第16話 まるで暗い穴のような
木守と兎卯子と加虎木は、缶詰を開ける前に一度広間に戻った。それから加虎木だけ置いていくことにする。
鯨井に完全敗北したことですっかり意気消沈した様子の加虎木は、直前まで兎卯子に訊ねていたことへの言及もぽっかり頭から抜けてしまったようで、鎮としてソファに座していた。
鹿野、大神、纐纈がそんな彼女をじっと見る。
「……なにかあったのか?」
代表して纐纈に訊ねられたが、横でくうくうとお腹を鳴らしている兎卯子の都合の方が木守には重要だった。
「あとで話しますよ。それよか、缶詰見つけたんでちょっとエントランスで開けてきたいんですけど。加虎木さん落ち込んでるみたいですし、兎卯子と二人で行ってきてもいいですか?」
「それは構わないが。なら、加虎木さんの方は私たちに任せてくれ」
「ありがとうございます」
広間を出て廊下を歩み、エントランスに出た。
そこで木守は兎卯子に缶詰を手渡す。手本として、彼女の手に己の手を添えて動きを真似させた。
「コンクリに缶の縁を押し付けて、ぐるぐると回す感じ。こう、車にワックス塗るような動きで」
ざりざりと、金属を削る音が嵐の中に響いた。
「これで開くの?」
「削り開くんだよ」
「ふうん……ところで、木守」
「なに?」
「主催者の部屋、なにが置いてあると思う?」
「どういう意味?」
「主催者を主催者だと指摘できる、確たる証拠は無いものかと思って」
「あー。まあ現状だと、兎卯子の人並み外れた嗅覚で指摘してるだけだから物証ないもんな」
非常に視力の良い人が四キロ先から「犯人を見ました」と言ってるようなもので、とっかかりにはなるが確実に追い詰めるほどのものではない。
「って言っても、いまから確認しにいくわけにもいかないだろ」
「ええ。ですからでっちあげで、それっぽいことを言いたいの」
「でっちあげ。……さっき半座さんにやったのと、同じようにか」
「ええ」
悪びれもせず兎卯子は言う。
木守は手を止めて二、三頭を掻き、少し考えてから彼女に返す。
「『濡れた衣類』」
「……ああ。いい発想ね」
「ハッタリにはそれくらいのぼかした表現がいいでしょ」
あるかないかもわからない物証を、可能性が高そうだという想像だけでこしらえて二人は戻る。
と、広間ではさめざめと泣く加虎木を纐纈がなだめる空気が流れていた。
どうも先ほどの敗北を引きずっているらしい。ぐすぐすと、涙を袖でぬぐっていた。
主催者がどうこうという話をするような状態では、なかった。
「……そ、それでっ。無視せねばならない状況だとは、思ったのですが……あまりの侮辱に、こらえきれず。挑んで、殴って、けれど微動だにっ、されなくて……! わぁぁん……!」
たぶん自分より一回り年上だろう女性が「わぁぁん」と泣く様子をめずらしく思いながら、木守は黙ってソファに腰かける。
兎卯子は開いた缶詰の乾パンを「おひとつどうぞ」と差し出しながら加虎木の横に腰かけた。あんなもの口にしたら数分は黙っていることになると思うが、遠回しに口を開くなという意思表示なのだろうか。
けれど加虎木はなにも考えていないのか、ざぐざぐと乾パンをかじりはじめた。
案の定、沈黙が落ちる。
「……しかし、いま聞いたソレは、オレも同じ経験があるナ」
意外にもここで口を開いたのは、鹿野だった。
全員が彼の方を(加虎木は口をもごつかせながら)向くと、ボクサーは指を打ち鳴らしながら姿勢を前傾にとり、つぶやく。
「ジツはオレも、昨夜あのクジライ相手に同じことヲしタ」
「鯨井さんと会ったのか?」
「というヨリ、オレの部屋を訪ねてキタのサ。ドアをノックしてナ」
「なんと言ってきたのかしら」
「『手を組め』と。オレの手ヲ借りたいと、言ってきタ」
ふー、と息を吐いてから拳を握り、ダムン、と小声で毒づいてから鹿野はつづける。
「狙いハ、イルマだっタ」
「入間を? それは手榴弾など所持した危険人物だから、排除しようという意図か」
「ソレもあったカモしれないガ、クジライの言い分は少し別ダ。主催者の思惑を探るタメ、と口にしていタ」
「主催者を……ふむ。それはもちろん、直に会ってないと申告していたとはいえ唯一繋がりのある人物だからな。追うのは道理だが」
「だナ。ダガあの女はオレを、
たぶん、『願い出る』だ。面倒なので木守は指摘はしなかった。周りも流した。
しかしこれで強まる推測もある。木守は鯨井が辰宮の遺体発見騒ぎで起きてきたのではない、と思っていたが……おそらく、眠っていなかったのではないか。
入間と主催者の繋がり。それがどこかで発揮されるのではないかと――たとえば夜中に密会するのではないかと。そう疑って、ラウンジスペースを挟んだ隣の部屋で神経を張りつめていたのではないか、と。
「オレはソンナ闇討ちのために協力デキナイ、と言っタ。すると奴は……ダムンッ……『やはりボクシングなど頼れんか』と……あのジジイと同じようなことヌカシやがって!」
「それで殴ったのか」
「
「……その拳を、か」
鹿野と兎卯子以外の全員が振り返る。
北熊谷とやり合った後、苛立ち紛れに殴った後方の石壁が拳のかたちにへこんでいた。
あの場には鯨井もいたため、彼女はその威力を見込んでこそさっきのような頼みごとをしてきたのだろうが。
「ブキミだったゼ。殴っテルのニ、拳が暗い穴に落ちてイク気がしタ」
「私もです。力がまるで通用しない感じがして……どういう技術なのか、と」
加虎木が同意を示し、震える。
「……こんな状況で言うのもなんですが、当初の目的である戦いが勃発しなくてよかったと思うですよ。絶対あんなの勝てないですし……というか、こんな状況ですから、もうヤらないですよね、戦い? というか、ああっ、そうです!」
徐々に顔を上げていき、目を見開いた加虎木が言う。
ひしと横に居た兎卯子にしがみつくようにすれば、兎卯子が「あら」と軽い感じでこれを受け流す。
ばたんとソファに倒れ伏した加虎木は、眼鏡をかけ直しながら兎卯子を見上げた。
「う、憂原さん、そういえば! さっき、主催者が誰かわかっていたと、言いかけてたですよね!」
「そういえば申し上げたわね」
あっさり肯定したので、どよめく空気が流れた。
白杖をついて兎卯子はゆっくりうなずき、こつこつと歩いてマントルピースの方へと。加虎木から距離を置く。
ソファはマントルピースに向かって扇状に並んで居た。
全員の視線が兎卯子へと集まる。
彼女はにっこりと微笑んで、とんとんと床を杖で叩いた。
「それでは――主催者の大神さん。お話聞かせていただいてもいいかしら?」
もったいぶらずにさっさと指摘した。
あまりにスムーズに自分の名が出たためか、しばしのフリーズが挟まれた。
おそるおそるといった表情で顔を伏せ、周囲が自分を見つめていることを横目で確認すると、あらためて自身に追及が向いていると認識した様子で少しずつ青ざめていく。
「……あぁ? なに言ってんだ。俺が主催者って……なにを根拠に」
「それが最後の言葉でいいの?」
コココッ、と素早く白杖が床を叩く。
一定のリズム。
それが引き金。
パカんと杖の先端が皮を剥くように四つに別れた皮膜を落とし、
尖った切っ先が露わになる。
と、周りが視認したときには兎卯子は左手を中ほどに添え――刀の扱いでは『中取り』などと呼ばれる動きに近い――滑るように大神の前に移りこんでその先端を喉元に突きつけていた。
ひ、と大神の息がつまる。
兎卯子のささやきが迫る。
「私基本的に専守防衛ですから、これも護身用なのだけど。突き刺すくらいなら、容易いのよ」
そのとき、木守の鼻腔に香った。
別段彼は嗅覚鋭いわけでもないが、こういうときの匂いには敏感だ。
血と肉と、
鉄と悲嘆の匂い。
兎卯子がいつも薄く纏っているそれが、このときばかりは強く濃く
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