第18話 戦後処理


 残り五秒。


 大神は慌てて木守を離し、入間の部屋に駆け込んで扉を閉めた。


 鯨井は入間の肩を外してから後方へ退き、すぐ角を曲がってラウンジスペースに飛び込んだ。


 残り三秒。


 気道を開放されたばかりで息が足りず走れそうにないし、退避場所もない。


 ならば。


 木守は自身の動きに関するスイッチを、入れ直す。


 現状把握、現状対応、処理能力を極限まで高める。


 視界が揺らぎ、ブレて、世界が色を失くした代わりに神経が鋭敏になり――自身の心臓が緩やかに拍動するのをさえ、感じ取れるようになっていく。


 自身を。


 これ以上ないほどがっしりと……掌握する。


 動き出す。


 インサイドキックで、手榴弾を蹴り転がした。


 中空に浮かばぬよう。転がす蹴りで向こうへ押しやる。


 残り二秒。


 力まず脚の力を抜いた。


 重力に従って身を落とす。


 膝から着地し、伏せた。


 うつぶせに転がってうめく入間のふくらはぎから膝にかけて、覆いかぶさるようにして。手榴弾破片の被弾面積を最小にする。


 残り一秒。


 点火の瞬間、口を開けながら、入間の襟首をひっつかみ。


 引き寄せてエビぞりさせた。


 途端に空を衝撃が走った。


 キン、パシン、と弾ける音が聞こえた気がして、認識を置き去りに通っていった鈍い衝撃の重さが肺腑を叩く。胃から腸までを震わせる。


 吹き抜けた風に血と鉄の臭気が混じる。


 盾にした入間の身体が、びくびくと震えるのを感じた。身もだえしている。悲鳴もあるか? わからない。


 音とは、しばらくお別れらしい。キィンと耳鳴りだけが傍らに居る。


「……ふぅ」


 襟首を離す。


 意識が自身の動きに関するスイッチから離れる。膝立ちになって、立ち上がったときには、視界に色も戻っていつもの木守に成っていた。


 飛び散った破片で身体の前面をずたずたにされた入間は、せめてもの防御だろう、右腕を首に巻きつけていた。目から鼻から口から頬から、血がこぼれて床の絨毯に染みをつくる。


 立ち上がると、煙たさの向こうに気配を感じる。鯨井だ。


 口が動いている。元より耳が聞こえない彼女は木守が聴こえていないことに気づいていないのだろう。


 まあ、こちらも読唇術は使えるので、問題ないのだが。


「……生き延びたのかね、あんた。この土壇場で、そんな動きをやってのけるたぁ……」


 どうやら入間を盾にしていた体勢を見たらしく、目を見張りながら鯨井は言った。


 この言葉へ、たまたまだ、と返すか。


 それとも見られた以上……か。


 弾指の間ほどの逡巡があった。


 そうあることに、木守は自分の欠陥を、部分を思わずにはいられない。


 けれど結局、手を下す場面は訪れず。


「まぁ、いいさね……べつにあんたは生きてようが死んでようが、構わん。あたしは奴を始末して、の落とし前をつけさせるだけだ」


 扉を開き、入間の部屋に踏み込んでいった。


 しかしすでに大神は逃げてしまったあとらしい。すぐに、開け放たれたままだった窓からベランダへ。そのまま鯨井も飛び降りて消えた。


 また二人、森へ消えてしまったかたちである。


「……まいったな」


 わんわんわん……と耳鳴りが少しずつ治まっていく。


 同時に、駆け込んでくる足音が聞こえた。角から頭を出すと、おそらく爆音でこちらの異常に気付いたのだろう兎卯子たち四人が走ってくる。


「木守!」

「ああ、うん。無事だよ」

「それはあなたの血の匂いがしないのでわかっています」

「だよね」

「爆破に巻き込まれたのは……入間さんかしら?」


 かつんと白杖を振るって入間の身体を叩き、サイズ感から推測している。


 入間は右目が潰れてしまい、いたるところに破片が突き刺さっているが息はあった。胴回りから不自然なほど出血がないところを見ると、防弾防刃のインナーを下に着こんでいたらしい。


「なんだ? 木守くんは入間に、庇われたのか?」


 状況だけを見て判断したらしい纐纈が言う。


 まるで見当違いの推測が聞こえたか、入間は荒い息遣いをしながら「ハ」と皮肉るような笑いをあげた。頬にあいた風穴から、ぼどぼどと血が漏れた。


「と、とりあえず……殺し屋さんですが、治療しないとですよ」


 加虎木が近寄ってきて、状態を検めていた。とはいえ致命傷になるような動脈は外している。できる治療もそれほどないように思われた。


「悪運の強い野郎ダ」


 昨日のやり取りをまだ根に持っているらしい鹿野が言いつつ、しかし放っておく気もないのか担ぎ上げている。入間はされるがまま、浅い息をしていた。


 と、そこでぎいいと廊下向こうの扉が開く。


「……騒々しいな。眠りを妨げられたわ」


 またもナイトキャップをかぶっていた北熊谷が、こわい髭の生えた面でこちらを睨みつける。


 そこでやっと、廊下の荒れように気づいたらしかった。スンと鼻を鳴らし、煙たさに顔をしかめる。


「なにが起きている?」

「……起きていた、だろう。北熊谷さん」


 纐纈がため息と共に言った。


        +


 七人で、またも広間へ移動する。道中で北熊谷には、広間で起こったあれこれについて語っておいた。


 彼は大神が主催者であったことなどに瞠目して、問うてくる。


「しかし先ほど廊下に出たとき、大神の部屋の扉はなにも変わりなかったが。貴様ら二名のうちどちらか、錠前破りの技でも持っておったのか」

「まさか。そんな技あったら私たちも辰宮さん殺害の容疑者になってしまいますもの……濡れた衣類を見つけたとの発言は、ハッタリです。状況からそうでないかと推測しただけのこと」

「……そうか。では扉の向こうには入っておらぬのだな」

「ええ」


 そんな確認を済ませて、会話は終わった。


 広間に到着し、入間は縫える傷口は縫い留め――兎卯子はこういうのが得意だ――ひとまず失血は防いだ。


 一応傷は洗ったものの、破傷風や感染症にならないかは神頼みである。


 それから念のため妙な仕込みや自爆に繋がるものがないかだけ確認し、あとは手足を縛って座らせる。


 潰れた右目にかけられた包帯と、傷だらけの顔が痛々しい。けれど常のにこにこした様子を絶やさない彼は苦し気にうめきながら、笑う。


「……ふふ。ひどい目に遭いましたね」


 ぼやきつつ、残った左目で木守を見やる。


 木守によってこのような状態に陥ったのだが、意外にもその口ぶりには非難の色は込められていなかった。


 盾にされたことについて、いまのところはとくに語るつもりもないらしい。


 もっとも、だからと言って雇われた内容などについて語る気もないようだが。おぞましい様になってしまった面相でにこにこしながら、ただそこに居るだけだ。


「……バタバタとしてしまったが。これで、終幕か」


 纐纈がつぶやく。


 この会合の発端は大神の復讐劇。招かれた武術家は罪を着せるための配役。


 木守が大神に抱えられながら聴いた会話から察するに、入間という殺し屋が雇われたのは万一復讐に失敗したときにターゲットである辰宮を殺すための保険。


 だが半座によって本懐果たされることなく復讐はとん挫。目標を奪われた大神は怒りに震え襲いかかったが――返り討ちに遭い、意気消沈。


 そこで兎卯子から(ハッタリ込みで)真相を究明され、錯乱した挙句に入間に指示を出そうとしたが鯨井の乱入で失敗。


 今頃は森の中、半座を追う大神、大神を追う鯨井、という構図で駆け回っているのだろうか。


「半座の動機も大神の動機もわからないままだが……ともあれ、奴らが戻ってきて我々に危害を加えないとも限らない。明日の迎えが来るまでは、私たち全員で固まって行動しておくべきだろうな」


 纐纈の言葉に、ぱらぱらとうなずきが起きた。


「電話使えるところまで行ったら、警察呼ぶですかね」

「ああ。決闘罪とか、面倒なことにならないといいが。入間も爆発物所持であるとかその辺りでしょっぴかれることになるだろう」

「……困りましたね。これでは僕も、廃業……でしょうか」

「殺し屋も廃業などあるのか」


 ダメージ残るとぎれとぎれ口調の入間に、纐纈は問う。


 殺し屋は笑みのまま答えた。


「信用商売ですから。まぁ、暗殺者のように、見られたら終わり……だとか、そこまでの厳格さは、ありませんが。でも……大きく名乗って、しくじりましたので。ここまでかと」

「そうか。傭兵よりもつぶしが利かないものだな」

「世間にとって、必ず要る仕事、ですが。パイは少なく、応用範囲も狭い……仕込み三年、やれても五年、十年生存率は……0.01%、といったところですか」

「銀行の金利よりはだいぶマシな%だ」

「……ですね。もし娑婆に出られたら、次はまっとうな仕事に、つきますよ」


 空笑いが響いた。


 一件、片付いたという感が漂う。


 そこで、鹿野が隅から立ち上がる。


「――ソウイウわけダ。予定されてイタ戦いは、起こらナイ」


 がつんと両の拳を打ち合わせ、ぎんと眼光鋭く北熊谷を見やる。


「とナレバ、オレたちが始めタイときに始めてイイってことダ」


 入間への対応もそうだが、まだ昨日のことを引きずっていたらしい。


 これを聞き、北熊谷は片眉を上げたが。


 けれどその顔に昨日のような侮りは見られなかった。


「……そうだな」

「受けろヨ、ジジイ。夕刻マデなんて待ってられネエ」

「気の急いた男だ……まあ、構わぬが。相手してやろう」

「Gotcha!!」


 すいっと鹿野は立ち上がり、巨きな身体と巨きな拳を構えている。


 北熊谷も応じて、五指を揃えた貫手を構えた。


 広間後方の大きなスペースで二メートルほどの間合いをとって向かい合い。


 必要もない戦いを、しかし決着は付けておきたいとの意志だけで開始にいく。


 二者の戦力が削れることを危惧したのだろう。纐纈は止めに入ろうと腰を上げかけたが、途端に両名から「止めるな」という威圧の視線を食らい、計算に入る。


 結果、自分だけでも無傷な方がいいと思ったか。おとなしくソファに尻を戻した。


「……あまりひどい怪我はしないようにな」


 纐纈は呆れ半分といった様子で観戦し、加虎木と入間もこの様を見ていた。


 鹿野のジャブから、決着への行程ははじまる。


 すべて片付いた安堵から来る、それは簡易なイニシエーションのように見えた。


        +


「……さて」


 そんな決戦のあと。


 兎卯子と木守は北棟に居た。


 部屋に忘れた荷物を――という理由で、二人きりで抜け出してきたかたちである。もう主催者も判明し共犯者もいない、ということで三人組行動ほどの縛りは必要ないだろうとの判断らしかった。


 しかし訪問先は、自身らに割り当てられた部屋ではなかった。


 大神の部屋だ。


「錠前破り、できたらよかったんだけどね」


 北熊谷に言われたことを思い返しながら、雨中のベランダに立つ木守が言う。


 自身の部屋のベランダから横伝いに飛び移ってここまでやってきていた。


 そして、手にした石を振り上げる。


 窓を割り、隙間から手を突っ込んでクレセントタイプのロックをかちゃりと外した。


 室内へ進み入る。あっという間に風が荒れ狂い、びょおびょおとひどい音が響いた。


 そんな中で木守はドア越しに声をかける。


「おまたせ」

「おつかれさま」


 さほど声を張ったわけでもなかろうが、風の荒れ狂う室内にもかかわらず兎卯子の声はハッキリ聞こえる。


 暗い室内からよくドアを見ると、結構ガタが来ているのか隙間が多く廊下の光が差し込んでいた。よほど小声でしゃべっても、これならしっかり聴こえるわけだ。


 鍵のロックを外す。横でドアチェーンが揺れた。


 そこで不意に、気づいた。


「あれ?」

「どうしたの」

「考えてみたらさ、兎卯子。半座さんが鎧通しでドアとか壁越しに頭打ちぬいて、辰宮さんを殺したって僕らは判断したけど」

「ええ。可能性があって疑わしいと判じましたね、私。勢い任せのハッタリ推理ですけれど」


 こつこつと白杖で床を鳴らしながら、兎卯子は首肯する。木守はだよね、と言ってつづける。


「でもさ。壁とかドアに頭を押し付けるなんて動作、普通やらなくない? 声が聴き取りづらい、とかだったなら、ドアチェーンしてドア開けるでしょ」

「……よく考えてみますと、その通りね? ではドア越しに致命打を受けて、よろめきながらベッドへ、そして死去……という流れではなかったのかしら」

「そんな気がするね」

「どうしましょう。半座さんには悪いことをしてしまったわ」

「悪びれもせずそういうこと言うのやめなよ……まぁ実際、だからどうしたって話なんだけど。ちょっと気になっただけ」

「気にかかったことはとりあえず確認するの、本当にクセよね」

「不確定要素とか潰しておきたいだけだよ」

「悪癖ではないから、いいと思いますけれど。さて、雑談はこれくらいにしましょうか」

「だね。当初の目的、果たそうか」


 さっそく、ことにする。


 手分けしての家探しは、けれど兎卯子が視覚で探せない分効率がいいとは言いづらい。彼女はばたばたと部屋の隅々を、手探りするしかないのだ。


 それでも時間をかければ成果はそれなりに上がり、大神の所持品の大半は見つかる。ハッタリで指摘した濡れた衣類も、ビニール袋に封入されていた。


 これらの内容を、検めて。


「どうなの?」

「……無さそうだなぁ」


 求めていたものが無いことに、がっくり肩を落とす。


「主催者だったんだから、この会合の開催に当たっても持ち歩いてるかと思ったのにな」

「すべてご自宅に隠したまま、ということかしらね」

「そうなるとやっぱ、追っかけてる鯨井さんに協力して大神さん捕まえて、吐かせるしかないかな」

「あと、諸々の処理も必要でしょう」

「どっちからやろっかな」

「そういう事後処理は木守の方が得意ですもの。私が鯨井さんへの協力を……あら」


 ぼそぼそと話し合っていると、ふいに兎卯子がすん、と鼻を鳴らす。


 吹き込む嵐で埃と雨の匂いばかりの室内だが、彼女の鋭敏な嗅覚には関係ないらしい。すっと立ち上がり、廊下に繋がるドアを見つめる。


 しん、と音はしない。


 けれど十秒ほどの膠着で、向こう側にいる人物も感づかれていることに気づいたらしかった。


 ぎい、とゆっくりドアが開いていく。


「……誰なの?」

「……そこで探し物をしているということは」


 低く這うような声が、耳に届く。


「貴様らも、あの主催者に用があるというわけか」


 黒いスーツに身を包む北熊谷旭が、いくらか拳を食らって腫れた顔でそこに立って居た。


 その手には、自身に送られてきたものであろう招待状が握られている。





 ――最強の座に興味のある御方、ぜひ参られたし


 十名の参加者を集めて頂点を決める戦いを行う


 勝者には一千万円を用意している


 参加する流派や格闘技については現地にて確認されたし


 有象無象を痛めつける生活に飽きていないか


 全力を出してみたくはないか


 貴殿の力量に見合うだけの参加者をこちらは用意している





 ……ここまでは、参加者なら皆一緒の文面だ。


 あとは各員の操る技について語られていたりする。半座の部屋で見つかった招待状もそうだ。


 けれど。


 兎卯子に送られてきた招待状には、もう少しつづきがあった。


 彼女の興味を引いた文面は、上記の事項ではなかった。


 それは――『貴女がお住まいの町に、連続通り魔事件が起こっていたのを知っている』との文面。


「儂と似たような文面を、貴様らも送られてきたのではないか」


 北熊谷は、そう口にした。


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