最終章 誰何創主
最終話 果てしなき妄創
正午というにはまだ早い頃合いの
無骨だが重厚な雰囲気を漂わせる、鷹揚とも鈍重とも取れるゆったりとした動きの巨船は
一望するだけでも色とりどりの船たちに負けず劣らず、埠頭に行き交う人々の姿もまた千差万別だ。
長身。短躯。白い肌かと思えば日に焼けた褐色の肌。丁寧に編み込まれた黒々とした長髪もあれば、頭を倍にするほどに巻きつけた頭巾の端から縮れ毛をはみ出す者もいる。瞳の色も明るい茶色から闇のような黒まで、この世界中の人間が揃っているといっても大袈裟ではない。
だがそんな多様な人間が集まる
「なんか、まだ慣れないなあ」
一歩足を進めるごとに物珍しげな視線に晒されて、キムの顔からは居心地の悪さが拭えない。その隣を歩く
「しばらくは仕方ないね。でも島主様も言ってたじゃない。いつまでも頭巾を被ったままでは息苦しいだろうから、そろそろ素顔を晒すことに慣れろって」
「それはわかってるんだけど、なかなかねえ」
落ち着かなさそうに周囲を見回して、たまに目が合う通行人には思わず微笑を返す。すると相手は滅法喜んで相好を崩すものだから、キムとしてはかえって恐縮してしまう。
「まあ島主様のことだから、
「本当に抜け目がないよねえ、あのお方は」
やがてふたりがたどり着いた先には、三本の朱塗りの帆柱が堂々と聳える、
「
「よう、
「
「勘弁してくれよ。それでなくても初の大役で緊張してるってのに」
未だ療養中の
そして今日、
「情けないこと言わないでよ。お父様は
「当たり前だろう。
言われるまでもないという
だがそんな風に
「おい、新米船長! お喋りしてる暇があったら、こっちに来て指示してくれよ!」
「ああ、はい、ただいま!」
古株の船員に呼びつけられて、
「本当に大丈夫かなあ」
一転して心配一色の
「初めての船長だから色々勝手が違うんでしょう。すぐに慣れるわよ」
「だったらいいんだけど」
ふたりが見守る間にも積荷は次々と積み込まれて、船の上では準備に慌ただしい。その様子をしばらく眺めながら、
「こうやって世界が無事に回ってるのを見ると、なんかほっとするよね」
そう呟く彼女の胸の内に、キムが天から落っこちて――もとい舞い降りて以来の一連の騒動の記憶が去来する。
いかに
「あいつも少しは頭を冷やしくれればいいんだけど」
ふと
「あいつって、ローランのこと?」
そう尋ねられて
「ねえ、スイ。もしかしてローランは生きてるって、あなたは知ってるんじゃない?」
真っ直ぐな目で問いかけてくるキムに、
「知ってるよ。だって
「……やっぱりそうなのね」
あっけらかんと認める
「私ね、リンに戻ってからずっと考えてたの。この世界を創ったのが私だとして、私がいた天を創ったのはローラン、そしてローランの故郷のビョウを創ったのはあなた、スイよね」
「創ったっていうか、掻き集めた知識をひとまとめに書き殴ったっていうか」
「だとしたらスイ。もしかしたらあなたは、あらゆる世界の創造主なのかもしれない」
その言葉を口にしたキムの瞳にゆらめくのは、もしかしたら世界の真理を目の当たりにしているのかもしれないという興奮と、そして少しばかりの畏れ。
さざめく海原のような瑠璃色の瞳に見つめられて、
キムの言葉の意味を咀嚼するかのような少女の素振りは、やがて破顔に取って代わられた。
「私が世界の創造主とか、そんなこと考えたことなかったなあ」
そして
「でもそんなわけないよ。だってこの世界には、まだ私の知らないことばかりだもの」
そう言って少女の手が指し示す先、目の前の飛家の船やその向こうで行き来する船影の合間のさらに奥には、青い空と水平線を境にしてまた異なる青に染まった海が広がっている。
その手の動きにつられて、空と海の境界にまで遠く目を向けていたキムに、
「
自分が世界の創造主であるはずがない。
「じゃあ、スイはいったい何者なの?」
思わずキムの口を突いて出たその問いには、飾るつもりも繕いもない。彼女の直截な疑問に対して、
「私が登場する物語が、きっとどこかの世界にあるんだよ」
「どこかの世界……」
その回答はキムにとって完全に虚を突かれるものだったらしい。
この世界でも天でも
「だってこの世にどれほどの人がいると思う? たとえ紙に書き出したりしなくても、誰だって一度は物語を妄想することはあるでしょう」
「するとその途端に新しい世界がひとつ出来上がるわけ。そして新しい世界の住人が、またそれぞれ妄想する物語がある。その先にもまたって考えたら、これはもう凄い勢いで数え切れないほどの世界が、今もまさに創り出されているんじゃないかな」
この世には無数の人がいて、同じ数だけ無数の物語が生まれて、そこから先に生じた世界でまた同じように物語世界が創り出されていく。膨大な数の物語が織り成す無限の連鎖は、どこでどう繫がっているのか想像もつかない。ただ数多の物語世界が満ち溢れているという事実に圧倒されるのみ。
「その中にはひとつぐらい、私が出てくる物語もあっていいと思わない?」
誰かが誰かの物語の登場人物であっても、少しも不思議なことはない。
真実を確信する表情に満ちたその黒い瞳に見つめ返されたら、キムはもう彼女の言葉に頷くしかない。
「――よくそんなこと考えつくわね」
感心半分、呆れ半分といったキムに、
そしてふたりが見守る中、準備を終えた飛家の大型船は三枚の四角帆を掲げて、いよいよ
埠頭を離れた船の船尾に立つ
間もなく中天に差し掛かろうとする陽の光の下で、湾内には数々の船たちが所狭しと行き交い、
やがて
(『天地妄創 ~天女が綴る異世界奇譚~』了)
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