海賊が行動を控えてくれればそれで良い。すいの策が嵌まれば言うことはないのだが――


 上紐恕じょうちゅうじょすいの顔を覗き込むように顔を突き出した。


「しかしお前、ひとりで賊のねぐらに乗り込むつもりか? 奴らは女だからといって容赦するような輩ではないぞ」

「ご安心下さい。ねぐらに向かうのはせんも一緒です」

「俺も?」


 突然同行者として名指しされて、背後でせんが素っ頓狂な声を上げる。


 だがすいは彼の意向を確認もせず、上紐恕じょうちゅうじょに向かって念押しの一言を口にした。


「賊のねぐらを熟知するせんがいれば、がくの元まで安全にたどり着けるはずです。島主様、賊に計を仕掛けること、何卒お許し願います」

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