皇女サマはお年頃 Ⅲ

「――ところで、今日シェスタに行こうって言ったのはどうして?」


 そして、唐突に話題を変える。


 この時刻からお忍びで出かけるのなら、わざわざ馬を走らせてシェスタまで行く必要はなかったのではないか。レムルの城下町だけでも、もっと近い町でもよかったろうに。


「まあ、けば分かるさ」


 デニスはそう答えて、不敵な笑みを浮かべる。――シェスタにはがあるのだ。


 リディアにはふと、ある考えが浮かんだ。


 城には先刻、プレナからの使者が来たばかりで、その国内で問題が起きていると聞いた。


 その時には人払いをしていたので、近衛兵であるデニスにも退室してもらっていたのだが、彼はもしかしたら、ドアの前で聞き耳を立てていたのかもしれない。


 そして、シェスタとプレナは、海を挟んで目と鼻の先だ――!


「プレナの方で、何かあったらしいな」


「ええ……。あなた、さっきの話聞いてたのね?」


「まあな」


 ――やっぱり、そういうことか。彼が「シェスタに行こう」と思い立ったのは、プレナでの非常事態を知ったからだったのだ。あの町で、対岸の小国についての情報収集をするのが目的なのだろう。



****



 ――しばらく城の敷地内を歩いていると、一番奥まった場所に剣術の稽古場はあった。


 大きなドアをひらいたデニスが、中でみずからの身長と同じくらいの長さの大剣を振り回し、汗だくになっている青年に声をかける。


「よお、ジョン。毎日、ご苦労なこったな」


「デニス、……姫様!?」


 手のこうで汗をぬぐいながら振り返った金髪ブロンドの大柄な青年――ジョンは、戸口とぐちにデニスだけでなくリディアまで立っていること、そして二人の身なりに目をみはった。慌てて大剣を鞘に収め、彼らのところに駆け寄る。


 ジョンは大柄だが、精悍せいかんな顔立ちは幼い頃と変わっていない。デニスも体格はいい方だが、背はジョンの方が高く、筋肉のつき方もジョンの方が厚い。特に、胸と二の腕あたりが。


「しばらくね、ジョン。帝国軍での鍛錬にはついて行けてる?」


「はい、何とか。――ところでお二人とも、その格好は? またお忍びで視察ですか?」


 訊ねる、というより確かめているように、ジョンは質問した。それには、リディアではなくデニスが答える。


「ああ、まあな。これからシェスタまで行くことになったんだ。お前も来るか?」


「お願い! 一緒に来てくれない?」


 同じ兵士仲間のデニスはともかく、姫であるリディアにまで懇願こんがんされ、ジョンは返答に困った。


 彼はリディアに「姫様、ちょっとお待ち下さいね」とニッコリ笑いかけ、デニスの腕をグイッと引っぱって小声で抗議する。


「おい、デニス。また姫様をそそのかしたろう! 姫様の頼みを、おれが断れないのを知っててわざと!」


 リディアにうやうやしい態度を取るわりに、一人称が「俺」のままなあたり、彼はリディアのよく知っているジョンのままだ。


 デニスは仏頂面のジョンを、「まあまあ」となだめた。


「ジョン、そんなにおこるなって。――まあ、確かにその通りなんだけどさ。今回はちょっと理由ワケアリなんだよ」


「何だよ、理由アリって?」


 ジョンがすかさず片眉を上げる。デニスの言い方で、今回はただの遠出ではないとさっしたらしい。


「それは後で話してやるよ。――で、どうするんだ? 行くのか、行かないのか」


 デニスはここぞとばかりに、ジョンにたたみかけた。トドメの一撃を食らったジョンは、とうとう降参する。


「……分かった。姫様がどうしてもっておっしゃるなら……」


 ジョンに見つめられたリディアは、とびっきり嬉しそうな顔をしていた。


「ありがとう、ジョン! あなたなら、きっと『一緒に行く』って言ってくれると思ってたわ!」


 デニスにうまく乗せられたとはいえ、リディアも確信犯だったらしい。ジョンは口にこそ出さないけれど、内心では「コイツら、そろいも揃って!」と呆れていたに違いない。


「それでは、姫様。俺は急いで宿舎に戻って支度をして参ります」


「ええ。じゃあわたし達は、厩舎きゅうしゃの前で待ってるわね」


「はい、姫様。ではのちほど」


 ――ジョンと一旦別れた二人は、城門の手前にある厩舎の方へとブラブラ歩き始めた。


「なあ、リディア。――お前、さ。ジョンのこと、どう思うよ?」


 ……は? 何を唐突に。リディアは戸惑う。


「えっ? どうって……」


「いやあ、アイツって色男だろ? だから、リディアの結婚相手としてはお似合いなんじゃないかと思ってな。ホラ、幼なじみだし」


「それを言うならデニス、あなただって同じ条件だと思うけど」


 彼だって、ジョンには負けるが端正たんせいな顔立ちだし(はだは少々浅黒あさぐろいが)、体格だってそこそこいい。幼なじみでもある。そして何より、リディアの想い人はデニスなのだ。


「というか、そんなこと、あなたが本心から言っているようには思えないんですけど」


「ああ、バレたか。本心じゃなくて、ただの場繋ばつなぎで言っただけだ」


「……そう」


 リディアには、それしか言えなかった。場を繋ぐだけの話なら、他にも山ほどあるだろうに。


(こうして見ると、デニスももう立派な大人の男性なのよね……。当たり前だけど)


 デニスだけでなく、ジョンもだ。背がグンと伸びて、声変わりもして。体格もガッシリしてきた。


 リディアも身長は伸びたけれど、それでも二人とは頭一つ分以上違う。話す時には、見上げなければならない。昔は身長だって、そんなに変わらなかったのに。


(……もう、子供の頃には戻れないのね)


 そう思うと、淋しさが増す。リディアが一人でしんみりしていると、隣りを歩いていたデニスが心配そうに見下ろして、顔をのぞきこんできた。


「……リディア? どうしたんだ?」


「ううん、何でもないわ。心配しないで」


 リディアは首をブンブンと横に振って、ニッコリ笑って見せたが、「あー、わたしってば可愛くない!」と内心では激しく後悔こうかいしていた。


(どうしてここで、「心配してくれてありがとう」の一言が言えないのかしら?)


 理由はきっと、照れ臭いから、である。


 デニスの方だって、特に気を悪くした様子はなさそうだし。幼い頃から一緒にいて、言葉にしなくても彼女の言いたいことは手に取るように分かるからだろう。多分。


「――あ、この髪留め、今も大事に使ってくれてるんだな。ありがとう」


 デニスがリディアの髪飾かざりに気づき、嬉しそうに微笑ほほえんだ。大きな手を伸ばし、それをいとおしそうにでる。


「ええ、もちろんよ。だってこの髪留めは、わたしの一番大切な宝物なんだもの!」


 リディアは幼なじみの仕草にドキッとしながらも、ゆたかな胸を張った。


 この髪留めは、デニスからの初めての贈り物。城下町の雑貨店で売られている、決して高価ではない品だけれど。当時十二歳だった彼女にとって、これをデニスが自分のために買ってくれたということが、どんな高価な装飾品よりも価値かちのあることのように思えたのだ。


 以来彼女は、この町娘の姿で彼と出かける時には必ず、この髪留めを着けるようにしている。

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