レーセル帝国物語 皇女リディアはタメグチ近衛兵に恋しています。

日暮ミミ♪

序 章 ――皇女と二人の幼なじみ――

 ――三人は、幼い頃からいつも一緒に過ごしてきた。


 デニス、ジョン、そして……皇女プリンセス・リディア。リディアはこのレーセル帝国の現皇帝、イヴァン・エルヴァートの一人娘にして、第一皇位継承けいしょう者。つまりは、女子でありながら次期皇帝という身である。

 

 この国では今まで、女性の君主くんしゅも当たり前のように君臨してきた。それは皇族と国民の距離が大変近しく、たとえ女帝であっても広い心で受け入れる国民の寛大さゆえのことだった。

 

 そして、デニスの父もジョンの父も、イヴァン皇帝につかえる兵士であったため、三人の子供達は身分を越えた「幼なじみ」の関係になったのである。……それはさておき。



****



「――ねえデニス、わたしにも剣術を教えてくれない? それから、体術も」

 

 それは、三人が十二さいになった頃の春のこと。

 

 お忍びで町娘まちむすめ格好かっこうをしたリディア姫が、幼なじみのデニスにそうたのみ込んだのだ。

 

 デニスは十歳の頃から、元帝国兵が開いている剣術鍛練所たんれんしょで剣術を習っていたのだが。


「ええ? 剣術と体術って、なんでまた」

 姫にそんなものが必要なのか、と彼は首をかしげた。


「だって、わたしは将来皇帝になるのよ。たみを守るのが皇帝のつとめでしょう? だったら、まずは自分の身を守るすべを身につけなきゃいけないはずでしょ!」

 

 リディアの真摯しんし眼差まなざしと、その熱意に負けたデニスは、「分かった」とうなずく。


「お前がそこまで言うなら……。ただし、姫様相手あいてだからって、手加減かげん一切いっさいしないからな。覚悟しとけよ」


「もちろんよ! 女に二言にごんはありません」

 

 リディアは彼をっすぐ見据みすえたまま、力強く頷いた。

 

 ――こうして、デニスを師匠ししょうに迎えての、皇女リディアの剣術・武術の特訓の日々が始まった。



****



 ……それから一ヶ月後。

 

 カーン! キーン!


 レーセル城うら一画いっかくで、リディアとデニスが剣をまじえるたびに、金属音が鳴り響く。他に聞こえるのは、二人の激しい息づかいのみ。

 

 ――そして。

 

 カキーーーーンッ!

 

 リディアの剣が、デニスの手にしていた剣をはじき飛ばした。剣はそのままくるくる回転し、土の地面に突き刺さる。


「リディア、まいった! 降参だ」

 

 丸腰になったデニスが、白旗をげた。息を切らしながら、リディアは剣をさやに収める。彼女のポニーテールが、風にれた。


「情けないなあ。そんなことで降参してたら、ガルシアどのにしかられるわよ」

 

 彼女はあきれたように、半目で「師匠デニス」を見た。ちなみに、「ガルシア」とはデニスの父の名前である。


「いやいや。リディア、お前腕上げたなぁ」


「……そう? ありがとう」

 

 デニスにめられ、リディアはうれしいやら照れ臭いやら。


「……あなたの教え方がよかったからよ。いつも手加減なしで、熱心に教えてくれるから……」

 

 リディアは「ありがとう」と、もう一度デニスに礼を言った。彼の熱意にこたえるためには、自分自身も本気でかからないと相手に失礼だ。


「――そういや,なんでオレに教わろうと思ったんだ? 剣の腕なら、オレよりジョンの方が上なのに」

 

 地面に刺さったままの自分の剣を引っこ抜きながら、デニスはリディアにいた。

 

 実際、剣術鍛錬所でもジョンの腕はずば抜けている。それこそ、デニスなんか足元にもおよばないほど。


 そのことは、この国の皇女である彼女の耳にも入っているはずなのだが……。


「ジョンは確かに腕は立つけれど、誰かに教えるような部類の人じゃないわ。それに、わたしはデニスに教わりたかったの。どうしても」

 

 リディアはデニスの茶色いひとみを見つめて、そう言った。

  

 彼女はもうだいぶ前から、彼に好意を寄せていたのだ。そして、彼もまた……。リディアはまだ気づいていないけれど。


「――ねえ。デニスも将来、お父様みたいに帝国兵になるの?」


 侍女じじょに持って来させた紅茶を飲みながら、リディアはデニスにう。


 二年前に剣術を習い始めてから、彼の体つきは少しガッシリしてきたように見える。まだ十二歳なのでそれほどでもないが、あと五~六年もしたら屈強くっきょうな兵士にもなれそうだ。


「ああ。さすがに、父さんみたいなバリバリの軍人にはならないけど。お前をすぐそばで守りたいから、近衛兵このえへいに志願したいと思ってるんだ」


 まだ声変わりしきっていない声で、彼は答えた。


「近衛兵……、ね。いいんじゃない? わたしも、あなたが守ってくれるなら頼もしい」


 リディアは目を細める。何より、大切な人が自分のすぐ側にいてくれるのが嬉しくて。


「でも、お前はオレに守られる必要ないかもな」


「ちょっと! それ、どういう意味よ!?」


 デニスの軽口かるくちに、リディアは眉をね上げた。


「お前は充分じゅうぶん強いから。オレが守るまでもないかな、って思っただけだよ」


「う…………」


 あっけらかんと言ってのけるデニスに、図星をつかれたリディアは言葉をまらせる。


「まあでも、仕事ならちゃんとやるよ。お前のこと、ちゃんと守ってやるからさ」



 渋々しぶしぶ、という口調くちょうで言うわりに、彼の表情が心なしかはにかんでいるようにリディアには見えた。


「……それはどうも。そんなことより、デニス。あなたのその横柄おうへいな態度、何とかならないの? わたしは皇女なのよ。せめて、敬語くらいは使ってほしいものだわ」


 いくら幼なじみだからといって、自分の身分はわきまえてほしい。リディアはそううったえかけるが……。


「それはムリだな。いくら皇女だからって、幼なじみに敬語なんか使えるかよ」


 デニスにバッサリり捨てられた。  


 せっかく親しくしていたのに、敬語で話したら壁ができてしまう。……彼の言い分も分かるのだけれど。


「でっ……、でもっっ! ジョンはちゃんとわたしのことをうやまってくれてるわよ」


 リディアはもう一人の幼なじみを引き合いに出して、口をとがらせる。同じ幼なじみなのに、二人はどうしてこうも違うのか。


「ああ、ヤツは生真面目キマジメだからな。でも、オレは違う。一緒にしないでくれ」


 ジョンと比較ひかくされたデニスは面白おもしろくない様子。不機嫌そうにそう吐き捨てた。


「だいたい、十二歳のガキが、大人のマネして『姫様』なんて。幼なじみの顔色うかがうことなんかしなくていいんだっつうの。今までずっと呼び捨てだったのにさ」


「それは……、まあ……そうね」


 デニスの言うことにも一理いちりある。それは、ジョンが一足ひとあし先に大人になったからだと、リディアも何とか納得しようとしたけれど。本音ほんねを言えば戸惑とまどったし、少しさびしくもある。


「姫様」と呼ばれることで、自分との間に距離を置かれたようで。……でも。


「ジョンはお父様が厳しいかただから、そうなってしまったのかもしれないわね」


 ジョンの父・ステファンは帝国兵で一,二位を争う手練てだれで、次期将軍との呼び名も高い男だ(ちなみに争う相手はガルシアである)。


 父に限らず、ジョンの一族は先祖代々、歴代皇帝のもとで将軍を務めてきた、レーセル帝国では知らぬ者のない由緒ゆいしょ正しき家柄なのである。ジョンもきっと、一族の名に恥じないようにっているだけなのだろう。


 ――それはさておき。


「……まあ、今は敬語なしでも許してあげるわ。まだあなたはわたしに仕えてるわけじゃないし、今はわたしが剣を教わっているがわ。つまり、わたしは弟子でしなんだものね」


「えっ、いいのか!?」

 

 リディアが出した妥協だきょう案に、デニスはまたたいた。思わず、声が上ずってしまう。


「ええ。ただし、成長して一人前の兵士になった時には、その横柄な態度は即刻そっこくあらためてもらいます。――いいわね?」


 ニッコリと含みのあるみを向けられたデニスは、一瞬ひるんだ。けれど、すぐさまいつもの不敬ふけいな調子に戻り、頷く。


「分かったよ。そん時は、ちゃんと改めるから。……おいおい、そんなににらむなって」


「本っっ当に、態度を改めてくれるんでしょうね?」


「本当だって! オレを信じろよ。――さて、特訓を再開するぞ!」


「はいはい」


 デニスの態度には納得がいかないものの、師匠の顔に戻った彼には、弟子であるリディアはさからうことができない。


 ――思春期にさしかかり、少しずつ変わり始めた幼なじみ三人の関係性。それが大きく変わるのは数年後のことだが、まだ幼いリディアとデニスはこの時には知るよしもなかったのであった――。

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