第9話 最後の晩餐(仮)
「なんか大変なことになったね」
「なんでもありとは、どこまでを言うのかしらね」
「さあ。でも集められた面子からして、可能な限り最悪を想定した方がよさそうな気はするよ」
広間を出てしずしずと歩む兎卯子の後ろについていく木守は、肩越しに背の方を顧みた。
沈黙の落ちた室内では、おそるおそる入間から離れようと立ち上がる人々が見える。
残るのは入間をはじめ鹿野、北熊谷、鯨井、纐纈の五名で、ほかは皆兎卯子が部屋をあとにしたのを契機に手榴弾の脅威から逃れんとしてきたようだった。
半座、辰宮、大神、加虎木の順で広間を後にする。
「本当に大変なことさ……手榴弾なんてひさびさに見たよ俺」
軽薄そうな細身の男、半座が身を縮こまらせるようにしながら、木守の横に並びつつ言う。
「見たことあるんですね」
「とある組に追われてたとき抗争に巻き込まれて、ちょろっと」
「……半座さん、カタギじゃないんですか?」
木守が問うと、あわてたように半座はぶんぶん手を振った。
「俺はカタギだよ! ただウチの師匠が……いろんなとこで、色々やらかしてるのさ……手持ちが不如意になってくるとどこぞの組の事務所襲って金を頂戴したり、手持ち無沙汰になると暇つぶしにその辺の腕自慢を血祭にあげたり」
両手で顔を覆って半座はうめいた。
そういえば自身の説明として、師匠が招待に捕まらなかったから来た、と述べていたのを木守は思い出す。苦労人気質らしい。
半座はおろおろと広間の方に気をやりながら、つづけて言う。
「そしたら、どうだい。師匠の関係者ってことがバレてるせいで、俺に向かって金返せだの慰謝料だのと頬に傷持つ連中が殺到してねぇ……」
「そういう事情でしたか」
「ああ。だから賞金目当てに、今日もここ来たのさ。おたくらも、そうじゃぁないのかい?」
後ろを歩いてきていた辰宮、大神、加虎木に半座が呼びかける。
大神と加虎木は「金は欲しいわなぁ」「金策に困っているのは確かです。道場も古くなってまして」などと答えたが、右小指を押さえている辰宮は険しい顔で問いを無視した。
そのまま、玄関ホールで辰宮は右に折れて、おそらくは自室を確保しに両階段へと向かう。半座は頭を掻いた。
「ほかの連中も金目当てなのかなぁ……」
「どうかしら。さっき私を怒らせた方はメダリストだそうですし、もうお一人、空手道場の重鎮らしき方もいらっしゃいましたし。そういう社会的地位のある方からすると、このような野試合は風評的にマイナスが大きそうですけれど」
先導する兎卯子が――形のいいちいさな鼻がすんすんと静かに空気を味わっていたので、おそらく匂いで食堂の位置にアタリを付けている――ぼやくと、雑談好きな気質なのか半座がすぐに乗る。
「それ俺も思ったな。怪我のリスクもあるだろうし、俺みたいに失うものと退路がない人間でもなけりゃわざわざ戦うことないんじゃないかい、って」
「なにに重きを置いてるかなんざ、他人にわかりゃしねェだろとも思うけどな」
頭の後ろで手を組みながら歩いていた大神が言う。
「最強ってのになんだかんだで固執しちまったんじゃねェの? 知らんけど」
「ウチの技こそが最強の格闘技! ってことかい? それはそれでこだわり感じられて、なんだか俺にはうらやましいような気がするさ」
「半座さん、流派を名乗りもしませんですものね」
加虎木がぼやくと、半座はいやぁ、と首をひねりながら応じる。
「名乗らないんじゃなく名乗れないんだよ、俺の流派。名前が無いもんだからさ」
「名前が無い?」
「ソコに囚われないように、とかいう考えらしくてね。だから技名と、術理についての教えしか伝えられてない。『銃のごとく
「ああ、当て字で意味が変わることで立ち聞きされても秘伝が外に伝わらないようにしてるですか」
「そういう奴みたいだなぁ。技の名も、重心操作の《
俺は『甲』の技が四つあるから総称で《
……自分から技の詳細を明かすのは武術家としてどうなのか? と木守は思ったが、もしかしたらこの情報もフェイクで相手を騙すためのものかもしれない。
とりあえずわかることは適当に歩いているように見えて、半座も軸の定まったしっかりした歩法の持ち主、ということくらいだ。
「ああ、ここね。厨房は」
やがて兎卯子が足を止める。
玄関ホールを通り過ぎ、廊下をしばらく進んだところにある両開きの扉だ。
言われてみればかすかに、なにか廊下とはちがう空気が感じられるような気がした。
「なんか匂うってのか? 俺はよくわかんねェけど」
「匂うというよりは空気の淀みね。滞留しつづけている空気に独特の匂いが感じられる、といえばいいかしら」
大神のぼやきに、すんすんと鼻を鳴らして答える兎卯子。聴覚同様に嗅覚もすさまじく研ぎ澄まされている彼女は、これくらい当てるのも朝飯前なのだ。
少し動きを止めた兎卯子が後ろを顧みてから扉を開く。途端、独特な空気を少し強く感じた。新規開店の店舗に入ったときのような。清潔感の匂いとでも言おうか。
無機質なステンレスに覆われた厨房の奥には寸胴鍋があり、食堂などで見る大型の炊飯器が近くに二つ鎮座している。
寸胴鍋の中を見ると、雑なことにレトルトパウチのカレーが人数分、放り込まれていた。炊飯器はタイマー予約がされている。
「絶海の孤島までやってきて、最後の晩餐がカレーってのもわびしいね」
「良いではありませんか。仮にここで世界一の美食なんて出されたら、それで人生に満足して明日のやる気に支障が出るかもしれないもの」
「兎卯子は前向きだな」
「いいえ、これで意外と落胆を隠しているだけよ?」
ウソかホントかわからないことを言いながら、彼女は微笑んだ。
ともあれ夕食はカレーで決定だ。
いぶかしげに寸胴鍋を見ている大神と加虎木の前で、兎卯子は手探りして鍋をつかみ上げる。すん、と鼻を鳴らして「カレーの匂いはしませんし、つまり穴はあけられていないようね。毒の混入はなさそう」と言った。二人はそれで安心した様子だった。
「……んじゃ、集まって食うギリもねェし、あとは個々で皿取って食やぁいいだろ」
「ですね。私もあまり他の人と食事とるの得意ではないですので」
「そうかい? せっかく集まったんだからこの面子だけでも一緒に食べればいいのに」
三者三様にぼやきつつ、とりあえず棚を探って人数分の皿だけは用意する。こういう所作は日本人らしいな、とステレオタイプな感想を抱く木守だった。
そして、大神と加虎木はそのまま厨房で皿によそって食事をとる。
半座はパウチを開封して自分のぶんをよそうと、水を入れたグラスを片手に「広間の連中にもカレーあること伝えてくるよ」と厨房を出て行った。
兎卯子と木守は顔を見合わせ――といっても視線を交わすわけではないが――「どうする?」というつもりで木守は首をかしげた。
風に流れた髪の音と首の関節の軋む音でも聴いたか、兎卯子はこの仕草に応じて「私たちも食事をとってしまいましょう。できれば早く、お風呂に入りたいもの」と返してきた。
「お風呂か」
「ええ、お風呂」
「……僕の手、どうしても要る?」
「なくては困るというわけではないけれど」
「そういう言い方ずるいよね」
「あら、ごめんなさい」
短い会話であっという間に根負けして、木守はしぶしぶ彼女の入浴前の手伝いをすることに決めた。
ともあれカレーを皿に盛りつけ、二人も厨房を出る。無機質な厨房でそのまま食べるのは味気ないと、兎卯子が広間での食事を所望したのだ。
来た道を戻り廊下をひた歩く。
先にいった半座はどうしているのだろう、と木守が考えたところ――
広間の扉をぶち破って、廊下に転がり出てくる影があった。
浅黒い肌に血管を浮かび上がらせ、影はゆっくりとその巨体を広げて立ち上がる。
「っっハハ! 痛イじゃネェか、このヤロウ」
鹿野だ。
室内からこの叫びに応じるのは、黒スーツのジャケットを震わせるように両掌を前に突き出した構えをとる北熊谷だった。
右足を軽く前に出した程度で、重心は両脚へ均等に振り分けている。五指は軽く曲げて中段に揃え、
「死にたいか、小僧」
「やってみろヨ、ジジイ」
広間を離れていた数分でなにがあったのか、兎卯子が振り撒いたのよりはるかに険悪な空気が流れていた。
部屋に残っていた鯨井はあまり気の無い様子で二人に一瞬視線をやり、すぐに手元に目を落とす。スマホを見ていた。纐纈はじっと鹿野・北熊谷双方の出方を見ている。
入間はポケットの中で手をうごめかしたが、「困りましたね」と言ったきり苦笑して肩をすくめた。「あまり進行に支障をきたすなら、どちらか消えていただかなくては……」と危ないことを口にしている。
「あら、まあ。面白いことになっているわね」
追いついてきた兎卯子は音で様子を察した様子で、白杖をついて観戦に入るようだった。
「勝敗になにか賭ける?」
「なにかってなにさ」
「夕食とか」
「最後の晩餐賭けの対象にするなよ」
「木守はべつに死合いの対象ではないでしょう?」
そうなんだけど、と言いつつも木守は気が気でない。
右拳は顎近くに添え、左前腕で腹部をかばうような構え――デトロイトスタイルを見せる鹿野と前羽の構えに近い体勢となった北熊谷は、ぢりぢりと互いの間合いを狭めつつあった。
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