皇女サマはお年頃 Ⅴ

 ――悲愴ひそう感にひたっていたリディアが、再び左側をチラッと見遣ると……。


「あら? ジョンがいないわ」


 彼が乗ってきた馬だけがそこにいて、肝心かんじんのジョンの姿が忽然こつぜんと消えていた。


 ちなみに、デニスが乗ってきた馬もリディアが預かっているのだが、それはさておき。


「ジョン、どこに行ったのかしら……?」


 しばらくキョロキョロとあたりを見回していると、露店ろてんが並ぶ一画の方からジョンが大股に歩いて戻ってきた。手には何やら、小さな紙の包みを持っている。


「すみません、リディア様。お声もかけず、離れてしまって」


「本当だわ。心配してたんだから。どこへ行ってたの?」


 リディアが問うと、彼は手にしていた包みをスッと彼女に差し出した。


「これを、リディア様のために買いに行っていたんです。あちらの露店で見つけたので」


 ジョンは自分が来た方向を指さしながら、そう答える。


 リディアが受け取った包みを開くと、そこにあったのは小さな髪留めだった。木製で、港町らしく可愛らしい魚などの絵が、絵の具でえがかれている。


「ステキねえ……。これ、いくらしたの?」


 金額を訊くのも野暮やぼだが、彼がムリをして高価なものを買ってくれたのだとしたら、リディアとしては何だか申し訳ない。


「三ガレです。高いものではありませんが、俺からあなたに何かを贈ったことが、今まで一度もなかったもので……」

 ちなみに、レーセル帝国の通貨では銅貨が一ガレ、銀貨が一〇じゅうガレ、金貨は一レンスとなり、一レンスは一〇〇ひゃくガレに相当する。


「リディア様によくお似合いだろう、と思って。――ほら、リディア様は、こういう時のための髪飾りをお一つしかお持ちではなかったので……」


 頬を染めながら弁解するジョンは、さながら思春期の少年のようで。照れはたちまち、リディアにも伝染でんせんした。


「それがデニスから贈られた、あなたの宝物だということは分かっています。ですが、俺が贈ったものも、時々で構わないので使って頂けないでしょうか?」


「ジョン……」


 はにかみながら手を取ってくるジョンに、リディアは言葉を詰まらせる。――知らなかった。ジョンが、自分に好意を抱いていたなんて……。デニスの気持ちすら知らないというのに。


「ありがとう、ジョン。これ、大切に使わせてもらうわ」


 彼からの好意をどう受け止めればいいのかは分からないが、思いもよらない贈り物に対しては、リディアは素直に礼を言った。


 ――そこへ、デニスが戻ってきた。


「おーい、お待たせ! 宿決めてきたぞ……、お?」


 彼はリディア達に声をかけたけれど、そのままその場を動けなくなる。

 自分がいない間に何やらいい雰囲気ふんいきになっている彼女とジョンは、さながら美男美女のカップルのようで。何だか、あの間に入っていくのが気まずく感じられたのだ。


「あ、デニス! ご苦労さま」


 すると、彼の声がちゃんと聞こえていたリディアの方が、デニスに気づいてくれた。


「あ、ああ……。えっと、南の宿のおかみがプレナの出身なんだってさ。だから、そこに泊まることにした」


「でかした、デニス! ――ではリディア様、参りましょう」


「ええ」


 リディアとジョンの間の甘酸あまずっぱい空気は相変わらずで、デニスは何だか面白くない。


「なあ、リディア。――オレが離れてる間にジョンアイツと何かあったのか?」


 嫉妬しっと心むき出しで、デニスが問うてきた。


「え? 何かって……。ステキな髪留めを買ってくれたから、嬉しかっただけよ」


 変な勘繰かんぐりをしているらしい彼に、リディアは事実のみを打ち明ける。


「は? それだけで嬉しいのか?」


「嬉しいわよ。だってわたし、淋しかったんだもの。ジョンには何だか距離を置かれているみたいに思ってたから」


 そんな彼からの思いがけない贈り物。嬉しくないはずがない。


「リディア、まさかジョンのこと……」


「――え?」


「いや、何でもない。ああ、馬、預かっててくれてありがとな」


 デニスの様子が何か変だ。馬の手綱を引きながら宿に向かう途中、リディアはずっと、首を傾げていたのだった――。

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