終 焉 ――未来へ――

 ――初夏の陽気の中、レーセル城に隣接する大聖堂にてリディア新皇帝の戴冠式、および彼女と新近衛軍団長デニスとの婚礼の儀式がおごそかに執り行われた。



 大司教だいしきょうより金色の冠を戴いたリディアは白地の絹に金色の刺しゅうが施されたドレスを身にまとい、深紅のマントを羽織り、頭には白のヴェールをかぶっている。


 このドレスは元々、彼女の亡き母マリアン皇后が父の元に嫁いできた時の婚礼衣装だったものだ。それを式典前夜、侍女のエマがリディアの体型に合わせて仕立て直してくれたのだった。


 デニスは近衛軍団の礼装姿。その左胸に、今日は金色の勲章くんしょうを身に着けている。皇族・エルヴァート一族の証となるものだ。


 祭壇さいだんの前で愛を誓った若き皇帝夫婦が大聖堂から出てくると、二人はたちまち歓声に包まれた。



「リディア陛下、万歳ばんざい! デニス様、万歳!」


「どうぞお幸せに!」


「この国の将来を頼みます!」



 民衆の歓声に手を上げて答える新皇帝リディアは、感無量だった。


 亡き母の形見かたみである婚礼衣装に袖を通し、最愛の人と一緒に愛する母国の君主になれた喜びは、何物なにものにもかえがたい。



「国民の皆様、ありがとうございます。わたしは必ず、あなた方との約束を果たします。ここにいる夫デニスと共に、この帝国を永劫えいごう栄え続ける豊かな国にして参ります!」



 声高こわだかに宣言する彼女を、再び人々の拍手と歓声が包む。


 隣りに立つ礼装姿のデニスも、今日は主役の一人なので誇らしげだ。


「オレと二人じゃないだろ?」


 彼がリディアの耳元でそっと囁いた。


「そうでした。ジョンも一緒よね」


 頷くリディア。彼ら親子にも、色々と協力してもらわなければ。


「――そういえば、スラバットのカルロス国王から、祝福の手紙が届いていたのよ」


「へえ……。何て書かれてた?」


 彼がこの国に来訪した時には、「リディアを狙ってきた」と一方的に敵視していたデニスだが、彼の大変な境遇を理解してからはそうも言っていられなくなり、嫉妬の感情などどこかへ行ってしまった。


「まだ国王に即位して間もないから、国内情勢が安定しない。なので儀式に伺えず申し訳ありません。お二人の幸せを心よりお祈りしております、って」


「そっか。あの国も大変なんだな」


 デニスもカルロス王に同情しているようである。


「ええ、そうみたいね。でも、あの方なら大丈夫よ、きっと」


「だからさ、お前のその根拠のない自信はどこから来るんだって。……まあいいや」


 デニスは呆れたけれど、それ以上ツッコむのはやめた。



「――あら、ジョン。珍しいわね、エマと一緒なんて」



 白い詰め襟で正装したジョンが、いつものメイド服と違って華やかなドレスで正装したエマを伴ってリディア達に祝辞を述べた。


「リディア陛下、デニス。まことにおめでとうございます。二人とも、俺の手が届かない人になってしまいましたね」


「そんなことないわ、ジョン。あなたはこれからもずっと、わたし達の大切な幼なじみなのよ」


 淋しそうな表情を浮かべる彼に、リディアは優しく微笑みかける。


「陛下……」


「そんな他人行儀に呼ばないで。前みたいに名前で呼んで」


 ジョンは「畏れ多い!」とためらったが、「リディア様」と今回も「様」付けで彼女を呼んだ。


(だから、敬称はいらないってば)


 リディアは心の中で抗議したが、もう諦めた。即位前ならまだしも、皇帝になった自分のことを、この生真面目な男が呼び捨てにできるはずがないのだから。


「――あのですね、陛下。実は私、ジョン様から交際を申し込まれたんです」


 エマが恐る恐る、リディアに衝撃の事実を打ち明けた。


「えっ、そうなの? よかったじゃない!」


 エマは前々からジョンに好意を寄せていたらしい。それにはリディアも気づいていた。


 けれど、ジョンの自分への想いも知っていたので、表立って彼女の背中を押すことができなかった。心優しいリディアは、ジョンを苦しめてしまうことを危惧きぐしていたのだ。


「はい! 私もジョン様と二人で、お二人に負けないくらい幸せになりますわ!」


 満面の笑みで答えるエマは、恋が実った喜びでち溢れている。それは結婚したばかりのリディアが見ても、まぶしいくらいだった。


「おいジョン。いいのかよ、リディアのこと諦めちまって?」


 男同士では、また違う会話がされていた。


「いいんだ。俺はとっくに、リディア様のことは諦めてるから」


 平然と言ってのけるジョン。彼の言い分はもっともだ。ここで「まだ諦めていない」と言えば、デニスから彼女を寝取るという意味になってしまう。


「エマに申し訳なくてな。身近に俺のことをずっと想ってくれてる女性ひとがいるのに、俺は彼女のことを見ようとしなかったから」


「それって……同情か?」


 彼女が可哀相だから交際を申し込んだのかと、デニスは片眉を上げた。


「違うよ。俺は改めて、エマの大切さに気づいたんだよ。だから彼女との将来を考え始めたんだ」


「そっか。エマを幸せにしてやれよ! じゃないと、オレはともかくリディアが許さないからな!」


 デニスがジョンの背中をバシッと叩き、叩かれたジョンも顔をしかめながらも力強く頷いた。



****



 ――その夜。城の大広間で催された祝宴しゅくえんもお開きとなり、リディアとデニスの若夫婦は元はリディアの寝室だった一室に戻った。今日からここは、二人の部屋となるのだ。


「あのさ、リディア。こないだから、一つだけ気になってたことがあるんだけど」


「なあに?」


 就寝準備が整ってから、デニスがベッドに腰かけるリディアの隣りに腰を下ろし、訊ねた。


「城下町でさ、お前がブチ切れたことがあったろ? オレがケガしてさ。その時、オレでもイヴァン様でもなく、ジョンの声で我に返ったのはどうしてだ?」


 嫉妬も少しはある。けれど、二人っきりになった今だからこそ、聞きたいと思った。


 そんな彼の思惑を見越して、リディアは笑う。そして、理由を話した。


「あれは、ジョンだけがあの時冷静だったからよ。デニスもお父さまも、感情的になっていたから」



「えっ、それだけなのか?」



「それだけよ」


 目を丸くしたデニスに、リディアはあっさりと頷く。


「他に何か理由があるとでも思ってたの?」


 眉をひそめて問うリディアに、デニスは「いや」と肩をすくめた。結婚してもまだジョンに妬いているなんて、かなりみっともない。


「――それにしても、あなたのタメグチはこの先もずっと変わらないんでしょうね」


「悪いかよ?」


 彼女の言葉を非難と受け取ったデニスは、口を尖らせた。


「ううん。だって、わたしにも一生変わらないものがあるから」


「……え?」



「あなたへの恋心は、これからもずっと変わらないから」



 そう言いながら、リディアは久しぶりにデニスの肩に頭を預ける。


「ところでリディア、とうとう初夜だけど。心の準備はできてるか?」


「ええ」


 甘さもへったくれもない誘い文句に、リディアはためらいなく頷いた。


 デニスはこの日まで、一月えた。ついに二人が本当の意味で結ばれる時がきたのだ。


「じゃあ、本当にいいんだな?」


「もちろんよ! 女に二言はないわ」


 実にリディアらしい言い方で、夫の気持ちに応える。そして、彼女はデニスと口づけを交わし、彼に身を委ねた。


 愛する人と一つになれる喜びと、それに伴う初めての痛みが、彼女を支配した。



 ――この初夜から一〇ヶ月後、夫婦の間には一人の皇子が誕生した。いずれ皇位を継ぐであろうこの皇子を、リディアは亡き弟の生まれ変わりかもしれないと思い、彼をジョルジュと名付けて大事に育てた。


 そのさらに一年後、もう一人皇子が誕生し、その子はブラウンと名付けられた。


 リディア皇帝とデニスの夫婦は生涯において、二人の皇子に恵まれた。


 

 そして、リディアの子々しし孫々そんそんまで、エルヴァ―ト一族が治めるこのレーセル帝国は、その後五〇〇年に渡り栄えたという――。


                     

                             

                                             ……めでたし めでたし。

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レーセル帝国物語 皇女リディアはタメグチ近衛兵に恋しています。 日暮ミミ♪ @mimi-3

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