皇位継承…… Ⅰ

 リディアは父の口から飛び出した言葉に耳を疑い、デニスと顔を見合わせた。


「お父さま? 皇位を譲られる、って……。本気で仰っているのですか?」


「ああ、もちろん本気だよ。そなたに皇帝の位を譲り、デニスには八〇年ぶりに即位する女皇帝の夫になってもらうつもりだ」


 冗談を言うのが苦手な父が言うのだから、もちろん本気なのだろう。が、少し早すぎはしないだろうか?


 父イヴァンはまだ四〇代の前半である。隠居いんきょするには若すぎる。リディア自身も、皇位を継ぐのは二〇代に入ってからだと思っていたのだ。


 一体何が、もしくは誰が、父にこれほど早い決断をせまったのだろう――?


「いや、カルロスどのが国王として即位する旨を聞いてな。私も少し早すぎるとは思ったが、譲位じょういを決断したのだ。リディアもこの国では既に立派な成人だ。即位しても、何ら問題はあるまい?」


「わたしは別に構いませんが……。帝国議会の重臣じゅうしん達が認めてくれるでしょうか?」


 この国の政治は、皇族だけでつかさどっているわけではないのだ。帝国議会の承認が得られなければ、皇族は政治的なことは何も決められない。


 そして、すぐれた軍人でありながら優れた政治家でもある父イヴァンは、帝国議会の重臣達から大変したわれている。本人が「隠居する」と言っても、そう簡単に手放さないのではないだろうか?


「そうだな。重臣達への根回ねまわしはまだこれからだが、そなたへの譲位ならば、彼らもすんなりと認めるであろう。案ずるな」


 十二歳の頃から次期皇帝として、父の施政しせいを手伝っていたリディアである。さらに、女性でありながら凄腕すごうでの剣士でもあり、頭も切れる。まだ若いが、皇帝としての器量きりょうは充分に備わっているはずだ。


「はい」


 リディアは頷いた。まだ実感は湧かないけれど、近く自分が皇帝になるのだと思うと、身が引き締まる思いだった。


「それともう一つ、二人に伝えておくことがある。リディアの戴冠たいかん式の日に、同時にそなたら二人の婚礼の儀も執り行うこととする」


「「はい!」」


 思いもよらぬ展開に、それも好ましい展開に、リディアとデニスは二人して顔をほころばせる。二人は身分を越えて、夫婦として結ばれるのだ。リディア達にとって、これ以上の喜びはないだろう。


「デニスよ、そなたはもう宿舎に戻った方がよい。傷を負っているのだから、早めに休むがよかろう」


 父は唐突に、デニスに命じた。他の使用人が聞けば、負傷した彼をおもんばかっての命令だと思うだろう。が、リディアは父が自分と父娘水入らずで話したいのだろうと察した。


「はい。陛下、お心遣い感謝致します。では失礼致します! ――リディア、おやすみ」


 退出していくデニスに、リディアは微笑みかける。そして、父娘二人だけになった寝室で、彼女のベッドのふちに、娘と隣り合う形でイヴァンが腰を下ろした。



「――お父さま、父娘二人で語らうのは久しぶりですね」


「……ああ、そうだな」


 彼は娘の顔色を窺うように頷く。――確かに、リディアと二人きりでこうして話すのは久しぶりかもしれない。


 彼女が成長してからは、城を留守にして遠征えんせいだ外交だと国外へ出向き、忙しさにかまけてとして娘と接する機会は減っていた。たまに語ることといえば、政治に関する内容ばかりだったように思う。


「先ほどデニスを退室させたのは、彼に聞かせたくない話があるからではありません?」


 父の性格を知り尽くしているリディアは、父が自分と二人になりたかった理由をそう推理した。


「ハハ、見抜かれていたのか。近く娘婿むすめむこになるとはいえ、家臣に弱みを見せるのはどうかと思ってな……」


 ――やっぱりだ。父は自尊心が強い。友人であるデニスの父ガルシアにも、ジョンの父ステファンにも、弱みを見せたことがないのだ。


「実はな、リディア。私は此度こたびの件で、皇帝としての自信を失ったのだよ」


「と、仰いますと?」


 リディア自身、父が弱音よわねを吐いている姿を見るのは久しぶりだ。彼女は瞬いた。


「私はサルディーノのくわだてを見抜くことができなかった。知ってからも、何も手を打たなかった。そなたは早い段階から、ヤツの本性を見破っていたのだろう? ……私は、皇帝失格だな」


 嘲るように、悲しげにイヴァンは笑う。


「そんなことありません。わたしだって、後悔しているんです。わたしが気を抜いていなければ、デニスはあの時ケガをせずに済んだのに……」


 そのことを、デニスには言わなかった。言えば、彼は気にするだろうから。「お前のせいじゃない」と言って、彼女を責めずに自分の責任だと思ってしまうだろうから……。


「そなたのことを責める者などおるまい。あれが近衛兵の務めだ。あの傷は、名誉めいよの負傷だ。そなたが気にむ必要はない」


 なぐさめるように、背中をトントン叩いてくれる父に、リディアは何だか救われた気がして思わず涙腺るいせんゆるみかけた。あふれる寸前の涙を指でそっと拭う。


「……はい」


 頷いてから、リディアは言葉を続けた。


「分かってはいるんです。護衛をしてもらっている以上、危険な目に遭う心配は常に付きまとうのだと。覚悟はできていたつもりだったのに、実際に彼が傷付けられたら、急に目の前が真っ暗になった気がして」


 彼がもし死んでしまったら? ……そんな恐ろしい考えが、ふと頭をよぎったのだと、父に打ち明ける。


「実は先ほどデニスの前で、大泣きに泣きました。彼がかすり傷で済んだことにホッとして……。その時に分かったんです。この涙は、わたしが彼のことを本気で愛している証なのだと」


「そうか」


 父は一言だけ答えた。


 彼もまた、妻である皇后マリアンを亡くした時には涙を流したのだ。それも、まだ幼かった娘のリディアの前では泣きたくなかったので、一人でひっそりと泣いたものだ。だから、娘の気持ちは痛いほど分かる。


「――実はな、リディア。私がデニスに退室を命じたのは、弱音を聞かせたくなかっただけではないのだよ。次期皇帝であるそなただけに聞いてほしい話があってな」


「はあ……。何でしょうか?」


 娘の護衛官であり,近々娘婿となるデニスにも聞かれたくない話とは何だろう? 皇位継承に関する話だろうか?


「皇位を継承するにあたり、軍の人事をそなたに任せたいのだ。その件も合わせて、帝国議会には私から根回しをしておく」


「わたしが、人事を?」


 リディアは目を瞠った。〝人事が皇帝の務め〟だということを、この時初めて知ったのだ。


「ああ、そうだとも。人選はそなたにゆだねる。しがらみや慣習に捉われることなく、自由に適任者を選びなさい」


「はい。――いつまでに任命状を書けば?」


「そうだな……。戴冠式は一月ひとつき後を予定している。だから、それまでには」


「分かりました。一月もあれば、納得のいく人選ができるでしょう」


 リディアは頷いた。どのみち、議会への根回しや戴冠式の準備などに一月はついやされるだろう。


「ああ、そうだ。私から一つ、提案がある。デニスには、近衛軍団長のにんを与えようと思っているのだが。そなたはどう思う?」


「ええ、わたしも大賛成ですわ!」


 皇帝の夫になるのだから、それ相応そうおうの地位を与えるべきである。一介の兵士のままというわけにはいかないのだ。


 まだ成人したばかりの若輩者じゃくはいものだが、二代の皇帝が任命すれば、重臣達も反対できまい。


「そうか。まだ期間はある。じっくり考えるがよい。では、今宵こよいはゆっくり休みなさい。カルロスどのが発つのは、明日の午後だそうだ」


「はい。お父さま、おやすみなさいませ」


 父が部屋を出ていき、一人になると、リディアは再びベッドに横たわり、目を閉じた。


 今日一日、特に夕刻からは色々なことが起こりすぎて、まだ頭の中がゴチャゴチャしている。少し頭の中を整理しないと、今夜は眠れそうにない。


 愛しいデニスが自分を庇ったせいで傷を負ってしまった。それが原因で、自分の中にも「殺意」というみにくい感情があると自覚した。


 デニスの負った傷がかすり傷だと分かり、彼が生きていてくれてよかったと安堵する一方で、彼がこの世からいなくなってしまうことを怖いと感じた。それが、真実の愛なのだと改めて気づいた。


 そして、彼との結婚を父に認められ、父から皇位を継承されることとなり――。


(……あ、そうだわ。軍の人事!)


 デニスが近衛軍団長の任にくことは、とりあえず内定した。となれば、ジョンにも何か地位を与えた方がいいだろうか? そうでなければ不公平かもしれない。


(そういえば、帝国軍は今、将軍不在だったわね)


 六年前からずっと、ジョンの父ステファンとデニスの父ガルシアとの将軍の地位を巡る個人的な争いは、まだ収拾しゅうしゅうがつかずにいる。


 いい機会だから、いっそジョンを将軍に据えてしまおうか? いや、序列じょれつでいえば父親のステファンの方が先? それとも、皇帝の義父となるガルシアか。――でも、それでは本末ほんまつ転倒てんとう

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