最終話 ライフ・ゴーズ・オン


 嵐は去った。


 黒月館をあとにして、木守たちは船着き場を目指す。辺りには雨上がりの濡れた草葉の匂いが満ちていて、兎卯子がすん、と鼻を鳴らした。


 ぐじゅぐじゅと足場の悪い道を、彼女に肘貸しながら木守は歩く。後ろからは鯨井と北熊谷と、入間がついてくる。あれだけの負傷だったというのに、もう歩行可能とは大したものだった。


 北熊谷は、手にトランクを提げていた。重たそうなそれを揺らすこともなくがっちり構え、彼はすたすたと歩く。


 やがて……正午。


 浜に出ると、船影が見えた。


 行きで乗せてもらったのと同じ小型船舶が、白い波を少しずつ鎮めながら近づき、波止場の側面へ垂らされたゴムタイヤにわずかバウンドしながら接岸した。


「迎えに、来たぞ」


 見覚えのある船主がびくついた顔で中から姿を現し、鉄板のような橋を渡す。


 木守たちはぞろぞろと中へ入り――入間はさすがに傷を怪しまれるとなんなので、ポンチョのフードをかぶって顔を隠していた――席へ着く。兎卯子はまた船酔いするだろうことを思ってか、青い顔をしていた。


 五人を見回し、船主の男は怪訝な顔をする。


「……残りの奴は、どした?」


 木守と鯨井、北熊谷が目配せし合う。


 北熊谷が立ち上がり、つかつかと詰め寄る。背丈はともかくもただならぬ体格と威圧感を持つ彼に近づかれ、船主はますますびくついた。


 ぎろりと、睨みを利かせるように、北熊谷は言う。


「残り六人は――」

「待って」


 と、そこでぴくりと耳をうごめかした兎卯子が止める。北熊谷はこちらを向き、船主に見えない角度で「なんだ貴様、と違えたことを言うな」と言いたげな顔をした。


 けれどそんなもの、見えていない兎卯子には関係ない。片耳に手をあてがいながら、外の方へすんすんと鼻を鳴らしている。


「来たみたい」

「なにが?」

「もうひとり、いらっしゃるみたいよ」


 言われて波止場の方を見る。


 すると浜の方からタッタッと、駆けてくる足音が少しずつ大きくなってきた。


「俺も! 俺も乗せてくれっ!」


 細身で軽薄そうな面構えの男。なんとも幸薄そうな顔つきが、陽光の中でこちらへ精一杯己の存在をアピールしている。


 誰あろう、半座だった。


 森の中に潜伏していたからか、ずいぶんとみすぼらしくなっている。


 結局彼は兎卯子によって罪をなすりつけられただけの配役だったので、その後館で起きた惨劇も知らず関与せずだからこのまま捨て置こう……と思っていたのだが。ここでまさかやってくるとは思いもよらなかった。


 走り幅跳びでアクション映画のごとく飛び込んできた彼は、ぜはぁと息を漏らしてから船内を見渡し、なぜか鯨井に目を留めると苦々しい顔になる。


 次いで木守の横に腰かけ、早口で熱弁した。


「なぁ、なあっ! 聞いてくれ木守くんっ!」

「なんですか急に」

「わかったんだ森の中で見たんだ俺は、鯨井の奴が大神とやり合うのを!」

「……え」


 そこを見ているとなると話が変わってくる。自分が加害者扱いになってると思い込んでいて、警察に駆け込みはしないだろうと思ったから捨て置くつもりだったのに。


 目をかっと開いて口に泡浮かぶような勢いの半座は、止まることなく喋ろうとした。


「そこであいつのがアレな奴でこう木に背をもたせかけたあと大神に殴られたのがまるでノーダメージみたいになっててでも翌日木の裏を見たら俺そこにスゴいもの見つけちゃってあああぁつまりはなにが言いたいかというと俺、俺が犯人だってのは、大いなる誤解なっ」「ちょっと黙ってくださいね」


 余計なことを口走りそうだった半座の口を木守が素早く押さえる。同時に兎卯子が肩越しに回した手でキュっと頸動脈を絞め、血流量を落とす。


 意識が遠のいた半座はかくんと船をこぎ、黙った。


 話を中断されていた北熊谷へ「どうぞ」と兎卯子と木守の二人でジェスチュアする。彼は嘆息しながら、船主に向き直って「すまない。残り五人の間違いだった」と言い直してつづけた。


「残り五人は、夕刻十六時頃にもう一度迎えに来て欲しいとのことだ」

「……日が暮れるかどうか微妙な時間だな。もう少し早められんのか」


 あまり乗り気でない様子の彼に、北熊谷はふー、と息を吐いて間を置く。


 次いで顔をもう半歩分近づけて、さも秘密の会話という風に船主へささやく。


。これだけくれてやるから、それ以上詮索はするな」


 トランクを開いた。


 取り出されたのは茶封筒がひとつ。


 中を見て、船主は目を丸くした。いや、いや、と首を振る。けれど北熊谷は突き返そうとするその手を押し留めていた。徐々にその突き返そうとする手の力は弱くなっていく。


 重ねて、北熊谷は言った。


「貴様への要求はこれで、最後にしてやる。詮索は、するな」


 依頼者――木守たちにとっての主催者を演じた、その発言が最後の一押しになったようだ。


 しぶしぶという態度で、船主は苦い顔を隠しもせず懐へ封筒をしまう。


「……船、出すでな」

「そうしろ」


 船主は席へ戻る北熊谷の背と懐の封筒をしばらく交互に見つめていたが、最終的にはあきらめた様子だった。


 行きの船での言動からして、主催者――つまり大神から口止めをされている、なにか後ろ暗いところがありそうだったので金で言うことを聞きそうとは思っていたが。読みが当たって安心する一同だった。


 木守は通路を挟んで向こうに腰かけた北熊谷に目をやり、トランクに視線を落とす。


「……にしても、部屋からあまり離れなかった理由、から目を離さないためもあったんですね」

「主催者と、儂の情報について金銭交渉で収められるなら、それも良しと思っておったまでだ。打てる手は常に複数用意しておくものだろう」


 がっしりとつかんだその中には、どうやらそれなりにまとまった金額が入っているらしい。


「館の貸主にも修繕費を出しておく。内部のは貴様が手掛けたために、まず証拠は見つからぬようだしな……破損に文句は言われるだろうが、それだけだ」

「ちょっと手榴弾の爆破痕は手間取りましたけどね、さすがに」

「よく隠し切れたものだ。リフォーム業者にでもなったらどうだ」


 冗談のつもりか、北熊谷はそんなことを言った。


 ともあれ。


 あとは港に到着次第、北熊谷が子飼いの部下を五名呼ぶという。


 その人員に変装させ、個人所有の別の船で十六時までに島へ送り、あたかもさっきまで館に居たかのように見せかけて――この船主の船に乗せて帰還させる。これで五名があの島で消えたとは船主にバレない。


 北熊谷、鯨井、入間、兎卯子、木守の五名は後ろ暗い点を共有しているため互いに裏切ることはなく。半座については……まぁ、少し手を考えることが必要だが。


「それにしても」

「ん?」


 対応で頭が痛いなぁと思っている木守が口を開いた兎卯子の方を見ると、彼女はすでに青い顔になりかけていたが。


 横に座す半座が口にしたことがひっかかったか、彼の方を向いている。


「いまの口ぶりだと、気づいたのですね。自身が犯人だと疑われた一件の本当の加害者が、鯨井さんだったと」

「みたいだね。大神さんをあの人が仕留める瞬間を森の中で見て、そのときに使ったから推測できた、とかじゃないかな」


 木守が辰宮殺害の真相に気づけたのも、事件発生からずいぶん時間を置き纐纈との戦闘に入る直前だったので……半座も木守が見つけたのと同じような『技の痕跡』を、大神が仕留められて後に、現場の周囲に発見したのかもしれない。


「なんというか、ホント間の悪い人だな。この人」

「本当にね。どういう凶星の下に生まれてきたのかしら」


 木守と兎卯子に好き放題言われているのも知らず、お疲れ気味の半座はかくんと首を倒したまま眠っている。


        #


 地域差はあるものの、午前十一時前後というのは、基本的に住宅街からもっとも人気が薄くなる時間帯だ。


 だからかつて木守の仕事は、この時間帯に行われることが多かった。


 行いを済ませたあとの、事後処理も。


 そんな記憶が、柱時計を見ていて思い出された。


「さて……それじゃあ遺体が、計五つ。処理をはじめようか」


 遺体を片付けるのにはそれほど手間は取らない。


 木守にとっては箸を持つより慣れた作業だ。必要なものは一般家庭にあるもので大体揃うし、どうしても必要になりそうな特殊な溶液、薬品は持ってきている。


 ボストンバッグから取り出したそれら愛用の品で、血のりから争いの痕跡まで、すべてを丁寧に清掃していく。


 外の嵐もある意味で幸いし、痕跡は消しやすい。北熊谷と鯨井の手も借りて、木守は遺体を埋める穴を掘る。人数分、それなりの深さを掘るのは手間だったがこれも経験から掘りやすい地形を見抜けばだいぶ労力は減るものだ。


 暗くなる頃には、辰宮をはじめとする五名の遺体はきれいさっぱり森の中へと処分された。獣避けの薬剤も施したので、よほどのことが無い限り掘り出されることはない。


 まあそもそも、バレる頃には名前も変えて逃げおおせているのだが。


 SIMカードの入っていない――偽造戸籍で生きているため、まともな契約ができないのだ――スマホにダウンロードしておいた小説を読みつつ、木守はひと仕事終えた気分で広間のソファに寝転がっていた。


 鯨井、北熊谷は自室へ戻っており、入間はソファの隅で目を閉じている。


 すべて終わった心地でうつらうつらしていると、こつこつと聴きなれた白杖の音がした。


「眠たいの?」

「ひさびさに動き切り替えたからダルい。あとカレーも、人数減ったから取り分多くなったしね。満腹は睡魔を誘うよ」

「たしかに、お腹は膨れましたけれど」


 横に腰を下ろした兎卯子は、ふうと息を吐いていた。


「ともあれ、おつかれさま。さっき北熊谷さんたちと話していたプラン通りうまくいけば、またしばらくは平穏に暮らせそうね」

「それでも結局、『しばらく』だろうけどな。後ろ暗いことやってるとどこまでいっても完全な安心はないや」

「そこはもう、言っても仕方のないことでしょう」

「そだね」


 生き方の諸条件に食い込んでいるものをどうこうするには、廃業などよりもよほど大きく人生を変える心意気と決断が必要になる。


 木守も兎卯子もそこまでのことはできないし。


 できないからこそ、そうした仕事をしていたとも言える。


 廃業宣言したって七割はどうせ数年以内に似た業種に戻る、とは知り合いから聞いた与太話だが。二年目現在でこのように尻尾をつかまれた窮地を見るに、笑えない。


「それにしても……私、まだわからないのだけれど?」

「ん、なにが」


 問い返せば、兎卯子は白杖の上に両手と顎を重ねながら眉根を寄せた。


「木守が『復讐相手を殺した相手に殺された』と言ったあとすぐ、遺体処理に回ってしまったから。ずうっと答えをひとりで考えていたのです」

「ああ、そういうこと」

「鯨井さんが犯人ということよね?」

「うん。加害者は鯨井さんだ。あーでも……それも、『半分』かもな」


 兎卯子と自分の間にある、浅からぬ因縁を意味する言葉を使いつつ木守は言った。


 微妙そうな顔で、兎卯子は人差し指を立て頬を掻く。


「半分? とは?」

「意図してのことじゃなくて、かつちからはヨソからもらってるってこと」

「よそ? うちとヨソのよそ?」

「そ。自前じゃないってこと」


 マントルピースの横にバックギャモンがあったので、中に入っている円形の駒を三つ持ってきた。


 ポケットを探ると纐纈にもらった名刺があったので、これらを木守は兎卯子の手を取り、触れさせてからソファの上に配置する。


 名刺を挟んで兎卯子側に、白の駒ひとつ。木守側に、黒の駒ふたつを置く。


「兎卯子の側の駒が辰宮さん。名刺が辰宮さんの部屋と鹿野さんの部屋を隔てる壁で、壁に接してる駒が鯨井さん。その前にある駒が鹿野さん」

「ふうん……?」

「体勢としては鯨井さんが名刺の壁に背をもたせかけてる感じかな。加虎木さんに鯨井さんが殴られたとき、覚えてる?」

「ええ。追い込まれていたわね」

「ちょうどあのときみたいな体勢だと思えばいいよ。で、鯨井さんがなにしに来たかって言うと、入間さんを倒すために鹿野さんに協力を求めに来たんだったね」


 自身の名が出たからか、視界の端で入間がぴくりとしていた。


 兎卯子がこくりとうなずき、つづきをうながす。


「でも交渉は決裂。捨て台詞みたいに鯨井さんはボクシングの実用性を疑う発言をして、キレた鹿野さんに殴られた」

「そう語っていたわ、鹿野さん。でも胸元を殴ったのに、けろりとしていたって」

「うん。化け物じみた話だよなぁ。……でまあ、ここで少し殴られる前に時間を戻すんだけど。ここの壁……薄いよね」


 名刺をぱちぱちとデコピンで叩き、木守は音で示した。兎卯子は同意する。


「言われてみれば私たちの部屋でもお隣の纐纈さんの独り言が……聞こえていましたっけ」

「だよね。同じつくりなんだから当然この辰宮―鹿野間の壁も薄いんだ。じゃあ、僕らの部屋みたく『二人いるのが通常でない部屋』から、なにやら相談事の声が……それも揉め事らしい声が……この、怪しい会合の最中に、聞こえてきたら?」

「それは当然、内容が気になって話を聞こうと、」

「『耳を壁に押し付ける』だろう?」

「……木守、まさかそういうこと?」


 答えに至ったらしい兎卯子の手が、名刺や駒に触れているのを確認しながら。


 木守は白の駒を名刺の壁に近づけた。鯨井を表す黒の駒と、壁を挟んで密着している状態だ。


 そこへもうひとつの黒の駒。


 鹿野の駒を。


 彼の、壁に拳の痕を残すほどのパンチ力を想像しながら――


「ばぁん」


 ぱちん。


 デコピンで弾き飛ばす。


 鹿野の黒駒で打たれた鯨井の黒駒。


 それを通じて壁越しに衝撃を辰宮の白駒が、あらぬ方向に飛んでいった。


 木守の脳内では同時に、手洗い場で廊下側の壁にかかった鏡が砕ける様が浮かぶ。


 このとき壁を挟んだ向こう、廊下にいたのは――壁に背をもたせ掛けた鯨井。


 鯨井を殴った、加虎木。


「与えられた運動エネルギーが、何事もなくどこかへ消えるなんてことはない。鯨井さんの《ゲイイン》とかいう技は、受けた衝撃を触れているどこかへ渡してしまう『受け流しの技法』だったんだよ」

「じゃあ、辰宮さんはこの技で、鹿野さんのパンチ力をもろに無防備な頭に受けてしまった、ということ?」

「そういうこと」


 つまるところ、不幸な事故だったのだ。


 もっとも、技の使い手である鯨井さん自身は事件現場を見てすぐに自分の《ゲイイン》がもたらした結果だと感づいただろうが……そこはあの場で即『技を見られたくない、敵に知られたくない』と述べた彼女だ。


 目的である主催者をどうにもできていないうちに自分を不利にするくらいなら、他人に罪をかぶってもらうことを平気で選ぶだろう。それが彼女の兵法だ。


「だから、『復讐相手を殺した相手に、殺された』ってわけ」

「なるほど……」

「ご感想はなんかある?」

「そうね」


 木守の振りに、おとがいに手を当て少し考えてから。


 兎卯子は首をすくめ、眉を八の字にして言った。


「なんとも救われない、素敵なお話ね」

「泣けるよね」


 けらりと二人して笑い、手元の駒を弾き上げる。


 そうして、黒月館での最後の夜は更けていった。


        #


 船が港へ着くと、北熊谷はすぐに自分の部下に連絡しに出ていった。


「ではな。もう会わぬことを祈る」


 太い体に芯の通った歩みで、彼は港沿いの道へ消えた。


「あたしも行く。じゃあな、じゃりども」


 鯨井はこちらを一顧だにすることなく、駅へ向かっていく。


 一番この会合を引っ掻き回した人物だというのに、じつにあっさりした去り方だった。


 そして……半座はというと。


 まだ、眠っていた。


 船から担いで下ろしたものの、波止場に転がしておいてもまだ目覚めない。どうも兎卯子が深く落とし過ぎたらしい。ごめんなさいね、と悪びれもせずに言っていた。


「……ただ、起きても面倒なこと言い始めるかもだよなぁこの人」


 口裏合わせと死人に口なしで今回の一件をなかったことにする以上、鯨井の大神殺害現場を見てしまったという彼を生かしておくのは正直面倒だ。


 とはいえここから個人の手で引きずって移動させるのは人目につく。できれば起きてもらって、自分の足で移動してもらって――それから山に埋めて処理するのが、楽なのだが。


 そのようなことを考えていたら、横にたたずんでいた入間がフードを目深にかぶった下からのぞく左目で、自身のスマホとポケットWi-Fi機器のようなものを見つめて、なにやら操作しはじめた。


「なにやってんの、入間さん」

「いえ。今回の件で僕は、失脚、廃業、間違いなし。でしたが……あなたの、暗殺用特殊清掃技能と証拠隠滅術で、助けてもらいましたから」


 まだ縫ったばかりで動きの悪い頬肉でしゃべりづらそうにしながら、入間はカカカっと入力して調べものをしているようだった。


 やがて必要な情報に当たったか。しばしなにか打ち込んでから電話をかける。しばらく相手とやり取りして、通話を切った。


 頬を、痛そうにほころばせる。


「僕からの、サービスです。この、半座さんの問題は……引き受けますよ」

「え、いいの?」

「この人の盾にされたりしましたのに」


 余計な一言を兎卯子が加えても、入間はにこやかな表情を絶やさなかった。


「それは僕の、精進が足りなかったが、故ですから。甘んじて、傷を受けますよ……ああ、返事、来ました。三十分。もし半座さんが、起きても、三十分だけ足止め、してください」

「足止め? なにか来るの?」

「彼専用のです。……彼、借金の踏み倒しとか、闇社会でのトラブルとか、相当あるのでしょう。ウェブの深層域ディープで、個人情報提供を求められて、ました」

「ああ……個人情報売っていたのね。この場で」

「ええ。少し、売買させて、いただきました」


 つまり来るのは、闇社会の住人だ。


 個人で個人を移動させようとするとなんらかのかたちで足がつくことが多いが、組織立った犯罪グループの手に任せれば複数ルートと下請け利用で足のつかない失踪をさせることが可能なのだろう。


 入間は一礼すると、きびすを返して歩き出した。


「それでは。もしどこかで、またお会いする、ときは。敵でないことを、祈ります――暗殺者さん、殺し屋さん」

「……だから半分廃業してるんだってば」


 木守は頭を掻いた。


 入間が去るのを見送ってから、のびている半座の横に腰かける。兎卯子も隣に腰を下ろして、しばし潮風に吹かれた。


 嵐のあとの海はまだ少し荒れているが、雲は彼方にぽつぽつ見える程度でよく晴れている。


 ……人生も天気と同じで浮き沈みあるよなぁ、と爺臭いことを木守は思った。


 それでもまあ、生きていくしかない。過去は必ず自分に影響を与えてきて、いつだって切り離すことはできないけど。


 どうにかこうにか、明日がちょっと生きやすくなるように。


 なにかを変えながら、どうせ生きていかねばならない。


「うーん、完全廃業かぁ」

「どうしたの、木守」

「いや。入間さんが言ってたみたいに、完全廃業して真っ当になる道も考えた方がいいかなと」

「労力がものすごいと思いますけれど、それ」

「やっぱり?」

「とりあえずその場合、まず私が困るわ。これから通り魔を殺し返したとき、誰に処理を頼めばいいのでしょう」

「僕ばっかに頼んなよ……兎卯子さ、むかしの知り合いとかいないの? そういう筋の」

「いないわ。私、業界で恨みしか買っていないもの。あなたに刺されて生死の境目ツアーになったときだって、知ってる界隈では盛大にパーティーがあったと聞いています」

「どんだけ嫌われてんだよ……ん? 恨み?」


 傍らでまだのびている半座を見つめてふと思い至る。


 彼もまあ、恨みを買っているから個人情報提供を求められていた。情報をネットのダークウェブ、深層域で売買されていた。


 ところで今回の、招待者の情報。


 北熊谷にせよ鯨井にせよ兎卯子にせよ、ずいぶんとピンポイントに殺害の証拠をつかまれ呼び出されたわけだが……


「……もしかして恨みから、深層域で情報を売られてた?」


 口に出して、さらに「あっ」と気づきを得る。


 さっき入間は「サービスです」「引き受けます」などとは言っていたが。


 タダで受けるとも、言っていなかった気がする。


 では料金は、対価は。


 どこからどうやってもらい受けたのか?


「……ヤベぇな。兎卯子。逃げよう」

「え? まだ半座さんの見張りがあるのではないの?」

「いいから。早く逃げないとまずいと思うから」


 入間は三十分、などと言ったが。それはおそらくこの場に木守たちを釘付けにしておく時間を多めにとるためのウソだろう。


 あわてて半座を置いて駆け出した木守と兎卯子は駅沿いの道に出て、対向車線からやってきたバンを見やる。


 後部座席がスモークガラス。正面から見える後部座席の人数は細身の男一人だが、車体の沈みは大きい。もう何人か隠れていることを示している。


 視線がこちらを過ぎた気がした。


 古き懐かしき、郷愁に似た感覚を呼び覚ます。


 それはなんとも、


 冷たく鋭く、


 殺意に満ちた視線だった。


 古巣闇社会の空気が、肌を刺す。


「……入間(あいつ)盾にしたの、実はめちゃくちゃ根に持ってるだろ」


 ため息をつきながら木守は逃げる。


 生き方は、やっぱりしばらく変えられそうにないらしい。


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アウトキャスト―密室武術会殺人事件― 留龍隆 @tatsudatemakoto

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