褐色の肌の王子と騎士《ナイト》 Ⅳ

 いつの間にやら、西の空では日が傾き始めている。そんなに長い時間、この四阿にいたのかと三人は改めて驚いた。


「さて、カルロス様。次はどちらをご案内致しましょうか……」


 三人はこうして、四阿を後にした。来た時にはデニスの中にあったカルロスへの不信感や敵対心も、この時にはすっかり消えせていたのだった。



****



 ――この日の夕食は、城の大広間でスラバット王国からの国賓をもてなすためにもよおされた晩餐会ばんさんかいだった。


 周囲に海のない隣国の客人達は、味わったことのない海の幸の料理やその他の美食に舌鼓を打つ。


「この国には、大変栄えている〝シェスタ〟という港町がありますの。カルロス様、ご滞在の間に一度行かれてみては?」


 リディアはあくまで「もてなし」として,自然に王子に語りかけた。


「本場で味わう海の幸は、一味ひとあじ二味ふたあじも違いますわよ」


「そうですか? では、明日にでも行ってみますね。リディア様もご一緒して下さるのですか?」


「いえ。あいにく、わたしはご一緒できませんが。代わりとして、案内役の兵士を一人同行させますわ」


「ありがとうございます、リディア様。助かります」


 ――この晩餐会には、特別にデニスも同席を許されていた。カルロス王子が直々に、イヴァン皇帝に「ぜひ、デニスどのも一緒に」と頼み込んだのである。


 リディアはカルロスとの話を終えると、隣りの席で食事をしていたデニスに目で合図を送り、二人で中座ちゅうざして父の席の側へ行った。


「お父さま、食事中に申し訳ありません。内密ないみつなお話があるので、少し外へ……。よろしいですか?」


 リディアがそっと耳打ちすると、父は内容について詮索することなく黙って頷き、その場にいる一同に中座するむねを詫びた。



****



「――それで、内密な話とは何なのだ? リディアよ」


 大広間を出たところで、イヴァンは娘に、わざわざ外まで呼び出した用件を訊ねる。


「すみません、お父さま。どうしても、サルディーノ宰相の耳には入れたくない話だったものですから」


 リディアはまず一言父に詫び、本題に入った。


「わたし、カルロス様との縁談のお話をお断りしました」


「そうであろうな。……それで?」


 続きを促され、リディアは側に立っているデニスと顔を見合わせる。果たして、父に自分達の関係について話していいものか?


 ――きっと大丈夫。何たって、縁談相手だったカルロスが背中を押してくれたのだ。


「わたしは、このデニスと恋仲なのです。将来わたしの夫となる人も、彼だけと心に決めております」


「なんだ、そのようなことか。私が気づいていないとでも思っていたのか?」


「……お父さま。ご存じだったのですか」


 ありったけの勇気をふりしぼって打ち明けたのに、父にあっさり「知っていた」と言われたリディアは拍子抜け。


「当然だ。何年、そなたの父親をやってきたと思っているのだ?」


「…………そうですわね」


 十八年、である。デニスがリディアと親しくなってからでも十三年。それだけの間娘のことを見てきたら、気づかない方がどうかしている。


「デニスよ、そなたに確かめたい」


「……は」


「リディアのことを、本気で愛しているのだな?」


 イヴァンが彼を見る目は、「家臣を見る皇帝」ではなく「娘の恋人を見る父親」の目になっていた。


「もちろんです、陛下」


 デニスはキッパリと言い切った。「女帝の夫」になる覚悟まではさすがにまだないが、リディアのことを想う気持ちなら誰にも負けない自信が彼にはある。


「……よかろう。二人が本気で想い合っているのなら、私は反対せぬ。二人の仲を認めることにしよう」


「本当ですか!? お父さま、ありがとうございます!」


 しばしの思案の後、父がくれた許諾きょだくの言葉に、リディアの表情はパッと明るくなった。


「ふむ。――ただな、今すぐに婚約を発表することはできぬ。おおやけの場での発表はもう少し先になるが、それでもよいか?」


「ええ、それでも構いませんわ」


 リディアはこころよく頷く。断ったとはいえ、縁談の相手がこの国に滞在している間は、諸外国への体裁ていさいもあって公にできないと彼女も承知しているからである。


 何はともあれ、デニスとの仲を隠さずにいられるようになることが、リディアには嬉しかった。


「――ところでリディアよ。先ほどのそなたの言葉は、一体どのような意味なのだ?」


「先ほどの、とは……。ああ、『サルディーノ宰相の耳には入れたくない』と申し上げたことでしょうか?」


 父が頷く。リディアは大広間のドアを見つめた後、改めて声を潜めた。


「お父さま、これはカルロス様から伺った話なのですが……。サルディーノ宰相はどうやら、要注意人物のようなのです」


 彼女は午後に中庭の四阿で、王子から聞いた話を父にも聞かせる。


「――なに? あの男はそなたに甥を婿入りさせることで、帝国の権力まで手中にしようとしているというのか?」


「ええ。ですから、この度のわたしとの縁談も、カルロス王子自身のご希望ではなくて。彼もまた、伯父であるあの男のこまとして利用されている、ということですわ」


 リディアは少なからず、カルロスに同情しているのかもしれない。デニスが横でけわしい表情をしているが、彼女はただただカルロスのことを案じていた。


「お父さま。カルロス様の今後のために、あの男を排除はいじょするということはできないのでしょうか?」


 伯父であるあの宰相がのさばっていては、彼はいつまでも王として即位できない。それは、王国であるスラバットのためにも決してよくない事態である。


「それは……、難しいだろうな。これは隣国の問題だ。我々に口出しする権利はない」


「そう……ですわね」


 あの国がレーセルの庇護国や隷属れいぞく国であれば、皇族の権限で王族に物申すこともできるのだが。残念ながら、スラバットは帝国の領地ですらない。


(わたし達は、手をこまねいているしかないのかしら……? 歯痒はがゆいわ)


 落胆の色を隠せないリディアに、父はポツリと呟く。


「我々にはどうすることもできぬ。が、カルロス王子であれば、どうであろうな」


「……!」


 彼女はハッとした。彼が――カルロスが自分の意志で伯父を拒絶すれば、あの宰相を排斥はいせきすることも可能かもしれない。


「お父さま。わたし、カルロス様を説得してみますわ!」


 意気込むリディアの腕を、すっかり蚊帳かやの外にされていたデニスがつっつく。


「なによ?」


「まさか、あの王子と二人っきりで会うわけじゃないよな?」


 要するに、「オレも同席させろ」と言いたいらしい。


 こういった政治的な話の場に、デニスを同席させるのはリディアも不本意なのだが。


「仕方ないわねえ……。あなたがどうしてもって言うなら、同席させてあげてもいいわ」


 肩をすくめて答えたリディアに、デニスは尻尾を振る犬のように喜んだ。実は彼女も、デニスに同席してほしいと思っていたり、いなかったり……。


「――さて、客人が何事かと心配している。そろそろ食事に戻るとしよう」


「「はい」」


 三人は晩餐会の席に戻った。


 その途中、カルロスの席の側を通りかかったリディアは、彼にそっと耳打ちする。


「内密なお話がございます。後ほどお時間を頂けないでしょうか? 先ほどご案内した、中庭の四阿でお待ちしております」


「……はい」


「あ、それから。くれぐれも、サルディーノ様にはこのことはご内密に。では、後ほど」


 そう言って微笑むと、彼女は王子の向かい側の自分の席に腰を下ろした。



****



 晩餐会の後、リディアはデニスと二人、中庭の四阿でカルロスを待っていた。


 二人とも、大広間から直接来ているため、着替えもしていない。デニスなんか、例の肩がこりそうな礼装のままだ。彼にしてみれば、拷問ごうもんとしか思えない。――それはともかく。


「リディア様、お待たせして申し訳ありません。――おや、デニスどのもご一緒だったのですね」


 数分待ったところへ、カルロスがやって来た。彼も酒には弱いらしく、素面シラフである。


「いいえ、わざわざおいで下さってありがとうございます。彼も同席させて頂きますが、よろしいですか?」


「はい、私は構いませんが……。それで、伯父には内密の話というのは?」


 どこで誰が聞いているか分からないため、カルロスは声を潜めて訊ねた。


「ええ。それは他でもないあなたの伯父上、サルディーノ様のことです」


 これから告げることは、彼にとっては残酷ざんこくな内容かもしれない。それでも、スラバット王国の未来を思えばこそ、告げなければならないと、リディアは腹をくくった。

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