権力を持つ者、奪おうとする者 Ⅱ

「まあ、冗談はこのくらいにしておいてだな。――本当に、身辺しんぺんには気をつけよ。デニスがついているからといって、くれぐれも油断ゆだんするでないぞ。よいな?」


「はい、分かっています」


 リディアは深く頷く。サルディーノは、おそらく策士さくしだ。どんな手を使ってくるか分からない。


 少しでも隙を見せたら、あの男は容赦なく牙をむいてくるだろう。


「お父さまにやいばを向けることは、おそらくないと思いますが。念のため、お父さまも身辺にはご注意下さいませ」


「ああ、分かっている」


 帝国の権力ちからぎ落とすことが彼の狙いだとすれば、まずは目下もっかの君主である父の命を狙ってくる可能性も考えられる。


 とはいえ、元は有能な軍人であるイヴァン皇帝ならば、そう易々とやられることもないだろうけれど。


「――ごちそうさまでした」


 少々重苦しい空気にはなったが、朝食は済んだ。


「わたしは先に、部屋に戻っています。午前の謁見は、一〇時からでしたわね?」


「ああ、そうだ」


「では、その頃にまた降りて参ります」


 リディアは父に一礼して、食堂を出た。


 階段に向かう廊下の途中で、すれ違いざまに彼女に声をかけてくる者が……。



「や、これはリディア殿下。おはようございます。今日もお美しいですなあ」



(……! サルディーノ・アドレ!)


 つい先ほどまで、食堂で話題にのぼっていた要注意人物との遭遇に、リディアは動揺を禁じない。けれど、それを悟られてはいけないと思い、あえて平静を装った。


「おはようございます、サルディーノ様。カルロス様は、もうお発ちになりまして?」


「はい、つい先ほど。私は港町で美しい海を眺めるよりも、ここに美しい姫様と残った方が楽しいのですがねえ」


(よく言うわよ、白々しらじらしい!)


 サルディーノに内心毒づきながら、リディアはにこやかに相槌を打つ。


 彼が自分(もしくは父)の命を狙っているらしいことは、既に知っているというのに。この男は、まだシラを切り通すつもりだろうか?


「――そういえば、リディア殿下。あなたはカルロスとの縁談をお断りになったそうですな?」


「……ええ、そうですが。それが何か?」


 唐突に話題を変えたサルディーノに、リディアは一瞬たじろいだ。――この男は一体、何が言いたいのだろうか?


「いや、カルロスから聞きましてな。何でも他に想う相手がいるとか。――そう、近衛兵の。名前は確か、デ……、デ……」


「デニス……ですか?」


 誘導ゆうどう尋問じんもんに引っかかってしまったことは、リディアも分かっていた。が、彼の言わんとすることを知るためには、それも致し方ない。


「そうそう、デニスどのだ! 聞けば、殿下とその若者とは幼なじみなのだとか。子供の頃から親しかったそうで」


「ええ。……それが何か?」


 リディアは苛立ちを隠しながら、サルディーノに問い返す。いい加減、彼の回りくどい言い方にはウンザリしてきていた。


「あなたがデニスどのに抱いている感情は、本当に男女間の愛情なのでしょうか? 幼なじみへの情愛じょうあいを、愛と勘違かんちがいなさってはいませんかな?」


「……!」


(彼が言いたかったのは、これだったの!?)


 彼女はハッと息を呑んだ。いつかは誰かに言われると思っていた。そして、自分でも何となく思っていたことだ。「自分のデニスへの想いは、本当に恋なのか?」と。


 迷いはあったけれど、必死にそう思い込もうとしていた。でも、彼によく似たカルロスと対面した瞬間、自信が揺らいでしまったのだ。カルロスの、吸い込まれそうなくらい澄み切った瞳に見入ってしまったことで。


「そんなこと……、あるわけないでしょう!? わたしの彼への想いは、恋心で間違いございませんわ!」


 リディアは怒りをあらわにして、サルディーノに反論した。


「幼なじみへの情愛」というのなら、ジョンに対してもその感情は抱いている。けれど、デニスに対しての感情は、それとは明らかに違っていた。これだけは自信があるのだ。


 愛する人とでなければ、口づけなんてできない。現に、ジョンやカルロスとそういう仲になることを、リディアは望んでいない。


「お話はそれだけですか? でしたら、わたしは忙しいので、これで失礼致します」


 去り際、リディアはサルディーノに忠告した。


「サルディーノ様、これだけは申し上げておきますわ。権力におぼれる者は、いずれ自らの権力にほろぼされるでしょう。お気をつけ下さいませ」


 不敵な笑みを浮かべ、彼女は階段を上がっていく。サルディーノは苦虫をつぶしたような顔をした。



****



 ――これで、リディアのサルディーノ宰相への怒りや敗北はいぼく感が収まったかと思いきや。



「もう! 何なのよ、あの人!? 頭に来るわ!」



 自室の中の執務づくえに座った途端、彼女は彼女らしくない口調で怒りを吐き出した。


「リディア、どうしたんだよ?」


 これには、昔から彼女のことをよく知っているデニスも、目を丸くした。


 侍女であるエマも、めったに見ることのない主の取り乱しように茫然ぼうぜんとしている。


「ひっ、姫様? 何があったのですか? 『あの人』とはどなたでございましょう?」


「サルディーノ宰相よ! サルディーノ・アドレ! わたしのデニスへの恋心を、『幼なじみへの情愛を勘違いしているんじゃないか』って言ったのよ、あのハゲオヤジ! あ~もう、腹立つ!」


 ここまでくると、もはや暴言である。デニスも、さすがにこれには「ハゲオヤジって……」と苦笑いするしかなかった。


 リディアは自分がこんなにも腹を立てている理由を自覚している。そして、デニスに言えないでいる。


 サルディーノあの男に、痛いところをつかれたから。デニスへの恋心に自信がないことを見かされて。


 彼には確か、警戒けいかい心を抱いていたはずなのだが。恐れというか。その感情は、を越すと〝怒り〟に変わるのだろうか?


「――エマ、悪いけど紅茶をお願い」


「畏まりました」


 謁見までは、まだ充分に時間がある。お茶を楽しむくらいの時間的余裕はあるだろう。


「――そういや、ジョンは今日、あの王子の警護だって?」


 紅茶を待っている間、レーセル帝国の分厚ぶあつい歴史書を広げ始めたリディアに、デニスが訊いた。


「ええ、そうだけど。どうしてあなたが知っているの?」


「朝メシの後、本人アイツから聞いたんだよ。『姫様から直々に頼まれたんだ』ってな。――あれ? ひょっとして、オレが知ってたらマズかったか?」


「ううん。あなたが知っていても、別にわたしに不都合はないわ」


 ジョンならば、必ず友人であるデニスには話すだろうと、リディアも思っていたのだ。


 不都合があるとすれば、サルディーノの方だろう。リディアへのまもりが厳重げんじゅうになる分、暗殺がやりにくくなるのだから。


「あの男は、わたしの命を狙ってくるかもしれないの。だからデニス。わたしのこと、ちゃんと守ってね。お願い」


「当たり前だろ。そのためにオレがいるんだからさ。いざって時には、オレが盾になってやるよ」


「……そんな悲しいこと言わないで」


 デニスの言ってくれたことは、とても嬉しくて頼もしいことのはずなのに。リディアは表情を曇らせた。


「盾になる」ということは、彼が自分の代わりに犠牲ぎせいになるということだ。――そう思うと、素直に喜べなかった。


「分かった分かった! オレの言い方が悪かった! オレは簡単にられたりしねえから! だから安心しろ、なっ?」


「……本当に?」


「ああ、本当だって」


 泣き出しそうな顔をしていたリディアは、デニスの返事を聞いて安堵した。


 彼のいない未来なんて考えられない。彼を失ってしまったら、もう永遠に立ち直ることはできないだろう。――そう思うと、リディアは改めて自分の気持ちに自信を持つことができた。


 デニスへの想いは紛れもなく、正真しょうしん正銘しょうめいの恋心だ、と。


「――ところでそれ、何を読んでるんだ?」


 デニスに問われ、ページから顔を上げたリディアは答えた。


「これは、この国の歴史書よ。わたし、昔から時間が空くとね、こうして少しずつ目を通すようにしているのよ」


 そして彼女はまた、読んでいたページに視線を落とす。



 ――このレーセル帝国には、建国けんこくから実に四〇〇年の歴史がある。


 建国して二〇〇年ほどの間は、いくさによって皇帝が決められていたという。そのため、短命で王朝がコロコロ変わり、政権が安定しなかった。


 レーセルが国として安定するようになったのは、二〇〇年前にリディアの先祖であるエルヴァート家の当主・ピエール一世いっせいが政権を取ってからだ。以降、この国は代々エルヴァート一族が治めており、女帝が君臨するようになったのもこの二〇〇年の間のことである。

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