港町の悲喜こもごも Ⅰ

 デニスが見つけた宿は、海岸線のすぐ側にあった。


「いらっしゃいませ! ――あらあら、まあ! これはこれは姫様、ようこそおし下さいました!」


 よく太った陽気な宿のおかみは、リディア達三人が町人風の格好をしているにもかかわらず、いともあっさり正体を見抜いてしまった。もみ手せんばかりに、ニコニコと彼女らを出迎える。


「……変装、意味なかったみたいだな」


「そうね……」


 デニスとリディアは、そっとささやきあう。


 いくら服装を変えたところで、皇族のあかしである彼女の髪と瞳の色はよく目立つので、バレてしまったのも当然の結果といえよう。


 とはいえ、バレてしまったものは仕方ないので、リディアも愛想あいそよくおかみに挨拶した。


「おかみさん、今夜はお世話になりますね。――宿代やどだいは、一人につきおいくら?」


 すると、おかみは大慌て。


「とんでもない! 皇族の方からお代を頂くなんて、おそれ多いことはできませんよ!」


「そういうわけにもいかないでしょう? あなた方にだって、暮らしがあるんですもの。キチンとお金は払わせて。お願い」


 皇族だからといって、特別扱いされることが嫌いなリディアは、負けじと食い下がる。


 皇女の真摯な眼差しにこん負けしたのか、おかみはついに折れた。


「分かりました、姫様。お一人様につき、一泊一〇ガレ頂きます」


「じゃあ、三人だと三〇ガレね」


 リディアは財布さいふとして使っているきぬの袋から、銀貨を五枚取り出してカウンターに置いた。おかみにニッコリ微笑む。


「二〇ガレはチップよ」


「姫様、ありがとうございます!」


 リディアの心遣いに、おかみは心から感激した。


「お部屋はふた部屋お取りしますね。二階になります。お荷物、お運びしましょうか?」


「いえ、大丈夫です。それより、馬を預かってもらっていいかしら? あと、エサも」


「かしこまりました」


 おかみはこころよく頷き、別の客室で清掃をしていたらしい小間こま使づかいの男性を呼んだ。馬の世話は、彼に任せるらしい。


「では、姫様とお連れの殿方とのがた。客室へご案内致します」


 おかみの案内で、リディア達三人は二階の客室に通された。



****



 ――リディアは一人部屋、デニスとジョンは男同士で二人部屋を使うことになった。


 この宿では、食事は宿泊客と宿の従業員とが一緒に、一階の食堂でることになっている。


 この日の夕食の献立こんだては、パンに魚介類たっぷりのブイヤベース、それに大きなエビのし物。漁業ぎょぎょうで栄えている町なので、普段から魚介類を使った料理が多いらしい。


 リディアもジョンも、舌鼓したつづみを打ちながら料理を味わっていたが、食欲旺盛なデニスはというと……。


「ジョン、お前のパン分けてくんねえ?」


 自分の分のパンだけではりなかったらしく、ジョンの分のパンまで欲しがる始末しまつ


「デニス! みっともないから、そういうことはやめなさいって!」


 行儀の悪い彼を、リディアが小声でたしなめた。城内ですらみっともないのに、旅先でまで恥をさらすのはやめてほしい。


「パンのおわりなら、わたしがもらってきてあげるから」


「いえ、リディア様。俺が……」


 ジョンが気をかせてくれようとするが、リディアは「いえ、いいの」とそれを断る。


「わたしが行ってくるから。あなた達は、座って待っていて」


 この宿のおかみはプレナの出身だとデニスが言っていたから、パンのお代わりをもらうついでに話を聞こう、と彼女は考えていたのである。


「じゃあ、行ってくるわね」


 テーブルの上のバスケットを手にして、リディアはおかみのいる厨房ちゅうぼうへ足を運んだ。


「――おかみさん、すみません。パンのお代わりを……」


 声をかけたが、返事はない。どうしたのかとリディアが首を傾げると、おかみは物憂ものうげな表情で窓の外をじっと見つめていた。窓の外は、すぐ海だ。



「海の向こうは、プレナですよね」



「!? ……姫様! すみませんね、気づきませんで」


 リディアがすぐ側に行って再び声をかけると、おかみはハッと我に返る。申し訳なさそうな、それでいて少し悲しげな笑顔をリディアに向けた。


「ええ、わたし故郷こきょうです。二十年前にあの国から、ここへとついできたんですよ」


「二十年……ですか。あの国が今、大変なことになっているのはご存じですか?」


 リディアはそう訊いたが、この女性は多分知っているだろうなと思った。


「ええ、知っています。故郷の家族が、手紙で知らせてくれましたので」


「そうですか。ご心配でしょうね」


 彼女はきっと、この窓から毎日、海の向こうの祖国をながめては、故郷に残っている親族に思いをせ、無事を願っているのだろう。


「――あ、そうそう! パンのお代わりでしたね。おいくつ入れましょうか?」


 おかみはリディアが厨房までやってきた理由を、やっと思い出した。


「ええと、二つ……で足りると思います」


「少々お待ち下さいね」


 おかみはそう言って奥の食料貯蔵庫パントリーまで入っていくと、パンのかたまりを二つ、紙にくるんで戻ってきた。この国のパンは、特殊な製造方法によってカビがえにくいのだ。


「お待たせしました。お連れの方がお待ちでしょうから、お早めに持って行ってあげて下さいな」


 パンの包みをバスケットに入れてもらったリディアは、「ありがとう、そうします」とおかみに礼を言った。


「ではおかみさん、後ほどお部屋に伺っても構いませんか? 故郷のプレナのお話、もっと詳しく聞かせて下さい」


「……ええ」


 おかみが頷いたので、リディアは「失礼します」と彼女に頭を下げ、デニスとジョンの待つ食堂に急いで戻っていった。


 その後もリディア達は食事を続けたが、彼女がもらって来た二つのパンを、デニスがあっという間にたいらげたことは言うまでもない。



****



 ――夜のとばりが下りた頃、リディアは客室を出て、階下かいかのおかみの寝室へ向かった。


「まだ起きていらっしゃるかしら……」


 この国ではまだ一般的には流通していない懐中時計を確かめながら、彼女は呟く。


 時刻は夜九時。就寝するにはまだ早いと思うけれど、今日は急きょ皇族リディアが宿泊することになり、しかもつい先刻まで食堂ではさかりが行われていたので、おかみは給仕きゅうじやら後片付けやらでバタバタしていた。だから、もう疲れて休んでいるかもしれない。


 酒盛りの席では、リディアも手伝いを申し出たのだが、おかみからは困った顔で、「お客様に、それも姫様に手伝って頂くなんてとんでもない!」と断られた。


「ですが、姫様のお優しいお気持ちだけは、ありがたく頂いておきますね」と、おかみは嬉しそうでもあった。


(わたしって、そんなに優しいのかしら?)


 リディアは一階の暗い廊下を、左手に持つランタンのあかりで照らして歩きながら、首を傾げる。


 自分では、当たり前のことをしようとしているだけなのだけれど。民をいつくしみ、いたわることこそ、君主としての基本姿勢なのではないだろうか?

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