権力を持つ者、奪おうとする者 Ⅰ

 ――その翌朝。自室で早く目を覚ましたリディアは、ベッドから出てライティングデスクに向かっていた。彼女はインクを浸した羽根ペンの先を便箋に走らせ、せっせと一通の手紙をしたためているところである。


「――よし、これでいいかしらね。さて、あとは……」


 彼女は書き終えた手紙を四つ折りにしたところで、机の上の呼び鈴を鳴らした。


 

 チリンチリン……



「エマはいる?」


 すると、ドアが開いて、侍女のエマが入室してきた。


「はい。姫様、おはようございます。――何かご用でしょうか?」


「おはよう、エマ。朝早くに申し訳ないのだけど、この手紙を、兵士の宿舎にいるジョンに届けてきてほしいの。頼めるかしら?」


「ジョン様に? お急ぎでございますか?」


「ええ。お願い」


 エマはジョンとも面識めんしきがある。実は実家がご近所らしいと、リディアも聞いた。


かしこまりました。早速行って参りますっ!」


 エマはすぐに了承し、きびすを返すと急いで廊下を進んで行った。


「エマ、お願いね……」



 ――あの手紙の文面はこうだ。



『ジョン、おはよう。こんな朝早くにごめんなさい。


 実はスラバットのカルロス王子に関して、あなたに急ぎの用があるの。用件はわたしの部屋で伝えるから、急いで部屋に来てもらえないかしら?


 ジョン、お願い。人ひとりの命がかかっているの。あなたが来てくれると信じて待っています。 リディア』……



 リディアは、カルロスの身を案じていた。


 彼は今日、従者をともなって港町シェスタへ出かけると言っていた。けれど、伯父であるサルディーノ宰相は迎賓館に残るらしい。


 彼はスラバットの王の座を虎視こし耽々たんたんと狙っているのだ。そのために、自らの甥を手にかけることもいとわないだろう。


 彼は狡猾こうかつな男だ。自らの手を汚さずとも、シェスタまで刺客しかくを放つ可能性も充分考えられる。


 リディアは万が一の事態に備え、ジョンにカルロスの護衛を頼むつもりでいた。


「護衛」といえば、一番の適任者はデニスだが、彼はリディアから離れられない(もちろんここでは、「任務上」という意味で、である)。帝都に残ったサルディーノが、甥より先にリディアにきばをむく可能性もるのだ。


 そこで、リディアがデニスの次に「適任者だ」と考えたのが、ジョンだった。


 彼はデニスと同じく、リディアが心許せる幼なじみで腕も立つ。さらに生真面目で、口も堅い。まさしく、国賓を護衛するにはうってつけの人材といえる。


 ――しばらくして、ドア越しにエマの声が聞こえた。


「姫様、ジョン様をお連れしました。失礼致します」


「エマ、ありがとう。二人とも、どうぞ」


 リディアが促すと、ジョンとエマが入室してきた。エマは小柄なので、大柄なジョンの後ろにすっぽり隠れてしまっている。


「ジョン、わざわざ呼び出してゴメンなさいね。それも、こんなに朝早くに」


「いえ、俺は構いませんが。――それで、姫様。王子に関して急ぎの用とは?」


 リディアはジョンを真っすぐ見据え、呼び出した用件を話し始めた。


「あのね、ジョン。単刀直入に言います。あなたに、スラバットのカルロス王子を守ってもらいたいの」


 彼女は、昨日から抱いているサルディーノ宰相への懸念について、ジョンに話した。


「――というわけで、あなたには、今日シェスタへ行く王子の護衛をお願いしたいの」


「はあ、なるほど。ですが姫様、俺のような帝国の兵が護衛につけば、サルディーノが不審に思うのでは?」


 ジョンの疑問に、リディアは答えた。


「だから、表向きは〝案内役〟という形で同行して、陰ながらおまもりすることにすればいいんじゃないかしら。王子にだけは、本当のことを伝えておけばいいわ」


 昨夜の晩餐会の席で、「案内役の兵士を同行させる」とカルロス王子に言ったのだと、リディアはジョンにも話した。そして、それをサルディーノも聞いていただろうということも……。


「王子は、いつ頃出発されると?」


「わたしが聞いた話では、朝食後にたれるそうよ」


「では、俺も朝食が済みましたら、王子と合流することにします」


 それは事実上、彼が王子の護衛を引き受けてくれた、ということだが……。


「じゃあ、引き受けてくれるのね?」


「はい。姫様の頼みとあれば」


 彼はキチンと言葉でも、意思表示をしてくれた。


「ありがとう、ジョン! お願いね!」


 やっぱり、自分の人選は間違っていなかった、とリディアは胸を撫で下ろす。


「この分のお礼は、今月分の給金に上乗せしておくわね」


「いえ、姫様! お礼を頂く気はありません。――で、俺はどこで合流しましょう?」


「そうねえ……、厩舎の前でいいんじゃないかしら」


「了解しました」と言って、ジョンは一旦宿舎に引き上げていった。彼はこれからまた仮眠をとり、朝食を済ませなければならない。


 それにしても、こんなに早い時間から呼び出しても機嫌を損ねないジョンは、人間ができているなあとリディアも感心せずにはいられない。


「ふぁ~あ……」


 まだ日も昇っていない。思いっきり早起きをしたリディアは、あまり上品とはいえないけれど、大欠伸をした。


「眠そうでいらっしゃいますね、姫様」


「ええ。安心したら眠くなってきちゃった。今からもう一眠りするわ。朝食の時間になったら起こしてちょうだい」


「畏まりました。おやすみなさいませ、姫様。私はひとまず、これで失礼致します」


 寝間着姿のままだったリディアは、エマが退室した後に再びベッドに入ったのだった。



****



 その後一時間ぐっすり眠ったリディアは、エマに選んでもらったクリーム色のドレスに着替え、髪を一つに束ねて食堂に向かっていた。


 ポニーテールに着けたのは、愛しいデニスからもらった宝物の髪留めである。今まではドレスを着る時は使わずにいたけれど、いざ着けてみると思っていた以上にドレスとも合っていて、リディアも嬉しかった。


 食堂のテーブルに着き、給仕係が朝食の支度をしているのを待つ間に、父であるイヴァン皇帝が食堂に到着した。


「おはようございます、お父さま」


「おはよう、リディア。昨夜はデニスとお楽しみだったのかね?」


 父の言葉を聞いた途端、リディアの顔が真っ赤になる。


「おっ……、お父さまっ! 食事の席で下世話げせわな話はおやめ下さい! わたしとデニスは、まだそのような関係ではございませんわ!」


「ハッハッハ! 冗談だよ」


 娘の反応を楽しんだイヴァンは、豪快ごうかいに笑い飛ばす。その一方で、リディアは笑う余裕がない。自分が今言ったことの、ある部分が引っかかっていた。


(「まだ」は余計だったかも……)


 ――自分は果たして、デニスとそうなりたいと思っているのだろうか? もちろん、彼のことは愛しているけれど……。


 婚約を公にしてからなら、そうなっても構わない。でも、今はまだ早い。まだ当面は、このままでいい。


「――ところでリディアよ。カルロス王子は今日、シェスタへ行くと言っていたな」


「ええ。もうたれる頃だと思いますわ。案内役として、ジョンに同行するよう頼みましたけれど」


「ジョンに?」


 リディアの人選に、父は目を瞠った。


「はい。表向きは案内役ですが、密かに王子をお守りするように、と。あの方に何かあっては、スラバットの国民が困りますもの」


 そう言って、リディアはコンソメスープをスプーンで一口すくい、口に運ぶ。


「『何か』とは、サルディーノ宰相絡みのことかね? だが、彼は同行しないのではなかったか?」


「ええ、そう聞いています。ですが、彼が直接手を下さなくても、刺客を差し向けることも考えられますから。念のために」


 娘の言葉に、イヴァンはパンを食べる手を止め、「ふーむ……」とあごに手を遣りながらうなった。


「とすると、今度はそなたの身が危ないのではないか?」


「大丈夫ですわ、お父さま。わたしには、デニスがついていてくれますもの!」


 リディアは胸を張って断言する。それに、彼女自身も充分に強い。二人でかかれば、サルディーノなど恐れる必要はない。


「それは惚気ノロケか?」


「……ゴホッ」


 父の予期せぬ一言に、パンを食べている最中のリディアは思いっきりむせた。


「まあ大変! 姫様、お水をどうぞ!」


 給仕係の女性が水差しからグラスにそそいでくれた水を半分くらい一気に飲んで、リディアはやっと落ち着いた。


「ちっ……、違いますっ!」


「だから、冗談だと言っておろう」


 澄まし顔でのたまう父に、リディアはうらみがましく抗議する。


「お父さまが仰ると、冗談に聞こえませんから! 似合わないことはやめて下さい!」


「そんなに似合わぬか?」


 イヴァン皇帝は傷付いた顔をし、それからすぐに真剣な表情をリディアに向けて言った。

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