第17話 判明と遁走と隠れた使い手


 大神にぴたりと突きつけられた白杖の切っ先は、少しでも動けば刺し貫くとの意を明確に周囲へ伝えていた。


 腰を上げかけた纐纈、睨みつける鹿野、固まってしまった加虎木。


 兎卯子はそんな周囲の反応を気にも留めず。淡々と、大神に問いかけていた。


「お話、聞かせていただけるかしら。それともすべてこの場で暴かれてしまった方がいいの?」

「すべて、って。なんだっつーんだよ……」

「すべてです。こんなところへ私たちを呼んだ理由。あなたの目的。それらについて話してしまってもいいの?」

「……俺が主催者、って。ンなの、あてずっぽうだろ」

「そう? 主催者で、殺人の企てをしていたのではないの?」

「さ、つじんって。なに言って、」

「私がそれに気づく取っ掛かりになったのは、厨房を探しに一緒に広間を出たときよ」


 白を切る大神に、兎卯子は自分から語りはじめた。


 ぎくりと大神が身をすくめるが、気にすることなく語りはつづく。


「私、とても鼻がきくものですから……最初に広間で会ったときから思っていたのよね。纐纈さんと大神さんから、同じ塩素系漂白剤の匂いがする、と」

「……!」

「纐纈さんについては館に到着してから罠や伏兵を確認に回っていた、と言っておりましたからそのとき厨房へ入り、衣服についた匂いだろうと理解しました。では大神さんの衣服からわずかに香った臭気は? もし纐纈さん同様に先に館の中を見て回っていたというのなら、厨房を探す道中で私に言うはずよね。『知ってる、さっきこの先の厨房に食事があるの見た』とでも」

「それは……言いそびれた、っつーか」

「『言いそびれた』。まあそういうことにしておきましょう。ともあれ、私がここであなたに疑念を抱いた事実は消えないのだから」


 くすくす、と含み笑いを漏らしながら兎卯子は顔を近づける。


 瞳は縫われて見えやしないが、圧に押されて大神はのけぞる。そのぶん、また白杖の切っ先が近づく。


「呼び出したのなら動機があるはず。私は考えました。けれど広間に居た段階でそれを声高に叫んでも、纐纈さんがじつは共犯者という可能性がある。へたな動きをすれば私と木守が孤立して、私はともかく木守が危険に晒されることとなる」


 周囲が木守を見やる。あくまで兎卯子の御付きでしかない木守へ。木守は肩をすくめた。


「ですから状況が読めるまで。あるいは私同様の疑念を抱いたひとと出会った際の交渉材料として。主催者が大神さんだろうという考えは、胸に秘めて行動しました。そこで起きたのが、辰宮さんの殺人ね」

「……あれは、半座の野郎がやったってあんたが言ったんだろうがよ」

「言葉は正確に記憶なさいな。犯人として疑わしい、としか言っていないわ。状況証拠だけで、物的な証拠は出ていないでしょう? 決めつけはしていないわ」

「まあ、それはそうだが。けれど浸透勁で殺したと言う推理通りなら、実際物的証拠は無いに等しいだろうと私などは思っていた」


 勁を壁越しに叩き込んだ箇所も拭えば指紋も残らないし、と言いながら纐纈は兎卯子に先を求めた。声音には、審議が必要なこの状況で大神を責めることを咎めるようなニュアンスが含まれている。


 兎卯子はまるで気にすることなく、話をつづける。


「正直に申し上げますと、私あのとき『入間さんと北熊谷さんが共犯でないかと疑っている』などと言ったけれど。本心ではあの三人が組んでいる可能性なんてこれっぽっちも考えていなくって」

「では、なんだと思っていたんだ?」

「ただただ、『半座さんは裏切られたのかも』と思っていたのよ」

「……裏切られた? 誰にだね?」

「大神さんと纐纈さん、加えて半座さんの三人が共犯で……実行犯の半座さんがバレた場合も、二人がなんらかのアリバイ工作で庇う。そのような仕組みがあったのではないかと思っていたの」


 相槌のような疑問を挟んだ纐纈にまるで遠慮することなく、疑念を向けていたと兎卯子は語る。


 けれど纐纈はむしろ腑に落ちた様子で「わからないでもない」とかぶりを振った。ふむ、部隊指揮というのはこうした疑念と確信の浮き沈みの狭間にあるものなのかもなぁ、と木守は思った。


 兎卯子はつづける。


「でも、半座さんに疑いがかかる状況になってもお二人に動きはなかった。いえ……正確には大神さんには動きがあったわね」

「……、」

「あのとき私、白杖を半座さんへ投げつけたけれど。彼の足に絡まって倒れる――までの間に、すでに大神さんは襲いかかっていたのよね」

「…………、」

「最近の脳神経科学の定説では動作のための運動プログラムがこしらえられてから、動作を行うとの意志が意識の中に現れるそうだけれど……まぁ、そういった受動能動中動のややこしい話は抜きにして、素直に称賛させて頂戴。あなた、ものすごい反射神経をしているのですね。人が倒れるまでに襲いかかれるだなんて」

「それは、」

「あらなぁに? ちがうの? ちがうのですか? ……ちがうわよね。だってそんな反射神経があるなら、いま私が繰り出したこの突きに対応して弾き落とすくらい訳はないはずだもの。――つまり、そういうことよね? あなたはあのとき、半座さんが逃げようとしたから襲いかかったわけではなく。、私が白杖を投げるまでもなく襲いかかろうとしていた。そのタイミングがたまたま合致しただけ」


 一瞬、脳神経科学だのとまったく無関係そうな話題に飛んで意識を逸らしてからの畳みかけ。


 いやらしい手法で追い込んだ兎卯子は、結論付ける。


「そうする理由はなに? 辰宮さんとじつは友達だった? ならすぐにその場で言ってもいいはずよね。隠す理由はないはずです。ではそれ以外で殺しにかかるほどの理由とはなぁに? 親愛や友愛以外で、ものすごい感情を向けていたということかしら……そう考えて行き着いたわ。ああ、から、こんなに怒っているのだと」

「やめろっ!」

「最初から大神さんの狙いは辰宮さんだった。けれど辰宮さんは殺されてしまった。あなたがそれを確認したのは、昨夜のうち。ノックしても反応が無いから確認したのでしょう? 中を把握できる場所から」


 ひくっ、と大神の喉がつばを飲んだ。


 言いたくないことを口にしないようにと口を閉じたがための反応。つまり図星。


 音でこれを確認したのだろう兎卯子は追撃する。


「そう。ベランダから」

「……!」

「さっき缶詰を開けに行くふりをして部屋にお邪魔させてもらったところ『濡れた衣類』があったわ。成分を調べればきっとわかるでしょうね、真水でも海水でもなく雨水に濡れたものだと……つまりあなたが昨夜、嵐の中にもかかわらず外出していらっしゃった事実が明らかになるわ」


 あてずっぽうのハッタリで、兎卯子は追い込んでいく。


 べつに外れても損はないならクジは引いておくに限る。推理など、辻褄さえなんとなくあっていればいいのだ。


 実際に見たのなら『衣類』などとぼかした言い方ではなくレインコートなりパーカーなり、服装の種類まで言い当てるだろうがそれをしない疑わしさを流れでごまかしている。


 だが浅く荒い呼吸になった大神を見る限り、すべて当たっているのだろう。


 ため息をついて、兎卯子は締めに入る。


「辰宮さんを殺すつもりでわざわざ手間暇かけてこんな舞台を整え、しかも殺し屋まで呼んでおきながら自身での実行にこだわったのは……加えてを招いたのは、あなた自身が『素手で殺したあと』で。彼女より自分の方が強いと証明したあとで、私たちほかの武術家に罪をなすりつけるつもりだったからでしょう……さあ、これで私の暴きはすべてです」


 哀れで愚かな殺人未遂者さん、と呼びかけながら、兎卯子は白杖の切っ先を下ろす。


 にんまりと、縫われた目元が開いてしまいそうな笑みを浮かべながら、ぐるぐると喉奥から猫のような声を発した。


 大神の目が、見開かれ、細まり、吊り上がり、行き場のない憎悪に燃えていく。


「怨恨によるものか、それともほかのなにかかは知りませんけれど。無意味なバカンスを過ごしたものですね、大神さん」

「……………………ッッぁぁあああああああ!!」


 しばしの沈黙のあと、突撃。


 からの、


 方向転換。


 兎卯子に向かうかと思われた凶意は、ぐるんと曲がって木守の方へ襲い来た。彼女が「木守が危険に晒されることになる」と案じたことを覚えていての行動だろう。


 血走った目で突き刺すような視線を向けて来る大神は、その大柄な身体をじつに滑らかに動かして木守の背後を取った。


 首に巻き付いたぶっとい腕が、ギリギリと締め上げている。


 すんでのところで指先を差し込んで頸動脈には力が及ばないようにしたが、気道は塞がっている。舌を口蓋に貼り付け、下っ腹に力を入れて肺腑を縮まないよう固定した。


「来んなよ……テメエ、クソ、このアマ……土足で人の脆い部分っ、踏みにじりやがって……!」

「おやめなさいな。そんなことをして、なにになるの」

「なんんンににもならねェよ! ンなこと、復讐自体がそういうモンなんだから、わかりきってるに決まってんだろうが!」


 さらりと自分の殺害目的(未遂)を告げて、大神は口の端へ泡を散らし我鳴った。


「クソ……俺は、俺ぁ、この手でアイツを、殺したかったってのに……! 他の奴に殺されて、しかもソイツに蹴り返されてっ、勝てねえなんてッ……俺は、クソ、ああッ、クソ!!」


 わめきながらかぶりを振り、大神はじりじりと広間からあとずさる。


 兎卯子たちは木守の身を案じて動けないまま。


 じりじりと廊下を退避し、玄関ホールを過ぎ抜け、両階段を上がっていく。細身とはいえ小柄ではない自分を引きずりながらよくやるものだ、と木守は思った。


 やがて北棟まで来て、彼はラウンジスペースを左へ曲がり。入間の部屋をノックした。


「入間……入間ッ! 居やがるんだろ、出ろ!」

「何用でしょうか、大神さん? 僕は指示が出るまで待機の予定なのですが」

「《竜殺し》は俺だッ! だから従え、入間ッ!!」

「……ほう? そうだったのですか」


 しち面倒くさそうだった声音に恭順の色がにじむ。おそらくは《竜殺し》というのが彼への依頼の際の偽名だったとか、会話に出された際に従うようにするための符丁だったのだろう。


 扉を開けて出てきた入間は木守を抱えている大神に少しだけびっくりした様子だったが、すぐに仕事のモードに切り替えてかしずくように雇い主へ言う。


「ご命令はなんでしょう、主様。ターゲットを仕損じた場合に動けとのご用命でしたが……」

「予定変更だ! ……ターゲットが、辰宮が死んだ以上、お前が、やることは……」


 大神がつぶやいていると、ギイと軋んだ音がした。


 ラウンジスペースを挟んで東側ひとつ目の部屋。


 静かに、音もなく、音を友とせず潜んでいた者が。


 鯨井吼が、部屋から出て来るところだった。


 相変わらずスマホを見ている。大声で大神が叫んでいたため、アプリが拾った音声を入力して画面に表していたのだろう。


 すなわち、大神に入間が従う過程を。


 大神こそが、主催者であったことを。


 知った彼女は――歯を剥いた。


「……主催のくそったれはあんたか。大神ィ」


 両手を下段に揃え、歩み足で近づく。その立ち姿には加虎木と向かい合ったときとはちがい、本気のやる気――殺気が宿っている。


 目を白黒させた大神は、入間へ出しかけた指示を引っ込めた。


「い、入間……いや、まずは、俺を守れ……!」

「御意に。では最悪のパターンでの排除も視野に入れます、北棟から離れていただけます?」


 変わらず手榴弾を左手に握り込んだまま、凶意で以て入間も向かう。


 これを鼻で笑うように迎え入れながら、鯨井はロングスカートの中で足捌きを変えた。


 ずるゥん。

 と。

 床が手繰り寄せられたような気がした。


 砂浜で遊んでいるとき――流れくる第一波に注視していて、つづく第二波に気づけなかったときのような。避けるつもりでいた波に、気づけば足を浸されていたときの読めない動き。


 はっとした入間は中段に構えていた左手を見やった。


 鯨井の左手が重ねられ、入間の指ごとレバーを握り込んでいる。


「どうするねクソガキ。自爆は封じたが」

「くっ、」


 入間の右手が着ていたポンチョの下にもぐりこむ。


 と見せかけて足を出す。


 入間と体格はさほど変わりない鯨井相手なら、手元へ視線を引いてからのけたぐりは十分に効果を発揮しそうなものだった。


 けれどそれも、読まれていないことが前提だ。


「阿呆が」


 そこからの動きは柔道で言う燕返しに近い。


 入間が出した左足は鯨井の右足がゼロコンマ一秒前に在った空間を薙いだ。


 精緻な身体操作によってこの回避動作を消し去っていた鯨井は、宙に浮いている入間の足を回避させた右足で横から押し込み、加速させ、崩す。


 傾いた入間が左腕を軸にぐるんと回転しかけた。


 そのまま地面に臥せられればつかんでいる手から手首、肘、肩などを極められ無力化されると判じたのだろう。


 入間が抗い、飛ぼうとする。


 力む。


 呼気を発す。


 そこまでが、鯨井の読み筋だった。


フン


 という、鯨井の呼、入間の其れと


 力みが、逃れようとする力が、入間の拍子が、鯨井の其れと同一のものとなる。


 繋がってしまった力は。


 拍子は。


 もはや入間のものではなかった。


 相手の意すらたなごころとする。


 合気の神髄が、打ちのめす。


「っごっぉ! ォぁあッ! ぁァァ―――ガッッ!!」


 三連打が叩き伏せた。


 まず鯨井の右手側の壁へ頭から激突。次に吹き飛んで天井へ腰から衝突。また頭から床へ墜落。最後に手首と肩を極めて真横に座す。


 繋いでいる、左腕一本で……入間の内部に起きた力の流れをすべて利しての振り回し。


 ぽろりとこぼれた手榴弾を、鯨井は無造作に木守と大神の方へ放ってきた。


「ほれ。死ね」


 カウント、残り五秒。


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