第14話 三人一組になって
午前七時。
南棟にある最初の広間に固まり、寒々とした空間の中で互いを見合う。木守の横では兎卯子が足をぷらぷらさせて、「おなかが空いてきたわ」とぼやいた。
半円を描くように配置されたソファに六人が腰かける中、纐纈が膝の上に頬杖をつきながら傷のある顔を険しくゆがめつつ言う。
「手洗いや移動をするときは三人以上を原則とする。二人きりだとふとした瞬間、半座ないし協力者と一対一になる可能性が上がるからな」
あくまでもこの中にも協力者がいる可能性を捨てず、纐纈は言う。
いたたまれなくて周囲を見回す加虎木と視線が合い、木守は肩をすくめた。疑いが尽きないのはしょうがないと思っていた。
「でも纐纈さん」
「なんだね」
「三人中二人が協力者で、他の人間も殺す気だった場合はどうするのかしら」
兎卯子が問うと、頬をさすりながら纐纈は返事をする。
「推測だが、協力者は居ても一名。それに狙いは辰宮さんのみだったと思っている。二名以上の手が借りられてかつ彼らの目的が複数名の殺害だったなら、昨晩の間に他の人間も殺しているだろうからな」
複数名の殺害が目的ならばわざわざ一人だけ殺して警戒度を上げはしない、ということだ。一理ある。
「故に気にするべきは潜んだ半座による、犯行が露見したことで開き直っての襲撃だ。あれだけの動きができる人間に寝首を掻かれてはたまらない……しかし三人以上で動けば、その可能性もだいぶ削れるだろう」
緊張の空気に、現状の打開策を与えて行動指針を定める。安心感を生み出そうとの纐纈の配慮がうかがえた。
加えて彼はひとさし指を立て、行動指針について追加事項を語る。
「それと三人での行動中に入間・鯨井・北熊谷と遭遇した場合は接触せず引き返し、会話もしないことだ」
「なぜです?」
加虎木が問う。纐纈は両手を前に、ろくろを回すような格好でつづける。
「彼らは単独行動を選んだため、思考と動向が判然としない。つまり不確定な要素が多くなっているからだ。ならば最初からどう対応するかを決めておいて、こちらはこちらの六名の理屈のみで動くと確定しておく方が安全度は上がる」
「はぁ……?」
納得しきれていない様子の加虎木に、纐纈は両手を広げたポーズを取りながら説明する。
「たとえば北熊谷さんが『北棟で鯨井の死体が見つかった』と言えば動揺して気になるだろう? 確認しに行かねばと思うだろう? 良識的な判断だ、人として当然の反応だ。……だが、良識を利用して北熊谷さんに思考を操作されたとも言える」
「あ」
「……気づいたな。そうだ、そこでたとえば北棟への道中に罠を仕掛けられていたら? 鯨井さんが殺されたというのがウソで、じつは二人がかりで殺そうとの算段だったら? わからない。不確定要素は増えるばかりだ」
だから単独行動した者は切り捨てる、と纐纈は断ずる。
「仮に血まみれかつ足取りもおぼつかない様子で彼らが歩いてきたとしても、絶対に近づくな。もしかしたらそれは誰かを殺害して浴びた返り血で負傷したと見せかけ、自分を救助しようとやってきた者を騙し殺そうとの意図かもしれない。じつは入間になんらかの手段で脅され、手榴弾を握らされているかもしれない」
「……そこまデ考えるノカ」
「そうだ。気を抜いた者から死ぬのだからな。現にひとり死んでいる現状をよく頭に入れるんだ、鹿野」
言っていることは神経質そのものだが、奇妙なほど落ち着いていて淡々と語る纐纈を見ていると、それは経験則に裏打ちされた読みなのだと感じられる。
「『接触するな』とは、そういうことだ。遭遇したらなにもせず引き返す。相手の持つ情報――視覚的なもの、聴覚的なもの、あらゆるものを――考慮に入れず計算に入れず反射として引き返せということだ。そして引き返してから、私に見たものを感覚のまま伝えてほしい。対処はそこで判断する」
完膚なきまでに部隊としての運用を念頭に、纐纈は指示を出していた。群として動く上での最適解。
熱のこもった言いように、鹿野も「わかっタ」と短く返していた。加虎木もうなずき、兎卯子と木守もとりあえずつづいておく。
「大神くん。お前さんも、それでいいな?」
確認をとる纐纈に、大神はうつむいていた顔を上げた。ああ、と弱弱しく告げる。
彼はやっと体調こそ平常に戻ってきたと見えたが、青い顔のままでちくしょう、と時折絞り出している。相当に弱っていると見えた。
「……とりあえず水でも飲むですか、大神さん。ほかの方も水分は欲しいでしょうし、私とってきますですよ」
弱っている彼を見かねて加虎木が提案する。纐纈は「そうだな」と受け入れた。
「では、私と木守も向かいましょう」
すっくと立ち上がったのは兎卯子だった。立ち上がりかけていた加虎木は自分より早く動いた彼女を見て「え」と目を白黒させている。
「三人以上で動くのが原則だから、構わないでしょう? 私はあまり木守と離れたくありませんし」
こつこつと床を白杖で叩く。
そういうことなら、と纐纈は首肯し、大神と鹿野もさして不満はないという様子で目を伏せた。
兎卯子は微笑みを浮かべながら加虎木へ向き直り、「行きましょう」と告げる。
彼女はまぶたの上下を縫い留めるボディステッチにいまだ慣れないのか、正面から見つめないようにしながら「はいです……」と応じた。
昨日鹿野が北熊谷に弾き飛ばされて壊れたままの扉から出て、廊下を歩く。
三人固まって、兎卯子を先頭に木守、横に並んで加虎木という順であった。
「壁際からは離れて歩いた方がいいかもしれないわね。壁越しに鎧通しで打たれないとも限らないもの」
「あ、はいです」
すたすたと歩く兎卯子の後ろ姿は芯の入った姿勢で、急な接敵にも備えていることがうかがい知れた。
加虎木はそんな兎卯子を見て、人の振り見て我が振り直せと思ったか。おっかなびっくりだったのが、しゃんと体を整えた歩き方に変わる。
ややあってから、三人は廊下の中途で手洗いの前を通りかかった。
「……ちょっとだけいいです?」
「花摘みかしら」
「それもあるです」
「も。とは、なにかしら……でも、どうぞ。私が中までご一緒します。じゃあ木守。廊下を見ていてくれる?」
「はいはい」
承諾すると、二人は連れだって中へ消えた。
廊下の窓に打ち付け垂れる雨粒の行方を眺めていると、音姫の電子的な流水音が聞こえた。古めかしい館の割にそういうところはしっかりしているらしい。
それから、兎卯子と出てきた加虎木は手にひとつ棒状のものを握り締めていた。
「……デッキブラシ?」
「なにもないよりはいいと思ったのです」
清掃用の長めの柄を握り、軽く小手打ちと思しき動作をしながら構える。
彼女の流派は徒手専門ではなく武芸十八般をいまに伝える古武術だ。得物があればシンプルに戦力は強化されるし、柄を利用した棒術ならばよほど狭いところでない限り間合いも自在。状況に応じた選択と言えた。
兎卯子はしかし、異を唱える。
「けれど得物が欲しいなら、厨房にナイフなり包丁なりありそうですけれど」
「いやさすがに刃物持っていると、纐纈さんたちに警戒されそうですし」
「隠し持っておいたらいかが? 古流なら、周囲に気づかれないようにする暗器携帯術もあるでしょう」
「それはもちろん、あるですが……うちの流派でそれを学ぶのは、相手に使われたときに『見破る』ためです。暗殺者側のことをするのは抵抗があるですよ。姿を見られず気づかれず、一秒で手を出し尽くして結果だけを求める邪道と同じ真似は、イヤです」
ぶんぶんと首を振り、彼女はデッキブラシへのこだわりを表明した。
あくまで身を守るだけのものとして、というアピール込みで選んだ武装なのだろう。和を考えており、邪道に逸れない武器として。
「暗殺や邪道に、お詳しいのね」
「うちの流派の歴史は、そういうものとの戦いの歴史でもあるですから。憂原さんの本間流も確か似た系譜ではなかったです? 室内などの閉所で侵入者を撃退することを考慮した
「そうね。身につけたそれらの技、使った経験があるわ」
「……え。経験」
「その結果、不覚をとったことも一度だけ。人生の恥ね」
からからと笑いながら言うが、加虎木はドン引きした顔だった。
気持ちはわからないでもない、と木守は半目でその光景を見つめて、助け舟として会話に接ぎ穂を当てる。
「ともあれ、デッキブラシでいいと僕は思います。ちょうどいい、って感じで」
「あ、ありがとうです」
「さ。では行きましょうか、厨房へ」
言うや否やきびすを返し、兎卯子がまた先導する。
その後ろへのたのたと歩き出した木守を見やり、加虎木はふと気になったようにつぶやく。
「そういえば……お二人は、どういうお知り合いなのです?」
「どういう、と言うと?」
「憂原さんとちがって木守さんは、武術家の動きしてないですから。武術関係で知り合ったのでないなら、どういったお知り合いなのかなぁと」
「ああ……まぁ、腐れ縁みたいなものですかね」
「お互いに苦労と迷惑をかけあうことが基本になっている、そんな関係ね」
木守と兎卯子が口々に答える。
加虎木はこてんと首を横に倒し、ちょい、ちょい、と交互に木守と兎卯子を指さして、言う。
「……恋人?」
「ではないわね」
さらりと否定して、厨房の扉を開く。
「でもこんな騒ぎで面倒な目に遭って欲しくもないですし、だから主催者と一緒の部屋にも居て欲しくなかったというのは確か。それくらいの関係ね」
「なるほどですー……え?」
あ、ここでそれ言うんだ。と思いながら木守は兎卯子のあとにつづいて厨房へ入る。
後ろに向かって手を振りながら、兎卯子は「お水、なにに汲んで行きましょうか。バケツ?」などと口にしていた。
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