第13話 こんなところにいられるか


 昨晩から降り出していた激しい雨が、半座が破っていった窓から吹き込んでくる。


 纐纈が部屋を駆け抜けベランダから外へ身を乗り出したが、すぐに戻ってきて「見失った。丘になっている方へ消えたようだが」と行き先を口にする。


「とんでもない逃げ足だな……これまで追い込まれた人間を戦地で幾度も見てきたが、ここまで詰まった状態で脱する奴は初めてだ」

「師匠だかのやらかしのせいで、組やらなんやらに追われる身であったそうよ。それを無事に逃げおおせているあたり、逃走技能はハイレベルなのでしょう」

「『生存能力が高い』という観点ですと、ある意味もっとも武術家らしいひとです……」


 兎卯子の補足に、感心したように加虎木がうなずいていた。


 その足下では蹴り返された大神が巨体を丸めてうずくまっており、涙とはなを垂らしてえずいていた。カウンターで鳩尾に入ったのだ、しばらく起き上がれまい。


「ち、くしょ……ごほっ」

「大神さん大丈夫です?」


 倒れ伏した大神の背をさすってやり、加虎木は横目でぶちまけられた吐しゃ物と、その奥でベッドに眠る辰宮を見やる。


「ともかくも……どうするですか。最有力の容疑者が、いなくなったですが」

「だが奴が犯人だとて、今日は嵐だ。海を泳いで逃げるわけにもいくまい」

「北熊谷さんの言う通りですね。結局のところ範囲が広くなっただけで、島そのものが密室と言い換えることが可能な次第なのですから」


 北熊谷の言葉を受けて、入間がうなずく。


 すると鹿野はふんと鼻を鳴らし、立てた親指で半座の居室の方を示した。


「ハンザァがいないナラ、その間に奴の荷物ヲ調べたらどうダ」

「荷物を、か?」

「ブッショが見つかレバ、あとのコトがラクになるゼ」

「物証……確かに彼がここに我々を呼び集めた主催で真犯人ならば、持っていてもおかしくはないな」


 纐纈の反応に巨躯を屈めてうなずき返し、周囲を見やる。


 とくに反対者はいなかった。鹿野は右肩をぐるぐると回して、辰宮の隣の隣に位置する半座の部屋の前に立つ。


 二撃。


 またも拳を打ち込んでからのショルダータックルで、扉を破壊した。


 部屋の内装は、もちろん辰宮と変わらない。右手、東側にベッドがあり左手にはキャビネット。奥に窓だ。


「また、誰か一人に調べてもらうとするか」


 纐纈が言って、部屋に入ろうとしていた鹿野の前に出て制する。不服そうに巨躯のボクサーは肩をすくめた。


「ハンザァが犯人ダロ? まだほかのヤツを警戒するノカ」

「最有力の容疑者というだけだ。それに誰かと組んでいた可能性は残っている、と私は見る。不用意に疑わしい者や行動を増やしたくない」

「ハァン……」


 鹿野はあきらめたように額を手で叩き横にずれる。纐纈はこちらに背を向け、室内を睨む。


 どこまでも纐纈は疑り深く慎重だった。思えば屋敷に来てすぐ、館内に罠や伏兵が無いかなどを調べていたというのだからそもそも誰も信用していないのだろうが。


「……加虎木サン、頼めるカ」


 部屋の中を眺めてこちらに背を向けたまま、鹿野が言った。


 え、また私です、と反応しかけた加虎木の方を木守が向くと、鯨井がスマホから顔を上げて纐纈の背中を見ていた。


 疑わシイ者増やしたくないダロ、と言いながら鹿野がこちらを向くと、スマホに目を落とし直す。


「私もその方がいいと思う。どうだろうか」


 纐纈が頼み直すと、あまり気が進まない様子だったが、肩を落として了承した。


 彼女が室内に入ろうとする。


 全員がそれを見守るべく半座の部屋の前に移動しようとした。


 そのとき木守は入間の後ろに並んでから、声を上げる。


「その前に少し、僕を見ていてもらえますか」


 全員がこちらを向いたのを確認してから、木守は辰宮の部屋を指さす。


「兎卯子の白杖、拾ってくるので。あとから『怪しい行動はなかった』と証言になるように。見ていてください」

「ああ、そう言えば……半座に投げつけてそのままになっていたな。これは失礼した」

「いいえ、お気になさらずとも良いのよ」


 実際のところ杖が無くても歩ける兎卯子は、謝る纐纈にひらひらと手を振った。


 辰宮の部屋に入り、数名に見守られながら木守は杖を取ってくる。


 それを兎卯子に手渡して、半座の部屋前に移動する全員の後ろに二人で並んだ。


「……なにかわかったの?」


 いまの行動が杖を取ってくる以外のところに意図ある行動と見抜いたらしい兎卯子に、言われる。


 鋭いな、と思いながら木守は頭を掻き、彼女にだけ聞こえるよう小声でつぶやいた。


「べつに推理したとかじゃ、ないよ。気になることができたから確認しただけ」

「気になること?」

「うん。鯨井さん……耳、聞こえてないと思う」

「あら、まあ」

「さっき鹿野さんが『加虎木サン、頼めるカ』と言ったろう」

「言っていたわ」

「流れ的にあのセリフは、纐纈さんが口にしていてもおかしくないものだった。ちがう?」

「前後のやりとりを考えると、そのようね……」

「だからだろうね。鯨井さんはあのとき、纐纈さんの背中を見てた」


 彼が発言者だと思い込んで。


 しかし振り向きながら鹿野が言葉を継いだことで、先のセリフが彼のものだったと気づいた。


「僕が入間さんの後ろで喋ったときも、全員の中で唯一先に入間さんの方を見てた。声がちがうから、わかるはずなのに」


 つまり鯨井は、声質などで発言者を判断していない。


 口調と文脈で判断している。


 覗き見防止フィルターが貼られているので画面はうかがえないが、彼女がいつもスマホを見ているのは中毒というわけではなく――そもそもこの島は電波が無い――周囲の音声入力でチャット形式に会話が流れるアプリなどを、使用しているのだろう。


「となると、わかることがあるね」

「なにかしら」

「あのひとだけは、辰宮さんの死体が見つかったっていう騒ぎが『うるさくて起きた』わけじゃない」

「『すでに起きていて』外に出たら騒ぎになっていると気づいた……ということ?」

「うん」


 木守はうなずく。


 兎卯子はふうん、と納得したような声を出して白杖で廊下の絨毯をいじいじとした。


 ややあってから、くいくいと肘を引っ張ってくる。


「……で、それが何になるというの?」

「なにも。言っただろ、べつに推理したとかじゃないって」


 気になったから確認しておいただけのことだ。


 正直に木守がそう言うと、兎卯子はなんとも言えない顔で「そうなの……」とささやいた。


 さて二人を含めた全員が見ている前で、半座の部屋の確認は進む。


 と言っても、追われる身で逃走中らしい彼だ。


 手荷物は少なく、ザックには着替えとアメニティグッズとタオルとスマホと充電器くらいしか入っていない。


「財布は持ち歩いていたみたいです」


 ベッドの下や通気口に至るまで確認して、加虎木が報告する。


「とくに主催らしき物証はない、か……」

「あとザックに入ってたのは、招待されたときの手紙らしきものです」

「一応、読んでみよう」


 纐纈が提案し、封筒を開いて中身を確認する。


 内容はこの孤島にある黒月館で戦いを行う、勝者には一千万円、という、兎卯子宛てのものにも書かれていた文面。


 あとは半座自身が語っていた、「師匠が捕まらなかったので代理として呼ぶ」という文面。それと、兎卯子の本間流の技について書かれていたこと同様に彼が《四甲》と呼ぶ体術の技法についても多くを知っていることが記されていた。


「……完全にゲスト側の文面だナ」

「カモフラージュかもしれないがな」


 どこまでも、かもしれないを平常運転にする纐纈だった。


 彼は部屋より出てきた加虎木と共に全員の側を向き、声高に言う。


「だが……明日の正午には船が来る。いま我々がすべきは、集まっておいてこれ以上半座、ないしこの中に潜んでいるかもしれない犯人から生き延びることだろう」


 加虎木がこくりとうなずく。


 鹿野は半目で下唇を突き出した。


 鯨井は無反応。


 北熊谷は腕組みして目を背けた。


 入間はにこにこしているだけ。


 大神はまだ青い顔で壁にもたれている。


 兎卯子はあくびをした。


「くだらぬ……」


 禿頭からずり落ちたナイトキャップを戻しながら北熊谷が言った。鹿野は昨日の確執が残っているからか、小ばかにしたように中指を立てている。


 皆が視線を向けるのを意に介さず、彼はくるりときびすを返して去っていく。纐纈はその背に呼びかけた。


「北熊谷さん。単独行動は、」

「集まりたい者だけ集まっておればよかろう。儂は好きにさせてもらう」

「ひとりになるの、危険だと思うですが……」


 加虎木の声に、足を止めた北熊谷は肩越しに振り返りつつ。


 ひどく落胆した様子で言い捨てた。


「不慮の事態に個人で対応できん腕で師範代を名乗っておるのか、お前は。……倉内流も堕ちたものだ」


 淡々と事実を告げるような物言いに、ぐ、っと言葉に詰まったらしい加虎木はうつむいた。


 そのまま彼は自室へと戻っていく。鹿野はその背に恫喝するような声をかけた。


「オイ。ジジイ、逃げるノカ」

「莫迦を言うな、逃げも隠れもしない。今日の戦いについて通達が来次第、呼べ。小僧、貴様から相手してやる」

「……通達がなかッタラ?」

「夕刻十七時に部屋を訪ねろ。闘る場所は貴様が決めて構わん」


 足音もなく北熊谷は去る。ダムンッ、と吐くように鹿野が叫ぶ。


「そんならあたしも、自由にさせてもらうとするかね」


 スマホを見ながら鯨井も歩き出す。


 こうしてよくよく言葉のイントネーションを聞くと、わずかながら抑揚や声の大きさに違和がある。自分の耳で音を聞いて調整できていないからだろう、と木守は思った。


「通達なりなにか状況変わるなりしたら、ノックはいいから部屋に入って来とくれ」

「……あなたも単独行動をとるのか?」


 確認として問う纐纈に、ほうれい線を歪めながら鯨井は返した。一対一なら読唇術が使えるのか、いまはスマホを見ていない。


「傭兵の考え方だね、そりゃ。空手の爺もそうだが、あたしらは『個』だ。集合や群で戦うタイプじゃぁないのさ」

「しかし」

「それにあんたらと居るときに襲われりゃ、あんたら全員に技を晒すことになる」


 じろりと周囲を見据える。


 その目は冷めた鉄を思わせる、何物にも変化させられない強く堅い意志を感じさせられた。


「こんな状況になったんだ。いつか寝首を搔きに来る『敵』になるかも知れん『他人』に、技を知られることになるってのぁ勘弁して欲しいね、だったら部屋でひとり迎え撃つ方が気がラクってもんだ」


 じゃ、と片手を挙げて部屋に戻る。ドアが閉まる。


 残った面々を見て、纐纈は小刻みに揺するよう首を振った。


「……減ったものは仕方がないな」

「ですね。では僕も皆さんにはあまり良く思われていないでしょうし、自室へ残ります」


 にこにことしたまま、入間は言った。


 相変わらずその左手はポケットの中へ差し込まれたままで、彼の行動を咎められる者はない。誰もなにも言えないうちに、その後ろ姿も部屋へ吸い込まれていく。


 あっという間に、六人になってしまった。


「とりあえず、広間に固まろう」


 纐纈が指揮し、場に残っていた五人は誰ともなく歩き出した。


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