第12話 2020年5月14日

 ピピピ。ピピピ。目覚ましの音で起きる。

 昨夜は、色々と考えてしまって、あまり寝付けなかった。昨日より少しだけましになったけど、やっぱり今日もよく晴れていて暑い。時刻は8時。


 リビングに出ると、ちょうど母さんが帰ってきたところだった。昨夜は泊まり込みで、朝8時過ぎに帰ると連絡があったのだ。


「おかえり、母さん」

「あら。もう起きてるのね」


 ちょっと驚いた様子の母さん。


「ちょっと早く目が覚めたから。お風呂入れといたから、入ってよ」

「最近、佑樹は気が利くわね」

「母さんたちが頑張ってるから、これくらいはね」

「それじゃ、お言葉に甘えて」


 昨夜買っておいたお惣菜と炊いたご飯で適当に朝ご飯をかきこみ、部屋に戻る。


 ニュースやツイッターを見ていると、東京都や大阪府など一部を除く、かなり多くの県で緊急事態宣言が解除されるということだった。感染者数の減少が続いている事とかもあって、そういう決断になったらしい。


 僕たちにとっては嬉しいニュースだけど、東京都は「特定警戒都道府県」というのに当てはまるらしく、すぐには解除されないらしい。東京都も、21日に解除するとかしないとかいう話もあると書いてあるけど、既に、緊急事態宣言の解除が決まっているところが羨ましい。


 ツイッターの巡回を終えて、今日の勉強会のことをヒナに聞いてみようかという気になった。


 いつものようにベランダに誘って、話を切り出す。なんだか、ヒナの元気がないように見える。


「今日の勉強会だけど、どうする?」

「もう、勉強会はいいんじゃないかな」

「え?」


 なんとなく、今日も続くと思っていた勉強会。それが、ヒナの方から終えるのを提案されて、僕は混乱していた。


「理由、聞いてもいい?」

「もうすぐ、東京も緊急事態宣言、解除されるかもしれないってニュースがあるでしょ。だから、そろそろ終わりにしてもいいかなって……」


 そんなことを言うヒナだけど、表情が暗いのが気になる。


「でも、まだ、決まっていないって言ってたよ」

「うん。でも、遠くないみたいだし」


 そうまで言われてしまうと、僕としても何も言えない。


「わかった。じゃあ、勉強会はいったん終わりで」


 部屋に戻って、ため息をつく。


 唐突に終わりを告げられて、僕はひどく動揺していた。昨日は、少しは意識されていたと思ったけど、それは僕の思い込みだったのだろうか。やっぱり、緊急事態宣言が続くから、勉強会をしていただけなんだろうか。


 色々な考えが駆け巡り、思考がまとまらない。そういえば、さっきはどうもヒナの様子が変だった気がする。ひょっとしたら―


 気が付けば、ヒナのお母さんに相談しようと、メッセージを打ちこんでいた。今、郵便局で仕事中のおばさんに聞くのは気が引けたけど、誰かに相談したかった。


 最近、勉強会をしていたこと、唐突に終わりを告げられたこと。そして、さっきの様子が変だったことをメッセージで送った。


【それで、おばさん。ヒナに何かあったか知りませんか?】


 10分程してメッセージが返って来る。


【昨夜から、ちょっと様子が変だったわね。思い当たることはない?】


 問われて、昨日の出来事を思い出す。昨日、変わったことといえば、ウソをついてまで僕に会いに来てくれたことだろうか。でも、それが関係あるのだろうか?


【ヒナが、昨日、いきなり部屋に来たんですけど……】


 続けて、その時のことを付け加える。返ってきたのは、


陽菜子ひなこが部屋に来てくれたのを、佑樹君はどう思ったの?】


 という問い。理由がわかった後は、正直嬉しかったけど。


【嬉しかったですけど】

【それ、陽菜子に伝えた?】

【いや、伝えてませんけど】


 それがどうかしたのだろうか?


【あの子の母親としては、色々言えないことがあるけどね。嬉しかったって気持ちを素直に伝えてみたらどう?】

【でも、僕が勝手に思い込んでいるだけかもしれないですし】

【佑樹君。もうちょっと、自信持ちなさいよ。客観的に見て、なんとも思ってない相手の所に嘘ついてまで来る人が居ると思う?】

 

 その言葉に、僕は、はっとなった。僕は、男として意識されているかどうかばかり気にしていて、ヒナが積極的に来てくれている、ということについて全然考えが及んでいなかった。


【ありがとうございます。ちょっと考えてみます】

【そうしなさい。親としては、子どもの事情に首を突っ込みたくはないんだけど、あの子が落ち込んでるのも嫌だしね】

【ほんと、すいません。それと、お仕事中、ありがとうございました】

【いえいえ。あの子をよろしくね】


 メッセージのやり取りを終えて、僕は、やっぱりまだまだ子どもだ、と痛感した。もし、ヒナが僕のことを男として意識していなくても、大切に想っていてくれていることは間違いないわけだし、その事を考える余裕もなかった。


 すぐに、ヒナに送るメッセージをしたためる。


【あのさ。ちょっとベランダでもう一度話せない?】

【何かあるの?】

【ちょっと伝えたいことがあってさ】

【わかった。すぐ行く】


 そうして、ベランダに行くと、そこにはヒナの姿。考えてみれば、ヒナがこうして、毎回すぐ来てくれることや、ヒナの方から話したいと言ってくれることの意味を考えたこともなかった。


「それで、その、話って……?」


 問いかけるヒナは、暗いというよりなんだか少し怯えているようだ。たぶん、僕が傷つけてしまったんだろう。


 どういう言葉をかけるべきか、少し、考える。「ごめん?」いや、謝るのも大事だけど、今はそういう事じゃないだろう。


「お礼を言おうと思ってさ」

「お礼?」


 不思議そうな顔をするヒナ。


「うん。お礼。昨日も、ウソついてまで来てくれたのは嬉しかったんだ。こうして、いつもベランダで話せたのも、楽しかったし」

「う、うん」

「それに、ずっと自粛の中で、ヒナが居なかったら、耐えられなかったと思う。だから、勉強会は終わりでもいいけど、また、話せないかな?」


 告白をする勇気はまだ持てなかったけど、言いたいことは言えたと思う。どきどきしながら、ヒナの返事を待つ。


「良かった。私の独り相撲じゃなかったんだ……」

「……」

「昨日、ウソついてゆうちゃんのところに押しかけたとき。バレたのはいいんだけど、反応がなかったから。やっぱり迷惑だったのかなって思ってたんだ」

「それは、ほんとごめん」


 考えてみれば、ウソを責められただけで終わったら、僕だって、傷つくよな。


「いいよ。誤解だってわかったし」


 ほっとした表情のヒナを見て、昨日の僕が馬鹿なことをしていたと改めて気づく。

 

「それで、仲直り……ていうのも変か。今まで通り話せるといいかな」

「……仲直りだけだと嫌」

「え?」

「ゆうちゃんとは、恋人になりたい。だって、好きだから」

「え、えええ?好きって、人間としてとかいう意味じゃないよね?」


 いや、さすがにそういう意味じゃないのはわかるけど、あまりに信じられなくて、つい確認してしまう。


「本気でそう思ってたら、ゆうちゃん、鈍感過ぎると思うよ」

「い、いや。もちろん、本気じゃないけど。ちょっと信じられなかったから」


 いつか、僕からとは思っていたけど、今日いきなりヒナから言われるなんて思わなかった。


「それで、ゆうちゃん。返事が欲しいんだけど」

「ええと……」

「今すぐに無理なら、待つよ。私も、いきなりだったし」

「そうじゃないんだ。ええと、でも……」

「だから、無理しないでもいいよ」

「そうじゃなくて……あー、もう。僕もヒナのことが好きだよ!」


 いい返事が思い浮かばなくて、投げやりな言葉になってしまう。


「なんで、そんな投げやりなの?」

「僕だって、いつか告白しようと思ってたのに。いきなりヒナから言われたから、もうどう返していいかわからなくて……」


 我ながら、最低な返事だと思うけど、頭の中はいっぱいいっぱいだ。


「そうだったんだ。ゆうちゃん、全然意識してないんだと思ってた」


 驚いた様子のヒナ。


「それは、こっちが言いたいんだけど」


 少しムッとしてしまう。


「ゆうちゃん、私の水着とか見ても全然反応無かったじゃない!」

「それは、必死に意識しないように我慢してただけなんだって」


 その後も、不毛な言い合いが続く。これだけ口喧嘩をしたのも随分久しぶりだ。


「はあ。ちょっと疲れちゃった。それで、ゆうちゃんはOK、なんだよね?」

「さっきからそう言ってるつもりだけど」

「わかった。これからは、恋人としてよろしくね、ゆうちゃん」

「うん。よろしく、ヒナ」


 こうして、なんだかよくわからない流れのまま、僕たちは付き合うことになったのだった。告白はもっとムードのある時にって思ってたのだけど、現実はうまく行かない。

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