港町の悲喜こもごも Ⅴ

「あっ、違うのよジョン! 今夜誘ったのは、本当にわたしなの。だから、デニスを責めないであげて! お願い!」


「リディア様……。それは本当ですか?」


 自分が嘘をつくわけがないと知りつつも確かめるジョンの目を真っすぐ見て、リディアは「ええ、本当よ」と頷いた。


「……分かりました。信じましょう」


「ありがとう、ジョン」


 宿の中に入ると、待ってくれていたのはジョンだけではなかった。おかみも、リディア達二人を寝ずに待ってくれていたのである。


「まあ、姫様! ご無事で何よりでした。このごろ物騒ぶっそうですから、何かあったのではと心配していたんですよ」


 まるで母親のようにきもを冷やしていたおかみにも、リディアは「ご心配をおかけしてすみませんでした」と丁寧に詫びた。


「さあ、リディア様もデニスも、もう遅いですから休みましょう。――ところでリディア様」


 ジョンが二人を客室に促しながら、不意にリディアを呼んだ。


「ん? なに?」


「もしかして、その髪留めは……」


 そこで、デニスが横槍よこやりを入れてくる。


「お前、やっと気づいたのか。優しいリディアはな、せっかくお前が買ってくれたのにこの町で使わないのは悪いっつってさ、わざわざオレと散歩に行く時に着けてきたんだとよ」


 何だか上から目線な物言いに、ジョンはカチンときたらしい。それとも、リディアとデニスとの間に流れている、微妙な空気の変化に気づいたのだろうか?


「リディア様、あの……。デニスと、何かあったのですか?」


(う……っ! ジョン、やっぱり鋭いわね)


 ジョンは幸い、リディアの後ろを歩いているため、彼女の表情は見えないはずだ。


「――別に、何もないわよ」


 一応ごまかしてみたけれど、ジョンは怪訝けげんに思ったのか、「本当ですか?」と疑っている。――やっぱり、かんづかれている?


「本当よ! ――言っておくけど、部屋に戻ってから、わたしのいないところでデニスに訊いてもムダだから!」


 リディアはジョンにくぎを刺した。こと、すっとぼけることに関しては天才のデニスだ。ジョンにどれだけ問い詰められても、うっかり口をすべらせることはないだろう。


「分かってます、リディア様。――では,おやすみなさいませ」


「ええ、おやすみなさい」


 二階に上がり、向かい合わせのドアを開けながら、リディアと男二人はこの夜二度目の就寝しゅうしんの挨拶を交わして別れた。


 もう一度寝間着に着替えたリディアは、たばねていた長い髪をほどき、髪留めをベッドのサイドボードに置いてベッドに潜り込み、目を閉じる。


 先ほど浜辺で起きたことは、現実だったのかしら? 夢だったら、明日の朝には全て消えてしまうの――?


 初恋が実ったという喜びは、時に不安にも変わるのだとリディアは知った。


「また眠れなかったらどうしよう……」


 明日の朝はクマだらけかしら、なんて思っていたリディアだが、デニスの想いを知ることができた安心感からか、意外にも朝までグッスリと眠ることができたのだった――。



****



「――おはよう、デニス、ジョン。今日も天気がいいわね」


 翌朝、身支度を整えてリディアが一階の食堂に下りていくと、デニスとジョンの二人は大欠伸あくびをしながら既にテーブルについて、朝食を待っていた。


「おはようございます、リディア様」


「おっす、リディア。昨夜ゆうべは眠れたか?」


 礼儀正しく挨拶だけ返したのがジョン、砕けた言い方で彼女の睡眠状態を心配してくれたのが、昨夜彼女と想いが通じ合ったデニスである。


 リディアは恋人デニスの隣りの椅子に座ると、ニッコリ笑って「ええ、ありがとう」と答えてから、ジョンに聞こえないようにこっそりとデニスに訊ねた。


「ところで昨夜のこと、ジョンに話していないでしょうね?」


「ああ、大丈夫だ。訊かれはしたけど、『何もない』で通したぜ。オレ、とぼけるのは得意だからな」


 答えるデニスの声も小さい。今が朝でよかった、とリディアは思った。もしも夜だったら、酔っ払い達の怒号どごうで二人の会話は成立しなかっただろう。


 酔っ払いといえば、昨夜ここで酒盛りをしていた客達は、まだ下りてきていない。酔い潰れてまだ眠っているのだろうか。


「――ところで、今日はどうするんだ?」


 そう切り出したのは、この旅の言いだしっぺであるデニス。厨房からは、何やら煮込み料理のいいにおいがただよってくる。


「そうねえ。おかみさん以外にもプレナ出身の人は大勢おおぜいいるようだし、他の人達からも情報を集めましょう。海賊のことなら、漁師さんとか商船の乗組員の人がいいわね」


「そうですね。では、朝食を済ませ次第、出かけるとしましょうか」


 そこへ、陽気なおかみの声が、食堂の入り口から聞こえてきた。


「みなさま、おはようございます! 朝食をお持ち致しましたよー!」



****



 出された朝食は、パンとボウル一杯のクラムチャウダー(具材はたっぷりのアサリやハマグリ)。


 もちろん、大食漢のデニスがこれだけで足りるはずもなく、どちらもお代わりしたことは言うまでもない。



****



 ――食事が済むと、三人は早速さっそく行動を開始した。港の近くに漁協や船乗りの組合が入る建物があるというので、ジョンは一人でそこへ行ってしまった。


 リディアとデニスは、入港してくる船の乗組員から話を聞くために、桟橋さんばしで待っていたのだが……。


「リディアの髪留め、昨夜のと同じだな」


 やや不機嫌そうに、デニスが言う。どうやら、恋敵ジョンから贈られた髪留めを彼女がしているのがお気にさない様子である。


「もう、デニス! 妬かないの! 別に、物につみはないんだからいいでしょう?」


「ハイ、そうっすねっ!」


 半ばヤケのように、デニスは吠えた。これでは、「妬いている」と認めているようなものだ。


(これで本当に、わたしと同じ十八歳なのかしら?)


 リディアは首を傾げる。同じ年齢なのに、ジョンとどうしてこうも違うのかしら、と。


 リディアもジョンも、しっかり者の部類に入る。ことにリディアは、一国の未来を背負う姫であるため、嫌でもしっかりせざるを得なかった。


 けれど、デニスはまだまだ子供のままだ。責任感は強いけれど、それ以外は……。


 ――にわかに、港周辺が騒然とし始めた。漁協の建物に行っていたはずのジョンも、何だか慌てた様子で桟橋の方に駆けてくる。


「どうしたの、ジョン? そんなに慌てて」


「姫様、それが……。対岸から妙な船が近づいてきていて。住民達が騒ぎ出していて」


「妙な船!?」


 対岸というと、プレナの方だ。


 その大きな一せきの船は、あっという間にシェスタ港に接岸した。


 マストには、黒地に白い骸骨ガイコツが描かれた大きなはたかかげられている。


「……! あれは、海賊旗ジョリー・ロジャー!?」


 その船は、まさしく海賊船だったのだ。

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