皇女サマはお年頃 Ⅳ

「ただね、ドレスの時には着けられないの。何だか合わない気がして……」


 リディアは申し訳なさそうに、肩をすくめた。本当は、肌身離はだみはなさず(就寝しゅうしん時や入浴時などは除外じょがいして)着けていたいのだけれど。


「どうしてだ? 着ければいいのに。リディアの髪にえるのを選んだんだから、どんな服にでも合うはずだぞ」


 デニスはそう怒った様子もなく、リディアに言った。


 表面に可愛らしい花の模様が浮き彫りにされているだけの、茶褐色の髪留めは、確かに彼女の蜂蜜色の髪によく映える。けれど、華美かびなドレスと合わせてしまうと、この素朴な髪飾りは浮いてしまうのではないだろうか?


「そうかしら?」


「ああ。オレとしては、いつも使ってくれる方が嬉しい」


「……一応、考えておくわ」


 ――二人が厩舎の前に着くと、白のチュニックにネズミ色のベスト・茶色の革の下衣に革のブーツに着替えたジョンが先に来て、馬の毛並みを撫でていた。


「あら、ジョン。早かったのね」


 リディアは思わず目を丸くする。自分達はそんなにダラダラ歩いていただろうかと、デニスと二人で首をひねったけれど。


「はい。姫様をお待たせするわけにはいかないと思い、城内の近道を使用人の方に教わったんです。お二人よりも早く、ここに着けるように」


(近道? そんなものが、この城にあったなんて!)


 リディアは愕然がくぜんとなる。生まれてこのかた十八年間、このレーセル城で暮らしてきたけれど、そんなことは全く知らなかった!


「それはいいけど。ジョン、お前の荷物もたいしたもんだな」


 デニスはデニスで、ジョンの大荷物に呆れていた。


 リディアは女性なので、旅の荷物が多いのもまあ分かる。が、男のお前がなぜ!?


 ……いや、自体は、デニスのそれと何ら変わらない。問題は、鞘ごと背中にななめに背負しょっている大剣の方だ。


「それ……、持って行ってどうするの?」


 リディアも首を傾げた。デニスは近衛兵という彼の職務上、武器の携行けいこうは仕方ないし、彼の剣は身長の半分ほどの長さなので、旅に持って行っても邪魔じゃまにならないが、ジョンの武器は大きくて重量も相当なものだ。


 邪魔になるのはもちろん、町中で振り回せば大惨事さんじになりかねない。そもそも、こんなに大きな武器もの、使う機会なんてあるのか。


「まあ、『そなえあれば憂いなし』ですよ」


「はあ……、そう」


 何だかわけの分からないジョンの言葉に、リディアは引きつった笑顔で曖昧に頷くしかなかった。本人がどうしても「持って行きたい」と言うなら、「ダメです」と止めることはできない。いくら主でも。


(まあいいわ。わたしもデニスも、別に困らないし)


「――さて、そろそろ出発致しましょう。あまり出るのが遅くなると、着く頃には夜になってしまいますよ」


 ねえ姫様、と言うジョンに、リディアは懇願した。


「そうね。――ところでジョン、一つお願いがあるんだけど。この旅の間は、わたしのことを名前で呼んでほしいの。昔みたいに」


「はあ。では、『リディア様』と?」


「うーん……。まあ、それでいいかしら」


 一応は名前で呼んでもらえたので、リディアは納得した。けれど、内心では「〝様〟はいらないのに……」ともどかしく思う。


(ジョンも、もう少し砕けた態度で接してくれたらいいのに。デニスみたいに)


 ……いや、デニスの場合は砕けすぎか。あまりれ馴れしすぎるのも、どうかと思う。


(まあ、ジョンの場合は仕方ないわよね。家柄が家柄だし、彼自身もカタブツだから)


 そんなわけで、「姫様」と呼ばれないだけでもよしとしよう、とリディアは思った。


****



 ――三人はそれぞれ、三頭の別々の馬にまたがった。


 馬術は男女問わず、皇族や貴族のたしなみである。また、帝国兵をこころざす者が、一番最初に始める修行でもある。そのため、三人とも乗馬はお手のものだ。


 レムルにあるレーセル城から二時間ほど馬を走らせ、標高がそれほど高くない丘の頂上にさしかかると、そこからシェスタの港が見えた。町まではあと数分というところ。


「――ところでデニス。あなたが『シェスタに行こう』って言った理由、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」


 馬をり、手綱たづなを引きながら丘をくだる途中で、リディアが言った。何となく分かってはいるけれど、やっぱり思い立った本人から直接聞きたいと思う。


「俺も聞きたい。『今回の旅は理由ワケアリ』ってどういうことなんだ?」


 ジョンも彼女に同意した。出発前にデニスが、「それは後で話す」と言っていたことを覚えていたからである。


「――実は今日の午後、プレナからの使者が城を訪ねて来てたんだよ。国の中で、荒くれ者達がのさばってる、って。そうだったな、リディア?」


「ええ。その対処のために、帝国の力を貸してほしい、という話だったわ」


 デニスに念を押され、リディアは頷いた。ついでに補足もしておく。


「ああ、なるほど。……で?」


「シェスタとプレナは、目と鼻の先だ。それに、あの町シェスタにはプレナからの移住者も多い。だから、何か情報が仕入れられるかもしれないと思ってな」


 続きをうながしたジョンに、デニスは自分の考えを全て話した。リディアがげんぐ。


「今、お父さまは留守でしょう? だから軍は動かせないけれど、わたし達にできることを何かしたいと、わたし自身も思っているの。動くなら、早い方がいいと思って」 


 実際に話を聞いたのは、父のイヴァン皇帝ではなく彼女だ。責任感と使命感の強い彼女が、話を聞いただけであとは父に丸投げ……なんてことが、できるはずもなかった。


「姫様……じゃなかった、リディア様とデニスのお考えは分かりました。プレナで起きていることは、帝国軍の力を借りなければならないほど深刻な事態なのですか?」


 ジョンは納得したうえで、さらに首を傾げる。小国とはいえ、軍をゆうする国が他国に援護を求めることが理解できないようだ。


 リディアは静かに首を横に振った。


「詳しいことは、わたしにもよく分からないの。ただ、プレナは元々は都市国家で、軍の規模きぼもそれほど大きくないと聞いているわ。だから自国の軍だけでは対処しきれず、帝国に助けを求めてきたんじゃないかと思うの」


「そういうことですか……」


 その説明で、とりあえずジョンは納得してくれたようだった。 ――丘を下りきってしばらく歩くと、シェスタのにぎやかな町に入った。水平線に沈みかけた夕日が、港を薄紫色やオレンジ色に染めている。


「さて、まずは宿を見つけないとな。――おいジョン。オレが戻るまで、ここでリディアと一緒に待っててくれ」


 デニスがやたら張り切って、この旅を仕切り始めた。


「どうしてあなたが残らないの?」


「そうだよ。宿なら、俺が見つけてくるから……」


 リディアとジョンが抗議するが、デニスはあっけらかんと言ってのける。


「いや、お前が残った方がいいんだって。お前の方がデカいし迫力あるし、威嚇いかくになるからさ」


「「はあ!?」」


 彼の言葉に、リディアとジョンの二人は面食らった。リディアは心の中でツッコむ。


(一体,何に対しての威嚇よ)


 ……ああ、そうか。この町とプレナは、船での行き来ができるのだ。万が一、プレナの荒くれ者達がここに渡って来た場合のことを考えて、デニスはああ言ったのだろう。


「じゃあジョン、頼んだぞ!」


 ジョンが頷いたので、デニスはさっさと宿探しに言ってしまった。


「「……………………」」


 リディアとジョンが二人っきりになることはほとんどないので、二人の間には気まずい空気が流れていた。――いや、この日はいつもにして気まずかった。


(んもう! デニスがあんなこと言うから)


 ジョンのことをどう思うか、なんて! あんなことを言われたら、意識しない方がムリというものだ。


(わたしが好きなのは、デニスの方なのに)


 ジョンのことだって、何とも思っていないわけではない。彼もデニスと同じく、大切な幼なじみだ。それは決して変わらない。けれど。


 彼が自分のことを「姫様」と呼ぶようになった頃から、彼と自分の間に越えられることのない線が引かれているのだと、リディアは思うようになったのだ。もう、昔のような関係に戻ることはないのだと。

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