第14話 2020年5月16日
目が覚めてみると、部屋の中が少し暗い。窓を開けてみると、小雨がぱらついていて、最近、晴れ続きだったからちょうど良いかな、なんてことを思ってしまう。
「佑樹、朝ご飯よー」
廊下から母さんの声がする。こうやって、呼ばれて朝ご飯に行くというのはだいぶ久しぶりだ。
今日は、僕と父さん、母さん三人がきちんと揃って朝食をとっている。コロナウイルス騒ぎの前は当たり前だったはずだけど、当たり前じゃなくなっていた光景。
「母さん、お仕事の方は大丈夫?」
「油断はできないけど、少しずつ退院する人も増えてきてるわね」
「そっか。このまま収まるといいのにね」
「こればっかりは、誰にもわからないんじゃないかしら」
母さんとそんなことを話す。
「このまま収まっても、うちは大打撃間違いなしだがな」
「そうなの?」
「ああ。次の四半期は業績大幅低下だろうな」
「四半期?」
「ああ、聞きなれない言葉だったな。要は3か月の事だ」
「ふーん」
なるほど。1年を4分割するから、3か月ってことか。ビジネスのことはよくわからないけど、学校が1年ごとであるように、3か月単位で物事を見るのだろう。
「まあ、うちはまだマシな方だ。中小だと倒産しかけのところも多いしな」
「そういえば、ニュースでやってたね」
企業にお金を給付するとか、貸すとかなんとか。経営とかビジネスはわからないので、意味はわからないことが多いけど、企業も自分のところのお金がなくなると困るのはわかる。
「うちの会社が給料が払えないってことは当分ないから、心配はするな」
僕にはわからない世界で、いずれは僕も出ていかないといけない世界だけど、大人は苦労しているのだなと思う。
部屋に戻って考えるのはヒナとのこと。昨日はヒナから頬にキスをされてドキドキしてしまったけど、一方的に押されてばっかりで、男として少し情けない。
でも、今日はどうしよう。都内のお店は閉まっているところも多いから、どこかデートにというのも難しいし、散歩に行こうにも雨だ。って、そもそも、ヒナの予定も考えずに当然のように暇をしているものと思っていることに気が付いて愕然とする。
最近、僕はまだまだ子どもで、相手のこともよく考えられていないことに気が付くことが増えて、少し自己嫌悪してしまう。とにかく、ヒナの予定を聞いてみよう。
【ヒナは今日、暇?】
【別にやることはないけど。急にどうしたの?】
疑問を示すスタンプが送られてくる。
【深い意味は無いんだ。今まで、ヒナの予定も聞いてなかったなって反省しただけ】
【気にし過ぎだよー。ほんとにダメだったら、ちゃんと断るから】
【そっか】
ここまで書いて、次に送るメッセージを考える。「そっちに遊びに行っていい?」か「家に来ない?」か……。そもそも、家で何をしようか。そこまで考えて、ふと、動画配信サービスのことを思い出した。これだ。
【今日は家に来ない?NetFlixで配信されてる映画でも見ようと思うんだけど】
NetFlixは最近、映画やドラマをインターネットで配信していて、家でもNetFlixを契約している。たくさんの映像が毎月定額(といっても、僕が払っているわけじゃないけど)で見放題なので、お得だ。
【うん。じゃあ、これから行くね。今から行っても大丈夫?】
【いつでもいいよ】
【じゃあ、30分後くらいに行くから】
30分とは長すぎると、昨日までなら思ったけど、僕と一緒に居るために準備してくれているのだろう。そう思うと、少し嬉しくなって、なんだかにやにやしてしまう。
僕も、ちゃんと準備しよう。部屋をちょっと整理して、二人分の座布団を配置。ダイニングに行って、紅茶を淹れようとしていると、ふと、声がした。
「佑樹が紅茶入れるなんて珍しいわね。ヒナちゃんでも遊びに来るの?」
「う、うん。まあ。邪魔しないでよ」
「ふふ。そんな幸せそうな顔をされたら、邪魔する気にもならないわよ」
「幸せそう?そうかな」
「にやにやしてるわよ」
自分で気づいていなかったけど、そうだったのか。これは、ヒナが来る前にちゃんとチェックしておかないと。
洗面台の前の鏡に立つと、確かに、不思議なくらいにやにやしている。僕がこんな表情をしているとは驚きだ。ヒナが来る前に、なんとか普通の表情に戻さないと。鏡を見ながら、平静ぽい表情をなんとか作ることに成功する。
そんなことをしている間に、インターフォンが鳴る。慌てて、玄関に出てヒナを出迎える。
「いらっしゃいヒナ。まあ、上がってよ」
「うん。お邪魔しまーす」
平静を装って、ヒナを部屋に案内する。
「あ、この座布団使って」
「ありがと。なんだか、今日のゆうちゃん、気が利くね」
「そ、そうかな……」
そう言われると、ちょっと嬉しくなってしまう。そんな僕を見て何を思ったのか、ヒナはくすくす笑っている。
「何かおかしい?」
「ううん。なんでも」
ひょっとして、さっきみたいに、にやけていたのが顔に出ていたのだろうか。深呼吸をしてから、ヒナの服装を見てみる。
昨日と違って髪をそのまま下ろしていて、膝下まであるスカート。上は水色のシャツで、昨日とはまた違って、ちょっと落ち着いた印象がある。ちょっと大人っぽい、ていうか。それに、なんだかいい香りがする。
「あの。似合ってるよ、ヒナ。それ、僕のために?」
「ありがと。もちろん、ゆうちゃんに見て欲しいからだよ」
満面の笑顔でそう言われてしまうと、ヒナの心を独占できた気がして、浮かれた気分になってしまう。
「そういえば、なんか香りがするんだけど」
「あ、わかる?香水つけてみたんだよ」
「ヒナ、香水なんか持ってたんだ」
「時々つけてたんだけどなー」
不満気に睨まれてしまう。そうだったのか。ということは、これまでもせっかく僕のために色々してくれてたのに、気づいていなかったのか。
「ご、ごめん」
「今日は気づいてくれたから良かった」
「これからは気を付けるよ」
考えてみると、以前の僕は、どんな反応かだけを見て、どんな服を着てくれているかとか、どんな髪型か、とか、そんなことに全然気が付いていなかった。
あ、そういえば、紅茶を淹れるのを忘れていた。
「ちょっと、紅茶淹れてくるよ」
慌てて廊下に飛び出し、ティーバッグで紅茶を淹れて戻って来る。
「はい、どうぞ」
「ありがと。でも、そんな慌てなくてもいいのに」
「そんな慌ててた?」
「うん。すんごくね。でも、そこまで必死にならなくても大丈夫だよ」
「うん」
「ちゃんと、ゆうちゃんが色々考えてくれるのはわかってるから」
「……」
慌ててるのを見透かされて、凄く恥ずかしい気分になる。
「それより、何の映画見ようか?」
「あ、そうそう。孤立のグルメはどうかな?」
「孤立のグルメ?えーと……」
ネットで検索してみると、全国を出張で飛び回る貿易商の男が、各地でレストランに入って食事を楽しむ1話完結型のドラマらしい。少し、面白そうだ。でもなあ。
「なんで、これ?延々と地味な話が続くっぽいけどさ」
そう。それが疑問だ。
「ちょっとふらっと地元の店に立ち寄ってみるって、なんだか楽しそうじゃない?」
とヒナはいうけど、どうなんだろう。
「まあいいか。それで」
僕の部屋のディスプレイには、Kindle Fire TV Stickというものが刺さっていて、リモコンで色々な動画配信サービスの動画を見たりすることができるようになっている。
リモコンを操作して、Netflixから「孤立のグルメ」を選ぶ。主人公らしき男性が、仕事を終えて、焼き鳥屋に入るところから物語が始まる。
「焼き鳥屋って、僕たちだと行く機会ないよね。父さんとか行くのかな」
父さんが同僚と飲み会に行ってくる、という話は聞いたことがあるけど、どこなのかはあまり気に留めたことがなかった。
「パパは時々、焼き鳥屋に寄ってるみたい。今は閉まってるって嘆いてたよ」
「切ない」
場面は移って、焼き鳥がジュージューと音を立てている場面が写される。焼き鳥なんて普段食べる機会がないけど、とても美味しそうで食欲が刺激される。
「美味しそう……」
ヒナも焼き鳥の映像に見入っている。
「そういえば、コンビニに焼き鳥ってあったよね。今度行って見ない?」
「うん。行きたい!」
ということで、コンビニに焼き鳥を買いに行くことがなんとなく決まった。
場面は変わって、男性が焼き鳥を食べる場面へ。演じている人がほんとうに美味しそうに食べているのが印象的だ。
続いて、出てくるのは鳥を煮込んだところに、豆腐やら何やらが色々はいっているもの。美味い、美味い、とまた心底美味しそうにゆっくり食べるので、僕も食べたくなってくる。
「僕も、お腹減ってきそう」
「今度、作ってあげようか」
「できるの?」
「うーん。レシピがあれば」
「後で調べてみようか」
その後も、焼肉や色々なものを、しみじみと語りながら食べる様子が印象的なドラマで、結局、昼になるまで4話くらい見てしまった。
気が付けば、お昼前で、お腹がぐーとなってくる。
と思ったら、外から母さんの声が。
「佑樹ー。お昼だけど、どうする?ヒナちゃんの分も要るー?」
ちょうどいいところに。
「ヒナ、うちで食べてく?」
「じゃあ、お願いしようかな。パパもママも居ないし」
というわけで、今日はヒナも交えて4人の昼食と相成った。
「そういえば、ヒナちゃん。佑樹と付き合い始めたのよね?」
「母さん、それは初耳だが。佑樹、本当なのか?」
「うん、まあ」
「はい。一昨日からお世話になっています」
少し恥ずかしそうに肯定するヒナ。
「陽奈子さん、うちの息子は知っての通り、理屈っぽくて、気が利かない所もあるが、よろしく頼む」
「わたしからもお願いするわね」
父さんも母さんもそろって、そんなことを言う。僕が頼りないのは昨日までで身に染みているので、反論できないのが悔しい。
「は、はい。頑張ります。ゆうちゃんは、私に任せてください!」
「……」
うぐぐ。もうちょっと頼れる男になりたいなあ。
「それで、陽奈子さんのところのご両親はどうだい?最近、どこも大変だが」
父さんからの質問。
「ママ……母と父は、知っての通りなんですが、どっちも大変みたいです。特に、父は営業のせいか、お客さんを獲得できないとか……」
「そうか。営業職は、特に大変だからな。ご両親に、私が心配していたと、伝えておいて欲しい」
「はい。ママもパパも、喜ぶと思います」
息子の彼女を囲んでの食事で、こういう質問が出る辺り、お堅い父さんらしい。
「で、ヒナちゃんとしてはどう?付き合ってみて」
邪魔する気はないといっていたけど、母さんは気になるらしく、そんな質問を投げる。ちょっと恥ずかしいから、止めて欲しいんだけどな。
「ゆうちゃんが、私のことちゃんと想っていてくれたのがわかって、嬉しかったです。なかなか気づいてくれなかったですけど……」
「だって。ゆうちゃん?」
「う、うるさいな」
「まあ、うまくやっているようで母としては何よりよ」
幸い、それ以上深い事をツッコまれることはなく、最近の情勢についてとか世間話をして、お昼は終わった。
食後のデザートまで食べて、部屋に戻る。
「おばさんもおじさんも、歓迎してくれて良かった」
ほっとした様子のヒナ。話しているときは少し緊張していたように思える。
「ひょっとして、反対されるかもって思ってたの?」
「そういうんじゃないけど。いきなりだったから、緊張しちゃって」
「前から時々、一緒に食べてたと思うけど」
「それとこれとは別だよ」
「そうかなあ」
「そうだよ」
とにかく、父さんからも母さんからも認めてもらえたのは良かった。
「孤立のグルメ、また見る?」
「お腹が空いちゃいそうだから、別のにしない?」
「確かに、食べたばかりなのに、またお腹が空きそうだ」
他のとなると……
「これ、どう?はたらかない細胞」
「えー。なにそれ?」
「細胞を擬人化したアニメで、結構科学的な描写がしっかりしてるって評判だったんだよ」
「ゆうちゃんが好きそうなアニメだね」
「僕が好きかはおいといて」
「ちょっと絵が可愛いかも。見てみたいかな」
「よし。じゃあ、見よう」
早速、再生する。赤血球とか白血球とか生物の授業で習った覚えがあるけど、それが赤い服を着たお姉さんとか白い服を着たお兄さんで表現されているのは斬新だ。
「血小板ちゃん、可愛いね」
「うん。これは確かに……」
ヒナが可愛いとは違う意味で、集団で可愛い幼児が行進したりしている様子は、なんだか和む。
「でも、なんで、血小板は幼稚園児なのかな?」
「それはきっとツッコんじゃダメだ」
きっと、深い意味はない。話ごとに、異なる人体の細胞が人として登場して、コミカルなやり取りを繰り広げていく様は、楽しい。
同時に進む、赤血球のお姉さんと白血球のお兄さんのラブロマンスも。
「赤血球さんと白血球さん、くっつくのかな?」
ヒナは、この二人(?)のラブロマンスが気になっているようだ。
「……」
Wikipediaを調べると、この二人(?)の寿命はかなり違うらしいので、あんまりいい予感がしないけど、ネタバレになりそうだから、言わないでおこう。
後半では、人体を舞台に、どんどん壮大な展開になっていくけど、これが人体の中で繰り広げられているのだと思うと、なんだかおもしろい。
結局、全13話を二人して一気に見てしまった。最後は人体の危機を前にしたハラハラドキドキの展開が繰り広げられて手に汗を握ったけど、無事に終わってほっとした。
「でも、赤血球さんと白血球さん、どうなるのかな?」
「さあ」
続編が出たらわかるのかもしれないけど。と思って、ネットを調べてみると、二期決定ということが書かれていた。
「あ、続きの製作が決定しているんだって」
「ほんと?出たら一緒に見よう」
「うん」
ヒナはこのアニメが気に入ったらしい。適当に選んだけど、良かった。
全12話を一気に見たせいか、気が付くと、もう夜になっていた。
「もう19時だよ」
ヒナが言う。
「気が付かなかった……」
二人して、それだけアニメにハマっていたということなのだけど、もう少し一緒に居たい、という気持ちがこみあげてくる。
ちらりとヒナの方を見ると、視線が合った。ヒナはどう思ってるのかな。
「あのさ、ヒナ。もうちょっと一緒に居たいんだけど……どうかな?」
「うん。私も」
ヒナも同じ気持ちで居てくれたことを知って、嬉しくなる。昨日はヒナの方からだったけど、今日は僕の方から。そう思って、思い切って身体を抱き寄せてみる。
「ゆ、ゆうちゃん?」
「だめかな」
「だめじゃないよ」
ヒナが目を閉じる。ということは、キスしてもいいんだよね。
キスシーンのある映画や漫画は見たことがあっても、実際にしたことは無いので、緊張する。えーと、僕も目を閉じて、それから……。
緊張しながらゆっくりと顔を近づけて、そっと唇を合わせたのだった。
「ふわあ。キスってこんな感じなんだね」
「もう一度、いい?」
「う、うん」
さっきは緊張し過ぎでゆっくり感触を確かめることができなかったので、今度は唇を合わせて、ゆっくりとヒナの唇の感触を確かめる。30秒程そうしていただろうか。
「なんだか幸せで、ちょっと癖になりそう」
「うん、僕も」
その後、何度も口付けをした後、夜も遅くなってきたので、ヒナを玄関まで見送ることになった。
「いっぱいキスしちゃったね」
ちょっとうっとりした様子のヒナ。
「ちょっとし過ぎたかも。嫌だった?」
「そんなわけないよ。また、いっぱいしたい」
なんだか無我夢中だったけど、そう言ってもらえて幸せがこみあげてくる。
「今日は楽しかった。その、ヒナともっともっと居たい」
「私も。もっともっと居たい。それで、明日だけど……」
何か言いよどんだ様子の彼女を見て、機先を制する。
「もちろん、僕も明日も一緒に居たいから」
「そうじゃなくて。明日は、私の部屋に来ない?」
その言葉に心臓がドクンと跳ねた。ひょっとして。
「も、もちろんいいよ。それで、何……」
内容を尋ねようとした僕に対して、
「心の準備、しておくから」
それだけ言って、彼女は去って行った。
心の準備、って、どういうことだろう?思い当たる可能性はあるんだけど、もし、外れだったらどうしよう。でも、心の準備と言って思い当たることなんて他に無い。
嬉しい気持ちと、ヒナとの関係が急に進み過ぎて、少し怖い気持ちがないまぜになる。でも、ヒナが受け入れてくれるんだったら、僕の方が怖気づくのもおかしいし。
「ちゃんと、勉強しておこう」
エッチな漫画は当てにならないから、ちゃんとしたサイトで、そういうのを解説しているページを探す。その後、寝るまで、もしもそうだったときに備えて予習を続けたのだった。
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