第4話 孤島への旅路


 最強の座に興味のある御方、ぜひ参られたし


 こんな書き出しの手紙には、十名の参加者を集めて頂点を決める戦いをおこなうとの旨が記されていた。


 参加する流派や格闘技の種別は秘されていたが、先方は《歩く暴風圏》の異名をとる兎卯子のことを詳しく知っているらしい。


 文面では彼女が扱う《凌切》などの技の名にも触れ、


『有象無象を痛めつける生活に飽きていないか』

『全力を出してみたくはないか』

『貴女の力量に見合うだけの参加者をこちらは用意している』


 ……などなど。


 こちらの興味を引く、いくつかの誘い文句で揺さぶってきた。


 末尾には開催場所と日時が書かれ、最寄り駅までのチケットも同封という徹底ぶり。


 さて、この次第を木守が伝えると。


 兎卯子は内容のひとつに気を惹かれたらしくにんまりと笑った。


 ――というわけで、


「……潮の香りがしましたね。きっともうすぐよ、木守」

「まだ周囲の景色は山ん中なんだけど。海なんてまだ近づいて――あ、ホントだトンネルの向こうに港っぽいのあった」


 手紙の入手から七日後。


 兎卯子の付き添いとして同行した木守は列車に乗っていた。


 新幹線から乗り継ぎ、ちいさな路線で海沿いの駅へ。


 そこから先はチャーターされた船が待っており、符丁ふちょうに従うと開催場所である離れ小島へと参加者を運んでくれるのだという。


 定刻通り十五時五分着。駅に降り立つと木守の鼻腔にもあたたかい潮風が通り抜け、乾き崩れた海藻類を思わせる匂いがはるかな昔に海を訪れた記憶を呼び覚ました。


「海沿いってもっと寒いかと思ったけど案外、温暖だな」

「そうね……あら、木守。あなたえびせん食べておりませんか?」

「試食あったから」


 駅横の土産物屋でぱりぱりとえびせんを齧っていると、匂いで気づいた隣の兎卯子に指摘される。


「むぐむぐ……バイト先にお土産買わなきゃなぁと思ってね」

「帰りで良いのではありませんか、そういうのは。……でも私も、仕事先になにか持って行かねばならないわね」

「いま仕事は電話応対の部署だっけ」

「ええ。でもちいさな会社ですから、部署だけでなく全員に買っていくけれど」

「殊勝な心掛けだねぇ」


 木守は工場のバイト勤務だが、自分が入る夜間シフトのメンバー以外に買っていく気はなかった。残ってたらどうぞ、くらいの気持ちである。


 右肩に背負ったボストンバッグに購入したえびせん二箱を入れて、左肘を兎卯子につかんでもらった木守は歩き出す。


 ……実際には兎卯子はひとりでも問題なく歩けて介助はほとんど必要ないのだが。それを知らない人間からすると「友人を手助けもせずへらへらしている」と叱られることがあるので、基本的に外を一緒に歩く際は白杖突く彼女に腕を貸すようにしていた。


「船、船っと……あ、十二時方向の三十メートルくらい先に停まってるアレかな」

「三十メートル先ですか……ああ、それほど大きくないのね」


 船艇周りを抜けた風に乗ってきた音から判断したのか、兎卯子はふむとうなずいた。


 小型のプレジャーボートだ。スポーツフィッシングや近場の島と島の間を移動するのに使われているのだろう、と木守は思う。


 船の乗り口には『待の方こちら』と書いてあった。わざと誤字を混ぜているのが、参加者にだけ通ずる符丁である。


「すみません、遠見島とおみじま行きはこちらでいいですか?」


 乗り口にスツールを出して腰かけていたごま塩頭の中年男性に木守が声をかけると、彼はびくりとしてから「……ああ」と声を漏らした。


 一礼して乗り込んでいくと、中の座席スペースにはほかに人影はない。


 木守たちが着席したのを確認すると「あんたらが最後だよ」と言って後ろから先の男性が乗り込んできた。木守たちの横を通り過ぎる際もなんだかびくついていて、おっかなびっくりの様子である。


「……帰りは明後日の正午、迎えに行くでな」

「了解です」

「ところで……その。俺は、依頼してきたひとから人数、全部で十人とうかがってたんだが」

「はい? ああ、人数がひとり多いってことですか」


 おそるおそるの問いかけには、兎卯子が軽く白杖を掲げることで木守の必要性を示す。


「その理由は、私がこういう次第であることからご理解いただけるかしら」

「僕、コイツの付き添いなんですよ」

「あ、ああ。……そうか。それならべつに連れてってもいいのか……うん。いいみたいだ、な」


 スマホの画面をぱっぱとタップしてなにかを確認し、男は安堵のため息をついた。


「十人以外は基本的に載せるな、とでも指示が来ていたんですか?」

「ん、ああ、うんむ」


 木守の問いに、男はひるむ。顔にぎゅっと力を込めた様子で、兎卯子と木守を交互に見ることでなにか読み取ろうとしているように見えた。


 けれど結局、なにもわからなかったのだろう。


 あきらめた表情で目を伏せて、すがるように声を絞り出す。


「……指示は、来てる。だが、依頼人の詳細もなにも、わからねんだ。俺は」

「えっ、島まで連れてく役目なのに……?」

「その、アレだよ。先払いで金だけもらって依頼されて、指示だけ守れって。薄気味悪ぃけど、あー、額が額だったもんだから、受けざるを得ず……額が額だから、指示守れないとホラ、アレだろ」


 言いづらそうにそれだけ口にすると、最後にあわてて「もしこの件の依頼人に遭っても、あんたら俺がこういうこと言ってたとは告げ口せんでくれよ」と残して操舵室に歩いていく。


 その後ろ姿を見送ってから、木守と兎卯子は顔を突き合わせた。


「なんか、怪しい空気になってきたね」

「額が額――というのがどれくらいの金額かはわかりませんが。年若く金など持ってなさそうな私たちを見て『こいつらは依頼人ではない』と油断したから、口を滑らせたのね」

「言いづらそうな態度だったことからして、依頼人からの金とやらは他言無用との口止め料も兼ねてる気がするよ」

「でしょうね。ますます怪しくなってきたわ」


 ころころと兎卯子は笑い、縫われた目元に穏やかな色を宿す。木守は肩をすくめて笑い、隣の彼女に「怪しいけど、がんばってね」と声援を送る。


 船の向かう先に、依頼人はいるのか。いないのか。


 頂点を決める戦いとはどのようなものなのか。


 なにもわからないまま、なにもわからないことを楽しんで。

 二人は島へ向かう。

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