第19話 第二、第三、第四、第五の殺人


 広間に戻った木守と兎卯子は居残っていた四人と合流する。


 北熊谷に敗北したためブスっとした顔の――腫れがひどいという意味でもだ――鹿野も、目を伏せてはいたが入ってきたのには気づいた様子だった。


「遅くなってごめんなさいね」


 兎卯子が声をかける。乾パンをつまんで水をあおっていた纐纈は「ああ」と片手を挙げて応じた。そして、木守たちの後ろに人影がないことを確認すると嘆息する。


「北熊谷さんはまた単独行動か。もう主催者も、共犯者がいないことも判明したから構わないと言えばそうだが……」

「自室で過ごしているから用事がなければ呼び出すな、だそうよ」


 さらりと述べて、兎卯子はソファの端に腰かけた。


 木守は柱時計に目をやる。長針がこちりと天を指すところだった。内部の仕込み鐘が鳴る。


「十一時か。残り時間も約一日だ、うまく乗り切ろう」

「……乾パンばっかデ、気が滅入るゼ」


 強く殴られたせいで硬いものが食べられなくなってしまった鹿野は、乾パンをコップの水に浸してなんとかやわらかくしようと涙ぐましい努力をしていた。


 加虎木は主催者の判明と逃亡により落ち着いた感じで、纐纈から借りたらしい新聞に目を通している。読んでいるのは連続通り魔事件の記事がある一面だ。


 入間はよくこのダメージで、と思えるほど安らかに寝息を立てている。そのまま永眠してしまうのではないか、と思えたが、そのときはそのときだ。盾にした側が心配することじゃない。


 膝に両肘をついてじっと耐えているような様子の纐纈は、よく見れば手の内でトランプをリフルシャッフルしていた。そのうち誰かに声をかけてカードでもやろうとしているのか。


 兎卯子は杖を傍らに置き、自室に戻ったという体でいるためカモフラージュに持ってきたスマホをぽちぽちと操作する。ネットは繋がらないので、入れてある音楽でも聴くのだろう。イヤホンを耳に差した。


 ……木守はここで、手を挙げた。


「あの、すいません」

「どうした、木守くん」

「手洗い行きそびれちゃって。誰か、ついてきてもらえます?」

「ああ、そうだな……木守くんだけはさすがに、単独で動くと危ないだろう。となると憂原さん……は、おや。聞こえていないのか」

「あいつ、音楽聞き出すとわりと集中しちゃうので。だれかほかの方いいですか?」

「なら、私が行こう。鹿野、加虎木さんと憂原さんで入間の動向に気を配っておいてくれ」


 いまだ殺し屋としての入間に警戒を崩さない態度で、纐纈は言った。


 三人からは返事があり、連れだって木守と纐纈は広間を出る。


「ところで夜はどうするんですか? 見張りとか」


 歩きながら雑談を振ると、纐纈は広間をちらりと顧みながら少し考えて、話す。


「鹿野が負傷したのと、入間が油断できないことからすると私・加虎木さん・憂原さんの三名で交代制の仮眠をとるのがいいかとは思っている」

「揃って徹夜とかじゃないんですね」

「全員夜通しで、となるとどこかで緊張の糸が切れたときがまずい。とくに加虎木さんは、言ってはなんだがメンタル的に脆いところがありそうだ」

「ああ、それはなんとなくわかります」


 鯨井とのやり取りでしっかりとその辺りは見てしまったので、木守は苦笑する。纐纈は疲れた顔で首をひねった。


「なんにせよ、あと一日だ。とんだバカンスになってしまったが、耐え抜いていこう」

「でも、さすが傭兵って感じですよね。こういう突発的な事態にも、難なく対応できているというか」

「難なく、というほどではないが……多少の慣れはあると自負しているよ。だがもうこういうのはゴメンだな。金銭に釣られないよう、今後は気を付けるとしよう」


 苦笑を返してきた纐纈が、先に手洗いの中を確認に入る。


 と、怪訝な顔をして出てきた。


「中に潜む者などはない、のだが」

「どうしました?」

「鏡が割れている。誰かぶつけたか?」


 言われて、トイレ内に入ると廊下側の壁にかけられた姿見が大きく蜘蛛の巣状にひびを入れられていた。足下に散らばる破片を見ていると、先ほど大神の部屋で叩き割った窓が思い出される。


 そして、ぴんとくるものがあった。


「あ」

「どうした」

「いや、なんでもないです。自分の中で、バラバラだったピースが繋がっただけで……気になったことがあるととりあえず確認しちゃうの、前の仕事のクセなんです」

「前の仕事の」

「ええ。なるべく不確定要素つぶしとかないといけない仕事だったんで。でも、気にしないでください。もう終わったことなんで」


 いまさら言ってもとくに意味の無い気づきだったので、木守は片手を振って打ち消しの意を示した。纐纈は、ますます怪訝な顔をするばかりだった。


 こうしてトイレ内に入った木守は、纐纈が入り口を見張っている中で用を足して出る。


 水道で、手を洗う。ハンカチで手を拭きながら、背後の纐纈を振り返って「おまたせしました」と声を掛ける。彼がうなずき、手洗いを出ようとする。


 廊下を確認するべく。


 木守に背を向け。


 外に、出ようとする。


 ここで木守は――己の意識に。


 自分の動きに関するスイッチを、掌握させる。


 膝を抜くように床に身を落とし。


 ハンカチで覆った右手の指先で、落ちていた鏡の破片を拾い上げ。


 大股の一歩で踏み込んだ足から前方へ身を押し上げながら、振り抜く。


 ぴ、っと鮮血が舞った。


「っなぁ、っつ!」


 よろめきながら纐纈が廊下に転がり出る。浅い。頸動脈までは斬り込めなかった。


 初撃で仕留めきれないとはどんどんなまって下手になっているな。


 そう、自分の欠陥の増大を思いながら、木守は仕方なく戦闘に入る決断を下した。


 斬られた左の首筋を右手で押さえながら、纐纈は軽く前傾した姿勢でじりじりと木守より距離を取ろうとする。


「く、お、な、なぜだ……木守……!」

「理由は知らなくていいです。死んでください」

「こ、の、野郎……だが、お前さん、こんな動きができるような、人間には……!」

「『できる人間だ』と思われたら警戒されるでしょう? だから普段は僕、自分を限りなく弱く見せてるんです」


 宣言に、纐纈は唖然とした。


 姿を見られず気づかれず、一秒で手を出し尽くして結果だけを求める邪道――などと、ちょうど数時間前の加虎木がここで言っていたが。


 つまりは、そういうことだった。


 警戒を潜り抜ける術をこそきわめ、一撃離脱を旨とする技の使い手。


 木守は、かつてそういう存在だった。


「……お前さん、暗殺者、か……!」

「暗殺者崩れ、ですよ。本当はターゲットにすら見られちゃいけないんですから。、廃業した身です」

「半分……?」

「戯言です、気にしないでください」


 言いつつ木守は一歩踏み出す。


 途端に纐纈は首から右手を離し、ブンと鋭く薙いだ。手の内に溜めた血液を、目つぶしに飛ばしてきたのだった。


 身を横に移動させて素早くこれをかわせば、顔面狙いの軌道で真下から左足が蹴り上げて来る。のけぞってかわす。


 するとまっすぐ足裏を天に向けるような蹴りの結果、


 纐纈のブーツの内から、きらりと光るものが落ちて来る。


「シッ!」


 鋭い呼気と共に、左手で握り込んだナイフが突き出される。蹴り足を踏み下ろし左半身になってのそれは、リーチを伸ばして木守の心臓を狙う。


 左手で右側に向かってナイフをはたき、このモーションを継続して袖をつかみ動きを固める。


 死に体――木守の流派では据物すえものと呼ぶ状態に置き、無防備な手首へ右手の鏡破片で腱を切り裂くよう振り下ろす。


 しかし刃が入る前に右肘に左肩を襲われ体勢が崩れる。袖をつかんだままでは体格差で押し込まれて殺されそうに感じたので、手を離して身を左へ旋回させた。


 鏡を右から左へ横薙ぎに振るい、目を狙う。さすがに直撃は避けられたが、額が真一文字に割けた。すぐに血が流れ込んで視界は奪える。


 そうなる前にと纐纈がナイフで追撃してきた。


 首を狙う斬撃を後ろへ倒れ込んで距離を置き、壁にもたれた木守は立ち上がる――と見せかけて、また脚から力を抜いた。一瞬浮上しかけた身体がぐにゃりと壁を滑って床に落ち、纐纈のナイフが惑う。


 この隙に纐纈の左足首を正面から右足裏で踏みつけ、膝裏に左足を差し込む。今度は右に身をひねり、膝裏を己の左脛で押すようなかたちで前に崩す。


 倒れ来る軌道上、頸動脈を狙って鏡を構えた。勢いづいて、纐纈の首が迫る。


 しかし止まる。


 左のナイフを壁に向けて突き出し、突き立てることで落下を止めていた。


 すかさず右足で胸を踏みつけてくる。横に転がって回避し、指先だけで鏡を顔面へ投げた。纐纈はひるまず額で受けて、武器のなくなった木守へナイフをかざして落ちて来る。


 その顔面へ。


 木守は握っていたハンカチを広げて振るった。


「がぁぁっ!」


 悲鳴。


 きらきらと散らばる鏡の破片がその原因だった。大きめの破片を拾う際に付着させておいた細かな破片が、振るったハンカチから放たれ眼球に食い込む。


 ナイフの軌道がさまよった。返す右手で手首をとらえ、左手でナイフの峰を押さえ、起き上がる力で纐纈の首に差し込む。


「ご、ぼ……」


 肘を曲げられ自身の刃に頸動脈を断たれた纐纈は、ごぼりと血を噴いて、絶息した。


 傍らで立ち上がり、少しだけ返り血のついてしまったジャケットを見て。自身の殺害の証拠を、一時的とはいえこの世に残してしまった木守はため息をつく。


「ホント、下手になっちゃったな」


 頭を掻いて、広間に戻る。


 扉のあった位置を越えて室内に入ると、そこでもすべてが、終わろうとしていた。


「くっ――!」

「遅いわね」


 うなりつつ加虎木が振るった右拳の下をくぐりぬけ、兎卯子の右手が袖口をつかんだ。


 袖を引きつつ左の横蹴りが脇腹に突き立てられる。ごぼ、と息を吐いた加虎木の、伸びきった右腕の肘に左肘を振り上げるように叩きつけた。めぎりと関節が逆に折れて痛みに体勢が崩れる。


 そのまま折れた腕を担ぐようにして骨折箇所を捩じり、負傷を悪化させながらの投げ。顔面から床に落ちた加虎木は首が真横に折れて動かなくなった。


「Gu……A……」

「眠れ」


 一方で鹿野は北熊谷によって壁際に押し込みを食らい、顎を掌底で打ち上げられ後頭部を壁面にめり込ませていた。ずるり、と巨体が壁に沿って落ちて来る。


「終わりましたか」


 北熊谷に問いかけると、野太い声で「うむ」と返ってきた。また少し反撃に遭ったか、顔が腫れている。


 兎卯子もくすりと微笑みを浮かべながら、自分の足元に転がる加虎木を手で示し「いま終わったところよ」と返してくる。木守はため息をついた。


「これで、儂らとは違って、警察に駆けこもうなどとのたまう参加者は、消えたな」


 そう言う彼が大神の部屋で見せてきた招待状を、木守は思い返す。


 記されていたのは兎卯子への手紙に同じく、北熊谷のかつての罪科……要するに、彼が犯したとある殺人について知っている、との文面。


 彼は兎卯子同様、この脅迫に抗するためにこの会合へやってきたのだ。


 だから主催者を特定し、自身の犯罪の証拠を隠滅するため動きつづけていた。単独行動を好んだのも、それを可能とすべく孤立する空気を鹿野との喧嘩で演出したのも、そのためだったという。


「まあ一番警察に行きそうな大神さんがまだ残ってますけどね」

「鯨井がなんとかするだろう。もどうせ、儂らの同類故に」

「手榴弾爆破の直後につぶやいていた発言と、入間さん……を介して主催者へやたら固執していた点からして、そんな気はしますね」


 木守の同意にふんと鼻を鳴らし、ソファに腰かけた北熊谷は水を一杯飲んだ。兎卯子も加虎木の遺体を床に横たえると、ソファの背もたれに尻を預ける。


 入間はこれらの騒ぎの中で目覚めたらしく、二人が殺されていく様をじっと見ていたようだった。


 兎卯子のそばで腰を下ろした木守に目を留めると、にっこりしたままとぎれがちに言う。


「御見それ、しました、暗殺者さん……。纐纈さんは、この中では最も手ごわい、相手だったでしょうに。手傷ひとつ……負うことなく、殺害してみせるなんて。こんな腕前の人が相手では……盾にされる瞬間まで、気づけなかったわけです」


 入間は心から褒めてくれているようだった。


 けれど木守からすれば、この程度では褒められるに値しない。気がのらない飲み会くらいの低いテンションで、ぼそりと返す。


「暗殺者と呼ばれるほどの腕じゃないよ、僕は」

「そう、でしょうか」

「そうだよ。だって暗殺者は、見られたら終わり、見られたら廃業。きみがさっき言った通りだ。……だから、僕は二年ほど前に半分廃業してんの」

「半分?」


 纐纈と同じところにひっかかりを覚えた入間が問うてくる。


 恥なのだからあまり聞かないでほしい、と思いながら、けれど自戒の念も込めて木守は口を開く。


 視界の端で、兎卯子が苦笑いを浮かべていた。


姿、対象にしてた相手に気づかれた。その相手はその相手で、敵の感知に絶対の自信があった殺し屋なのに、僕に背中を刺された」


 殺し屋は、いまはその傷跡を、いくつものピアスとリボンで覆い隠している。


 恥を塗り込めるように。


 人形のように指示に従うだけで生きていた過去を、自戒するように。


「だから僕は、半分廃業してんの。……兎卯子は名が売れてたせいで、いまもよく襲われてるけど」


 だから、木守たちの町で起きているのは『連続通り魔』ではない。『連続で通り魔』なのだ。


 通り魔に襲われたその都度、兎卯子が殺し返しているだけ。同一犯による連続通り魔、ではない。


 そして木守は自分を(半分)廃業に至らしめた兎卯子がむざむざと雑魚のために捕まるのをよしとせず、その殺人を誰によって行われたものかわからないよう偽装工作している。


 ……殺し屋の仕事は、『誰が殺したか、誰の差し金で殺したかがはっきりしていることでこそ意味を成す場合が多い』。だから入間のような生き方ができる。


 だが暗殺者はそうではない。誰が殺したか不明でなくてはならない場合が大半だ。故に、偽装工作にも長けている。まず足はつかない。


 にもかかわらず尻尾をつかまれてしまったのは、本当に……完全廃業、と言わざるを得ない不覚だが。


「とにかく。僕と兎卯子はそういう、苦労と迷惑をかけあう関係なんだよ」


 どちらかがへまをして死ぬなりするまで。


 背中と命を、預け合って生きることになっている。


 そんな、かつての仕事の矜持にいまも囚われ続けたままになっている木守たちを見て。


「お熱いですね」


 入間は見当違いのことを言った。


 と、そこでエントランスの方から風の吹き込む音がする。


 足音もなく近づいてくる気配。


 しとしとと短い黒髪から雨を滴らせ、ずぶ濡れになった鯨井が、ちょうど戻ってきたようだった。


 彼女は室内に転がる加虎木と鹿野の遺体に目をやり、不可解そうな顔をした。


「……なんだねあんたら。かたぎの奴だけ殺して、ここではなにも起きなかったことにしようってのかい」

「ああ。罪人しかいないが故の共犯関係だ。元より貴様もそのつもりではなかったのか、鯨井」

「おっしゃる通りだよ、空手爺。あの大神の野郎にも、落とし前つけさせてきたところだ」


 もう始末してきたらしい。嵐の森の中で追いかけっこしたにしては、おそろしく早いタイムで鬼ごっこが終了したものだ、と木守は思った。


 死した大神に心中で合掌しつつ、傍らの兎卯子に木守はぼやく。


「可哀相なもんだね、大神さん」

「そうね。本懐も果たせず、自分の復讐相手を殺した……かもしれない相手に蹴り返されて。おまけに罪をなすりつけるつもりで呼んだ相手に逆恨みされて、殺されてしまうだなんて」

「いや、兎卯子。『復讐相手を殺したかもしれない相手に蹴り返されて』ってとこだけは、間違ってるよ」

「え?」

「『復讐相手を殺した相手に、殺された』だよ」


 ちょんちょんと鯨井の方を指さしてから、木守は大きく伸びをした。


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