皇位継承…… Ⅳ

「しっ! 声が大きいわよ! ……これは、お父さまのご希望でもあるのよ。皇帝の夫になるんだから、あなたにも相応の役職を与えるべきだってね。受けてくれるでしょう?」


 リディアは彼をたしなめてから、声をひそめて理由を説明し、意志確認をした。


「もちろん、受けさせてもらいます」


 デニスは快諾した。が、こんなに軽い調子でいいのだろうか?


「他に、決めなきゃならない役職ってどんなのがあるんだ?」


「そうねえ。軍は今、将軍不在でしょう? だから、まずはそれね。そうなると、ふく将軍も新しく決めなきゃいけないわ。他は、留任りゅうにんでいいんじゃないかしら」


 人選は全面的にリディアに任されているのだ。なら、いま現在任にいている人物を据え置く、というのもアリなのではないだろうか。


「で、まずは将軍よ。あなたのお父様のガルシアどのか、ジョンのお父様のステファンどのかで迷っているんだけど。あなたはどう思う?」


 義理で選ぶなら皇帝の義父となるガルシアで、実力で選ぶなら統率とうそつ力に優れたステファンとなる。


「うーん……、オレなら父さんじゃなく、ステファン様を選ぶかな。バイラル家は代々、エルヴァート一族に仕える名家だし。父さんが将軍になったら、『〝皇帝の婿オレの父親〟っていう立場を忖度そんたくした』って思われるだろうし」


 まあ、息子の立場なら、自分の父親が「お情けで将軍にしてもらったのだ」と言われることが我慢ならないのだろう。


 それに、ジョンも父親のステファンも、代々将軍を務めてきた名家に育ち、幼い頃から英才えいさい教育を受けてきていて、剣術や武術にひいででいるのだ。適任といえる。


「そうよね。となると、副将軍は必然的にジョンってことになるわね。――どう?」


 彼が父親を補佐することになるのは、まあ自然の流れだろう。


異議いぎなし」


「決定ね。じゃ、とりあえずこれで、お父さまに任命状を書いて渡しておくわ。あとは、議会がどう判断するかだけど。まあ大丈夫でしょう」


「……その根拠のない自信はどこから来るんだよ」


 デニスは呆れるが、彼女が「大丈夫だ」と言えば何となく本当に大丈夫だと思えるから不思議だ。それこそが、彼女の一番の魅力なのかもしれない。


「まあいいや。――じゃ、オレはそろそろ宿舎に戻るよ」


「本当にいいの? 初夜までお預けで」


 こうもあっさり引き下がられるのは、何だか彼らしくない気がするが……。


「いいんだって。結婚すれば、いつでもそうなれるんだからさ。あと一月我慢すれば済むことだし」


「そうね……」


 赤面するリディアにキスをし、デニスはベッドから腰を上げる。


「おやすみ、リディア」


「……おやすみなさい」


 まだ若干じゃっかん赤い顔のまま、リディアは微笑んだ。


 こうして、一月後までのドキドキを秘めたまま、若い二人の婚約発表初日の夜はけていった――。



****



 ――リディアが提案した軍の人事案は、ものの数日の議論ののちに帝国議会で承認され、正式な任命状が発行された。そこにしるされた皇帝の名前は、〝リディア・エルヴァート〟。つまり彼女の即位も、承認されたということだ。


 リディアはその任命状を手に、軍の屋外演習場えんしゅうじょうへ赴いた。当然、デニスも同伴である。


 もうすぐ初夏だ。春のうららかな陽気より少し「暑い」と感じるようになってきた。


「――姫様、今日はどうされたのですか?」


 真っ先にリディアを出迎えた貫禄かんろく充分な長身の兵士――ステファンである――が、突然の皇女の来訪に目を瞠る。


 彼と年格好としかっこうが同じくらいの、もう少し恰幅かっぷくがいい男がデニスの父ガルシアだ。ここで演習を行っている若い兵の中には、ジョンの姿もある。


「帝国議会より、軍の新たな幹部の任命がくだりました。新皇帝として、ただ今より任命状を読み上げます」


 コホンと一つ咳をして、彼女は手にしている巻き紙を広げ、声に出して内容を読み上げた。



「『任命状。新皇帝リディア・エルヴァートの命により、以下のように任を与える。ステファン・バイラルに将軍、その子息ジョン・バイラルに副将軍、皇帝の伴侶はんりょデニス・ローレアに近衛軍団長の任を与え、その他の幹部は留任。なお、この任命は帝国議会の満場まんじょう一致を、承認されたものとする。』


……以上です」


 読み上げた後、リディアは一同を見回して訊ねる。


「どうかしら? みんな、受けてくれる?」


 デニスは言わずもがな、ジョンにも受諾の意志があると確認済みだが、ステファンは果たして受けてくれるだろうか? そして、ガルシアから不満は出ないだろうか?


わたくしめでよければ、将軍の任、つつしんでお受け致します。――ジョンにデニス、お前達はどうだ?」


「二人には既に、受ける旨は聞いているけれど。ね、二人とも?」


「父上、俺も受け入れます」


「オレだって」


 若者二人は頷き合う。ここで改めて断られたらどうしようかとリディアは心配したが、それは杞憂きゆうだったようだ。


 そもそも、ジョンが今までに彼女の頼みを断ったことなんて、一度もなかったのだ。


「――ガルシアどのは……、どう?」


 彼にも将軍になる資格はあったのに、何の役職も与えられなかった。何か不満が出るのではないかと、リディアは想定していたのだが……。


「異論はございません。まあ、わたしが将軍に選ばれなかったのは、正直くやしくはありますがね。せがれがリディア様の伴侶に選ばれただけで私は満足です。私はこれからも変わらず、あなたに忠誠を誓いますよ」


「ありがとう、お義父とうさま!」


 リディアは歓喜かんきした。彼には恨まれこそすれ、これからも自分に忠義を尽くしてくれるとは思わなかったのだ。


 彼となら損得なく、姻戚関係を築いていける気がする。


「――では、我々はそろそろ演習に戻らせて頂きます、姫様。――『姫様』とお呼びするのも、あと数週間ほどですね」


 ジョンがしみじみと言った。


「ええ、そうね」


 リディアは数週間後、正式に皇帝として即位する。そうなれば彼女は『姫様』ではなく『陛下』お呼ばれることになるのだ。


「俺に立派な任を与えて下さって、ありがとうございます。これからも父を全力で支え、リディア様のため、そしてこの国のために働かせて頂きます! ――では、失礼致します」


 ステファン新将軍を始めとする兵士達が、演習に戻っていく。それを見届けてから、リディアとデニスも城に戻ることにした。



「あなたのお父様には、悪いことしちゃったわね……」



 その道すがら、リディアはデニスに申し訳なさそうにポツリと漏らした。


「ああ、軍の幹部人事のことか? それなら、父さんはなんも気にしちゃいねえって。だからお前もそんなに落ち込むなよ」


「うん。だけど……」


 しがらみや慣習に捉われることなく、忖度なしで幹部を選んだつもりだが、実際はどうだろう? 自分の人選が果たして正しかったのかと、リディアは悩み始めたのだ。


「ガルシアどのったら、恨み節の一つも言わないであっさり引き下がるんだもの。余計に申し訳なくて」


「なに? 思いっきり罵倒ばとうされた方がよかったのか?」


「そういうわけじゃないけど」


 ガルシアだって、まだ小娘こむすめとはいえこれから仕える相手を罵倒するわけがない。


「父さんはさ、オレとリディアの結婚が決まっただけで嬉しんだよ。初めてオレをお前に引き合わせた時からずっと、お前のこと娘みたいに思ってたらしいからさ」


「そっか……」


 デニスもジョンも、リディアと同じくひとりっ子である。女の子に恵まれなかったから余計に、義理の娘ができることが嬉しくて仕方ないのだろう。――ただし、同時に自分が仕えるべき主にもなるのだが。


 三人が初めて出会った頃はまだ幼く、三人とも名前で呼び合う「友人」の関係だった。身分も関係なく、一緒に遊んでいた。


 一〇歳の頃からジョンとデニスは本格的に剣術を習い始め、思春期にさしかかった頃にはジョンから「姫様」と呼ばれるようになり、徐々じょじょに距離を置かれるようになっていった。


 リディアがデニスを異性として意識するようになったのも、ちょうどその頃だ。だからこそ、彼女はジョンではなくデニスから剣術と武術の特訓を受けることにしたのだ。


 そして成人した今――。三人の関係は大きく変わった。主と臣下であり、恋人同士であり、友人でもある。デニスとジョンは、リディアを巡ってのライバル同士でもあった。


 けれど、根本こんぽんは十三年前と何も変わっていない。三人が「幼なじみ」であるという事実だけは。多分、これからもずっと――。



「……リディア? どうしたんだ、黙りこくって」



 デニスが隣りから、心配そうにリディアの顔を覗き込んだ。


「うん、ちょっとね。あなたとジョンと出会ってからの、十三年間のことを想い返していたの」


 リディアははにかみながら、しみじみと語り始める。


「わたし達も成長して、三人の関係もすっかり変わったわ。でもね、根っこの部分はずっと変わってない。これからも形を変えながら、わたし達の関係はずっと続いていくんだなあ、と思って」


「父さんや陛下達みたいに、ってことか?」


「そう」


 イヴァン、ガルシア、ステファンの三人のように、自分達も。立場や地位を越え、子供の代まで交流を続けていけたら……。


「ジョンにも、いい結婚相手が見つかるといいよな」


「あら、案外早く見つかるかもよ? 何たって彼は色男なんだから」


 確か同じような会話を、少し前にもしたような気がする。まだそんなに経っていないのに、今となっては懐かしく感じる。



 戴冠式の準備も、婚礼の準備もほぼ終わった。あとは式典当日を残すのみ。


 

 その日、リディア・エルヴァートはこのレーセル帝国に新たな歴史を刻む――。

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