第三話 使者と貴人
内海で覇を競う勢力はいくつもあるが、
内海最強と名高い
その
「話には聞き及んでおりましたが、真に黄金色の御髪に瑠璃色の眼差し。この
宴席の場で
「これほど見目麗しい
「全くですな。こうも美しい天女を迎え入れるなど、島主殿には神獣の加護があると申しても過言ではありません」
「加護など恐れ多い。ただ天女の美しさに目を奪われ、私の自儘でこの屋形にとどめ置いているだけです。いずれ神獣の怒りを買うのではないかと冷や汗しきりですよ」
「キムは口を開かないで良い」
宴席の前に、
「天女とは世話役を通じてしか会話出来んと、使者たちにはそう伝えてある」
「じゃあ、私も同席するんですか」
だが
「そういうことだ。そう嫌そうな顔をするな、これもお前たちの仕事だ」
そう言われては
といっても
案の定というか宴が始まってからここまで、
とりわけ『天覧記』を読み進めたい。
ふたりで並んで食い入るように読み入った『天覧記』は、まだ三分の一ほどしか読破していないものの、そこに書き連ねられているのは『天』と呼ばれる未知の世界について――言ってみれば『渺遊紀』と同じ異世界紀行文である。
作者が『渺遊紀』と同じ琅藍なる人物だというのであれば、それ自体はなんら不思議ではない。
「でもここに書いてある天なんて、聞いたことない」
この世に祀られる神獣と、神獣に仕える天女が住まう雲の上の世界。それが幼い頃から
だが『天覧記』に記されているのは、彼女の知る天とはかけ離れたものであった。
住人たちは天空に浮かぶ巨大な城の中で暮らし、城と城を隔てる空をものともしない通信手段があり、その間を空飛ぶ船が頻繁に行き交う……
「空飛ぶ船ですって?」
頁をめくる度に、キムの目尻が徐々に吊り上がっていく。半開きになった唇からは、時折り
『天覧記』が描く世界は、キムが元いた世界に酷似していたのだ――
「時に島主殿、ここ最近の内海の情勢をいかが思われますか」
宴の開始から半刻が経ち、そろそろ
「情勢と申しますと?」
「
酒杯を顔の前まで掲げながら、そう言う
「海賊ですか。我々の生業とは切っても切れない相手ですな」
「仰る通り、いくら叩いても湧いて出るのが海賊というものです。だがここ数年は連中も比較的おとなしかった。それは島主様もよくご存知のはず」
かつては飛家の船も、内海を往来するのは今よりもっと命がけであった。父や旋、鰐たちが乗る船を見送るため、幼い
それがここ数年にかけて海賊の襲撃はめっきり減って、以前に比べれば航海は格段に安全になった。
父も旋も何も言わないが、海賊との間に何らかの手打ちが成された結果であるということは、
なにしろ
ところが
「既にこのひと月で、我が国の商船が三度襲撃を受けております。いずれも大した被害が出る前に逃れてはおりますが」
「それは由々しき事態ですな。しかし名だたる
もっとも海賊は攻撃しようとすると瞬く間に逃げ去ってしまい、水軍が退却したと見るやどこからともなく集結して活動を再開する。そのために海賊の殲滅は存外難しい。
ここで口を差し挟んだのは、まるで秘事を告げようとするかのように口元を片袖で隠した
「それが島主殿。今回の海賊の跳梁には、いささか不審な点がございます」
「ほう」
「三度の襲撃はいずれも我らの都・
「……あの辺りで目立った海賊といえば、
「
「無論、連中への関銭は必要経費。それは重々承知しております。ところが奴ら、今回は我らの関銭を突っぱねて、問答無用で襲いかかってきたというのです」
そう語る
「どうやら奴らは関銭以上の確固たる収入源を得た――その可能性が高いと、
「そいつは不穏ですな」
杯を傾けながら、相変わらず
さっさと退出を命じてくれれば良いものを、
「不穏どころではない。
「
「その勢いをもって佞臣どもも
そう口にした
「島主殿、それは誤解というものです。我々は何も
あえて場の空気を無視した暢気な口調で、
「だが内海の治安は、
「なるほど、仰ることはごもっとも。賊を討ち内海の安全を取り戻すためであればこの
「では――」
「ですが」
喜色を浮かべかけた
「我が屋形には今、神獣の遣いである天女がおわす。その天女から、私はひとつ託宣を受けています」
そんなことをキムが口にしたことがあっただろうか。この屋形に滞在するようになって半月足らず、キムとはほとんど共に過ごしてきた
「いわく、次の託宣が降りるまで静かに時を待て。それが天女の思し召しです。ゆえに私からの返答は、今しばらくお待ち頂きたい」
いったいこの若い島主は何を言っているのだろう。おとなしく面を伏せながら、
要するに
こういう可能性を予期して、わざわざキムをこの場に引っ張り出したのか。ぬけぬけとした口上を一言も噛むことなく披露する
「
ようやく宴の場から退出する段になって、
なぜならキムの顔はこれまでにも増して白い、蒼白な表情に覆われていたのである。
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