皇女サマはお年頃 Ⅰ

 ――それから六年の月日つきひが流れた。

 

 リディアも十八歳。今では蜂蜜ハチミツ色のつややかな長い髪と、紺碧こんぺきの瞳を持つ、美しい姫へと成長していた。


 次期皇帝としての執務しつむをこなしつつ、相変わらず幼なじみのデニスから剣の特訓も受けている。彼女の剣の腕は、もはや実戦でも役に立つかというくらい上達していた。


 ――この日は、皇帝イヴァンは隣国に出向いており、城の留守るすを預かっていた皇女リディアが、応接ので客人と向き合っていた。


「――それでですね、皇女殿下でんかわたくしどもと致しましては、ぜひとも皇帝陛下へいかのお力添ちからぞえをたまわりたく……」


 客人は、海をはさんだ対岸に位置する、レーセル帝国の庇護ひご国・プレナよりの使者で、近頃国民を悩ませている荒くれ者達への対処に帝国の力を借りたい、とのことだった。


 ティーカップを手に、相槌あいづちを打ちながら客人の話に耳をかたむけていたリディアは、優雅ゆうが仕草しぐさでテーブルにカップを置くと、そろそろと口を開く。


「お話はよく分かりました。ただ、わたしの一存では何とも……。父が戻りましたら、わたしから父にこのことは伝えておきますわ」


「お心遣い感謝致します、皇女殿下。陛下が不在の時に来てしまったので、話を聞いて頂けるかと頭を抱えていたのですよ」


 彼は安堵あんどしたように、リディアにこうべれた。そして飲みかけのティーカップをテーブルに置き、客人は長椅子ながいすから立ち上がる。


「それでは、私はこれで失礼致します。陛下にもよろしくお伝えくださいませ」


「ええ、必ず伝えます。――お国へは、これからお戻りに?」


 客人を見送ろうと、一人けの椅子から立ち上がったリディアは、ドレスの長いすそさばきながら彼にたずねた。


「いえ、一週間ほどはこのレムルに滞在たいざいする予定ですよ。もう宿やども取ってありますし」


 レムルとは、このレーセル帝国の帝都であり、皇帝一族が暮らすレーセル城も、このレムルのはずれに建てられている。


「まあ、そうですの? でしたら、父が直接、宿をたずねるかもしれませんわ。宿の名前をうかがっても構いませんか?」


 リディアは大臣だいじんを呼び、客人が告げる宿の名前を書き取らせた。


 プレナの使者を見送った後、応接の間に残っていたリディアの元に、赤髪せきはつを短くった一人の長身の若者がやってきた。


 そでなしの白いえりチュニックに黒い革の下衣ズボン・防具として軽いよろい小手こてを身につけた彼こそ、十八歳になり、近衛兵として皇女リディアに仕える彼女の幼なじみの一人、デニスその人だ。


「よお、リディア。客人が来てるって女官に聞いたんだけど。もう帰ったのか?」


「デニス……。いいえ、レムルにしばらく滞在するんですって。何でも、お父さまにどうしてもお願いしたいことがあるとかで」


 話の詳細しょうさいについては、いくら幼なじみの近衛兵デニスが相手でも口外こうがいはできない。


 だがデニスは、「ふうん?」と鼻を鳴らしただけで、興味を失ったように長椅子にドカッと腰を下ろすと、客人の飲み残しの紅茶に口を付け始めた。


「ちょっとデニス! お行儀悪いわよ」


 ギョッとしたリディアが、あわてて彼をとがめる。まだ室内に残っていた大臣も、デニスの振る舞いに眉をひそめた。


「だって、もったいないだろ? あっ、菓子も頂くぜ」


 今度は、客人が手もつけなかった焼き菓子の皿に手を伸ばし、美味おいしそうにバリボリ頬張ほおばり始めたデニスに、再び椅子に座ったリディアは、肘掛ひじかけに頬杖ほおづえをついて「呆れた」とつぶやく。


「まったく……。給金も、宿舎しゅくしゃの食事も充分足りているはずなんだけど。あなたのその意地いじの悪さは相変わらずね」


「……?」


 コメカミを押さえるリディアに、デニスは首を傾げた。


「……いいえ、何でもないわ」


 デニスやジョンのように、城に仕える若い兵士達は、城の敷地内に建てられている宿舎で共同生活をしているのだ。有事ゆうじの際に思う存分力を発揮はっきしてもらえるよう、兵士には毎日、充分な量の食事が提供されているはずである。デニスには、それでは不足なのだろうか?


 思えば彼は、リディアの知る限り幼い頃から食い意地が張っていた。


城での茶会に招いた時も、当時まだ七歳だったデニスは他の子供の分の(それも、自分よりも幼い子の、だ)菓子まで食べたがっていたし。三組の親子連れで湖のほとりまで遠出とおでした時だって、当時十一歳で食べざかりだった彼は、誰よりも弁当を食べたがっていた記憶がある。食欲旺盛おうせいなところは、十八歳になる今も健在のようだ。


「相変わらず、といえば……。あなたのそのふてぶてしい態度も相変わらずよね」


「……え?」


 リディアが皮肉ひにくってそう言うと、デニスは焼き菓子をつまむ手をピタリと止め、彼女に向けてほうけたような表情かおをした。


「『え?』じゃないでしょう? 一人前の兵士になったら、態度を改めるって約束したじゃない! なのに、一向に改める気がないんだもの」


「あれ? オレ、そんなこと言ったっけ?」


 苛立いらだちながらリディアが言っても、デニスはすっとぼけるだけ。


「言いました! 『オレを信じろ』とも言ったわ。――もう六年も前のことだから、忘れてるかもしれないけど」


 リディアはうれうように、目をせた。睫毛まつげが長い分、余計美しさが増す表情だ。


 ここレーセル帝国では、十八歳でもう一人前の大人として認められる。飲酒が解禁されるというだけでなく、仕事や結婚の面でも、親の承諾しょうだくが必要なくなるのである。


 したがって、デニスももう一人前……のはずなのだが。彼のリディアに対する態度は、六年前からほとんど変わっていない。


 変わったことといえば、呼び方が「お前」から「リディア」に変わったことくらいだろうか。


「なに? リディアはオレに、『姫様』って敬ってほしいのか?」


「そっ……、そんなんじゃないけどっ! せめて、そのふてぶてしい態度は何とかして。今のわたしは、あなたのあるじなんだから」


(……正直、デニスが昔のままわたしに接してくれているのは、幼なじみとしては嬉しい限りなんだけど。皇女、という立場を考えると、ね……)


 慌てて言いわけするリディアの胸中きょうちゅうは、複雑だった。幼なじみとしても、大国の姫としても、様々さまざまな感情が渦巻うずまいていたのだ。


 そんな彼女の心中しんちゅうを察してか、デニスは短髪の頭をボリボリきながら、「参った」という顔で答える。


「んー、分かった。考えとくよ。ただ,この言葉づかいだけは直らないかもしれないけど。……それでもいいか?」


 きっと、これが彼の考えた,精一杯の忠誠心なのだろう。リディアはそう思って、明るい表情で頷いた。


「ええ、それでいいわ」


 ジョンが自分に敬語を使うようになってから、彼女はずっと淋しいという感情をいだいてきたのだ。けれど、デニスは今まで通りに自分と話してくれるらしいと分かって、少しホッとした。


 彼にまで壁を作られたら、リディアは孤独こどく感にさいなまれるかもしれない。

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