第11話 2020年5月13日

「暑い……」


 身体が蒸されるような暑さを感じて、目が覚めてしまった。時刻は10:30。窓を開けて外を見ると、雲一つ無い快晴だ。


 こんなに暑いとは、どういうことだろう。スマホで天気予報を見ると、今日の最高気温は29℃とのこと。これは暑いわけだ。


 すぐにエアコンの電源を入れて、洗面所の冷たい水で顔を洗う。寝ている間に少し汗をかいていたみたいで、すっきりする。


 何やら支度をしている母さんと出会う。


「母さんは、仕事?珍しく遅いね」

「今日はお昼からなの。その代わり、泊まりだけど」


 いつもより寝られたのか、少しだけ元気そうだけど、また泊まりとは大変そうだ。


「今日は、暑いね」

「ふふ。もう、夏って感じがするわね」

「病院は大丈夫?」

「まだまだね。コロナじゃなくて、入院が必要な患者さんもいるんだけど……」


 溜息をつく母さんは、しんどそうだ。


「ほんとに無理しないでよ。家事はできるだけ僕がやるからさ」


 特別親孝行ではない僕だけど、母さんと父さんが頑張っているのを見ると、ただ家でぼーっとしているのは罪悪感があるので、洗い物に洗濯くらいはしていた。


「今で十分助かってるわよ。佑樹が元気でいてくれれば、十分」


 そう言って、母さんは出掛けていった。父さんが見当たらないなと思ったけど、書斎の明かりがついているから、テレワークなのかな。そっとしておこう。


【今日、暑いよね】


 部屋に戻ると、ヒナからのメッセージ。


【奇遇だね。僕もだよ。最高気温は29℃だってさ】


 確か、最高気温が30℃だと真夏日だから、それに近いんじゃないだろうか。


【これから、そっちに行っていい?】


 いきなりなメッセージにドキリとする。一体どうしたんだろう?


【いいけど。どうしたの?】

【部屋のエアコン、ちょっと効きが悪いの。ゆうちゃんの部屋、よく冷えるでしょ?】


 僕が覚えている限り、ヒナの部屋のエアコンがオンボロだったことはないはずだけど。故障したのかな?


【ひょっとして、エアコン、壊れた?大丈夫?】


 なんとなく聞いてみたのだけど、返事が来たのは、それから約1分後。


【ううん。調子悪いだけだよ。続いたら、業者さんに見てもらうから】


 釈然としないけど、まあいいか。あ、そうだ。


【わかった。ちょっと準備するから、10分後くらいに来て】


 そう返して、急いで部屋を片付ける。こないだみたいに、エッチな漫画が見つかるなんてことはないようにしよう。


 数分後、簡単には見えないところにそういうものを隠して、ほっと一息。ヒナもわざわざ家探しするような性格じゃないし、大丈夫だろう。


 ぴんぽーん。インターフォンの音が鳴る。


 部屋を出て、ヒナを出迎える。


「いらっしゃい。ヒナ」

「うん。ゆうちゃん」


 暑さのせいか、いつもより薄着で、短パンにTシャツ1枚という出で立ちだ。胸はあんまり出てないヒナだけど、目のやり場に少し困ってしまう。


「?どうかした?」

「なんでもない。まあ、入ってよ。暑かったでしょ」

「お邪魔しまーす」


 部屋にヒナを案内する。


「それにしても、災難だったね。ほんとにエアコン大丈夫?」


 家に戻った後が心配になる。


「う、うん。ほんとにちょっと、調子が悪いだけだから」

「ほんとに?」

「ほんとに」


 エアコンが壊れたのを無理して調子が悪いという理由もないか。


「……この部屋、ちょっと寒くない?」


 少し震えた様子で言うヒナ。


「ちょっとエアコン効かせ過ぎたかな」


 リモコンを見ると、設定温度は23℃。ちょっと低かったみたいだ。設定温度を2℃程上げる。


「ごめんごめん。ちょっと温度下げ過ぎてたみたい」

「別に気にしてないから、大丈夫」


 そう言うヒナだけど、ほんとにちょっと寒そうだ。


「にしても、ヒナってそんな寒がりだっけ?」

「え?」


 何故だか、びっくりしたような顔になるヒナ。

 

「部屋、暑かったんでしょ。いきなり寒いって意外だったから」


 暑いときに、エアコンの効いた部屋に入ると、ちょっと寒いくらいでも、最初は涼しいと感じそうなものだけど。


「う、うん。リビングに避難してたから。なんでもないよ」


 やけに慌てて早口で弁解するヒナ。なんだか挙動不審だ。


 ヒナが嘘をつくときにこんな風に挙動不審になったことがあったけど、まさか。


「リビングに避難してたなら、急いで来なくても良かったんじゃない?」


 試しに聞いてみる。ヒナの挙動を観察していると、やっぱり落ち着きがないように見える。怪しい。


「ゆうちゃん、なんでそんなこと言うの?」


 これは嘘を言っているな、と確信した。


「エアコンが調子悪いっていうの、嘘だよね」

「なんで、決めつけるの?」

「その言い方で、もう認めてるようなものだよね」

「……」

「ヒナの部屋、見せてよ。エアコン、調子悪いんでしょ?」


 意地が悪すぎるかと思うけど、変な嘘をつかれた僕としては、ちょっとショックだったのだ。


「……一緒に居たかったから」

「え?」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。


「ゆうちゃんと一緒に居たかったから。今日暑いから、エアコンが調子悪いことにすればいいかなって思いついたの」


 ヒナの顔が真っ赤になっている。どう解釈すればいいんだろうか。エアコンを口実にして、一緒に居ようとするって、それは……。


「ヒナってひょっとして……」

「でも。別に好きとかじゃないよ。ちょっと、寂しかったから」

「そうなんだ……」


 そう言われてしまったら、僕も何も言えない。僕の事好きなんでしょ?なんて言ったらただの自意識過剰な痛い奴だし。


 でも、暑いのを口実にして部屋に来るくらいには意識してくれてるんだと思うと、嬉しくなる。


「とにかく、それだけだから。勉強会、しよ?」


 なんだか焦った様子のヒナ。


「う、うん。でも、いきなりだね」

「別にいいでしょ?」

「まあいいけど。じゃあ、何やる?」


 強引に話題を変えられてしまった気がするけど、仕方がない。


「政経とかどう?」

「タイムリーだね」


 昨今、新型コロナウイルスを巡って、やれ首相はどうだの、海外ではどうだのという話をよく見かける。


 教師が作成したプリントを見て、授業が途中まで進んでいた、国際法についてだ。現代の国家は、国際法の規制を受ける、ということが書かれている。


「国際法って、なんだかぼんやりしてるよね」


 とヒナ。日本の法律を破ったら、罰金を払ったり、刑務所に入ったりすることになるのはわかるけど、国際法を破ったらどうなるんだろう?ああ、でも。


「でも、条約は国際法だってのはわかるかな」


 国際法と言われてもピンと来ないけど、国同士の取り決めである条約は、ニュースでもたびたび見ることだし。


「条約じゃない、慣習国際法もあるんだって」


 ヒナが指したところを見ると、「文章に書かれていないが、条約と同等の効果を持つ」と書かれている。文章に書かれていないのに、法律というのは、少し理解しづらい。


 その後も、慣習国際法が成立するための条件とか、その歴史とかがかなり細かく書かれているけど、曖昧模糊としている気がする。


「色々書いてるけどさ。国際法って、単にお行儀よくしましょうって話にしか見えないんだけど」


 それが、解説を読んだ素直な感想だった。だって、国際法を破っても「国際社会」というのが、誰かを罰してくれるわけでもないし。


「ゆうちゃん、それはひねくれ過ぎだよー」


 ヒナに窘められる。

 

「それは認めるけどね」


 社会に対して少し斜めに見ているところがあるのは、僕も自覚するところだ。とはいえ、なんだかんだ言って大事だということくらいはわかるので、勉強はしておかないといけない。


 その後も、ああだこうだと勉強会を続け、気が付けば、あっという間に夕方だ。


「そろそろ、帰るね」


 立ち上がって帰ろうとするヒナ。来た時のことがあるから、少し引き留めたい気がしたけど、でも、引き留めたところで、何かが起こるわけでもない。


「うん。じゃあ、また明日ね」

「うん。また明日」


 そう言って、いつものように別れて、部屋で一人になる。


 結局、嘘をついてまでヒナが部屋に来たがった理由は何だったのだろうか?告白?なら、好きじゃないと、否定する理由が見当たらない。単に寂しいだけにしても、不自然に思える。


 恋愛漫画を読んで、主人公はなんでああも優柔不断な奴が多いんだろうと憤ることがあったけど、僕自身が、態度を決めかねていて、そういう主人公を笑えないな、と思ったのだった。

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