第11話 部屋割りと第一の殺人


「ぎすぎすしてきたな。まぁ、金のかかった争いともなれば当然ではあるが」


 纐纈が言い、脇に置いていた新聞に手を伸ばす。


 木守が見ていることに気づくと「孤島でネットに繋がらないことは予想がついていた。暇つぶしに持ってきたわけだ」と私物であることを答える。


「それにしても恐ろしい奴だな、入間は。なにをするかわからないという意味では、この場の人間でもっとも危険だ」

「まぁ、殺し屋ですもんね……あ、廊下奥に厨房あって、そこに夕飯のカレーありましたよ」

「ああ。知っている。あとで私も一杯御馳走になっておこう」


 ソファに腰かけて木守と兎卯子がカレーを食べ始めると、纐纈は新聞をローテーブルへ開きながら雑談を振ってきた。


 彼が見ている記事は、ちょうど木守たちが住む町で起きている通り魔関連の一件だ。


「いやはや、長く日本に帰ってきていなかったが、まさか殺し屋が跋扈するほどに治安が悪化しているとは思わなかったな……新聞でも連続通り魔など取り沙汰されているようだし」

「いや、殺し屋はさすがにそうそういないと思いますよ。入間さんは例外でしょ」

「そうなのか?」

「あんなふうに手榴弾だの持ち歩いてるひとが頻繁に見かけられたら、この国の治安はもっと終わってますって」

「そうか……」

「あれ、なんだか沈んでませんか」

「いや、なに。もしああした人種が跳梁跋扈しているようなら、私も傭兵としての仕事にありつけるのではないかと思ったのだがね」

「ああ……なるほど……」


 物騒なことを言うひとだなと木守は半目で彼を見た。


 纐纈は新聞をめくり、連続通り魔三件目の凶行、という記事を折りたたむ。


 木守ははぐはぐと可もなく不可もない味のカレーを食べながら、次のページの天気予報を見ていた。この島のあたりは、雨。


「やだな、天気悪いの」

「嵐の晩ってなにか起こりそうな空気よね」

「殺し屋とひとつ屋根の下にいるときにそういうこと言うの、おっかないよ」

「そうかしら。知らない暗殺者が紛れ込んでる、と言われるよりはマシでしょう」


 隣でもぐもぐやりながらスプーンでカレーを掻き分け掻き分け、兎卯子が言う。


 皿の端には器用にニンジンだけがよけられていった。スプーンを当てて、硬さで他の具材とのちがいを判別しているらしい。


 見るともなしにこの様子を見ながら纐纈が「なぜ、そう思う?」と返せば、ひとつうなずいて兎卯子はつづける。


「暗殺者は対象を殺して『対象とその周りの動きを止める』ことが目的だけれど。殺し屋は殺しという示威行動で、『周囲に影響を与える』のが目的ですもの」

「……ああ。誰が殺したか、誰の差し金で殺したかがはっきりしていることでこそ意味を成す場合が多い、という意味か」

「ええ。つまるところ、殺し屋の殺しは情報戦における一手。そうある以上、暗殺者と比べて動きは読みやすいわ」


 暗殺とは最高レベルの検閲である。なんて言葉を、木守は思い返す。だからなんだという話だが。


「いずれにせよ入間さんは依頼目的に抵触しなければ安全そうですし。放っておいて構わないと思うわ」

「その含みのある物言いだと、誰かを警戒しなくてはならないと考えているように聞こえるが」

「? 実際そのように言ったつもりよ、いまの言葉は」

「なに……? それは主催者が紛れているから、ということではなく?」

「それもありますけれど。なんだか裏のあるひとが、多いように感じるの」


 淡々と述べて、兎卯子はカレーを口に運んだ。


        +


 この黒月館は、上から見ると『工』の字に近いかたちをしているようだ。


 三画目の書き出しに位置するのが厨房。とめに位置するのが広間。二画目が両階段のあった玄関ホールで、二階の回廊が奥、一画目にあたる部分の棟へと繋がっている。


 一画目部分――北棟が、来客用の部屋を備えている。棟の中は両端に階段があり、移動が可能となっていた。


 そして北棟一階中央部、つまり玄関ホールの裏側にあたる位置が、二つの大浴場を備える入浴施設となっている。


「お風呂の用意をしませんと」


 北棟二階の東端を居室として選んだ兎卯子に付き従い、やってきた木守はダブルベッドに腰かけて足下のボストンバッグを漁る彼女をなんとはなしに見ていた。


 と、くぐもった音がしたのでなにかと思えば、先ほど隣の部屋に入っていった纐纈が「あれ、……が無い……は確か持ってきた……ん?」などとぼやいている声だった。壁は薄いようだ。


 部屋は東端から、


二階:

・兎卯子と木守

・纐纈

・大神

・北熊谷

(空室)

・鯨井

ラウンジスペース

・入間

(空室)

・加虎木

・半座

・鹿野

・辰宮


 と、なっていた。一階は物置部屋が多かったのと、入間の存在で孤立することへの忌避感が生じたこととで、選ばれなかったのかもしれない。


 半座は広間にいなかったのでどうしたのかと思っていたが、「辰宮さん、手怪我してるし大変かと思って先に探してたのさ」とのことで、たしかに彼の言う通り西端の辰宮居室前にはちんまりとカレーの皿が置かれていた。ノックしても返事がなかったらしい。


 ともあれ、時刻もなんだかんだで二十時を回っていた。


 スマホもろくに使えずテレビもなく、話し声などが無くなってしまえば森のざわめきくらいしかない空間だ。


 退屈だな、と思っていたら、兎卯子がボストンバッグのジッパーを締めるところである。


 ベッドの上には、彼女の夜着であるフリルの多いネグリジェドレスが畳んでおかれていた。


「それでは、木守。お風呂にいきますので、お願い」


 立ち上がって両腕を広げた兎卯子に言われ、スツールに腰かけていた木守はおもむろに腰を上げた。


「べつに自分でもできるだろうに」


 そう返しつつ、でもそれ以上反抗などはしない。入浴にあたってのだ。


 彼女の衣服を緩め、ジャンパースカートを下ろし、純白のパフスリーヴブラウスの肩をするりと落とす。


 後ろを向かせて。


 腰のところに手をやると――ひたりとつめたい肌に触れて、そこにある突起に指を這わす。


 背中の中心に沿って左右へ等間隔に並ぶ、皮膚を貫き留めるリングピアス。


 七対、合わせて十四。


 靴紐のように互い違いにリングへとリボンを通し、きゅうと腰の皮膚を締め寄せるコルセットピアス――そのリボンを、ほどく。


 皮膚の無理な伸張がなくなり、もっちりとした質感が戻る。さりとてくびれはまるで変わらないのが、不思議だった。


 次にブラウスの袖を抜かせ、両の二の腕内側にも施してあるそれを解く。


 最後に正面を向かせ、手折ることも容易と見える細い喉元から起伏の薄い胸元へ伸びるそれを、解く。


 身を覆っていた四つのリボンから放たれた兎卯子は、ほとんど裸身のままあー、と大きくのびをしてネグリジェドレスをごそごそと着込んだ。


「ありがとうございます、木守。お風呂上りには結び直しをよろしく」

「二の腕内側のはともかく、喉と腰のは自分でやりなよ……」

「せっかく手の空いてるひとがいるのに使わない手はないでしょう?」

「まあ、そうだけど」

「それに、私とあなたは互いに苦労と迷惑をかけ合う関係のはずよ」


 ふふんと笑い、軽い歩調で部屋を出ていく。


 そういう言い方をされると弱くて、木守は嘆息しつつベッドに倒れ込んだ。


 さっきまで兎卯子が座っていた位置に、少し彼女の匂いが残っているような気がした。


 血と肉と、


 鉄と悲嘆の匂い。


「まあ、どうでもいいけど」


 ごろりと横になり、眠る。


 うつらうつらしているうちに兎卯子が帰ってきたので入れ替わりに風呂に入り、あとは朝までなにも起きなかった。


 多少ばたばたと物音はしていたが、壁が薄いせいだろうと気にも留めず。


 翌朝。


 辰宮の部屋の前から、事態ははじまる。


 最初に気づいたのは朝の稽古をしようと六時頃に部屋を出た加虎木だったらしい。白いパジャマ姿でどんどんと部屋をノックしたことで、その物音が響いてだんだん周りも起きてきた。


「どしたン、加虎木ちゃん」

「いやその。カレー、一晩中置きっぱなしだったようなのでノックしたですが。返事なくて」

「……え」


 尋ねていた大神が目をぱちくりさせる。


「ドア、開かないです」

「マジか」


 加虎木と大神ががちゃがちゃとノブを回す。しかし、無反応。


 そこへあくび混じりにやってきた鹿野が、「どいてナ」と言って拳にハァーと息を吹きかけた。


 二発。


 拳でドアにひびを入れ、間髪入れずのショルダータックルでドアをまっぷたつにした。


 室内は木守たちの部屋とほとんど同じ構造で、奥に北向きの窓。西側にキャビネットと箪笥、東側の壁際にベッドがあり――


 ベッドの上で、


 辰宮理由子が死んでいた。


 目鼻耳から出血している、だれが見てもアウトだと思う死に様であった。


「おやおや」


 他人事のように、入間が声を上げた。

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