第3話 2020年5月5日

 今日は5月5日。快晴というほどじゃないけど、近くは晴れていて、こんな状況で外に出るのは、さぞかし気持ち良いだろうなと思う。今日は子どもの日で祝日だけど、そんなことは今の僕らにはあんまり関係がない。


 昨日、緊急事態宣言を5月31日まで延長することが国の偉い人の間で決まったらしい。「地域の感染状況に応じて、感染予防に最大限配慮したうえで段階的に学校教育活動を再開し、児童・生徒が学ぶことができる環境を作っていく」らしいけど、僕らの高校がいつ再開するのかはまだわからない。これだと5月31日までは我慢しないといけないんだろう。


 また休校が延長になりそうで、ヒナは大丈夫かなと、少し心配になる。今日はこっちから連絡してみようか。


【ヒナ、ちょっとベランダで話さない?】

【わかった。今行くよ】


 簡素な返事。いつものようにベランダに出ると、既にヒナが来ていた。


「おはよ、ゆうちゃん」

「その呼び方は……まあいいか。おはよう、ヒナ」


 恒例となった朝の挨拶を交わす。こころなしか、昨日より元気そうに見える。


「あつ森の調子はどう?」

「昨日は全然だよ」


 予想外の返事が返ってきた。


「じゃあ、何してたの?」

「昨日、ゆうちゃんがお勧めしてくれた漫画読んだり、ゲームしてた」

「何か面白いのあった?」

「ゆりキャン♡は面白くて、全巻読んじゃったよー」


 そんなヒナは楽しそうだ。それなら、勧めたかいがあった。


「ひながそれにハマるとは意外だね。アニメとかドラマも観た?」


 ゆりキャン♡は、女子高生たちがキャンプを通じて、友情……ではなく、愛情を深めていく物語だ。女子高生同士の多角間の恋愛関係描写と、キャンプ描写のリアルさ、風景の精密さが評価されて、アニメ化やテレビドラマ化もされている。


「え、ゆりキャン♡アニメ化してるの?今日はそれ見よっかなー」

「動画サイトでしばらく前から配信されてると思うよ」

「やったー。じゃあ、今日はゆりキャン♡のアニメ見ようっと」


 と、喜んだのもつかの間。


「はあ。緊急事態宣言、延長されちゃったね」


 ヒナのぽつりとしたつぶやk。


「うん。たぶんそうだろうな、って思ってたけど」


 その数日前のニュースで、延長はほぼ確実だとささやかれていたし、覚悟はしていた。でも、こうしてまた休校と聞かされると、少し気が滅入るのもわかる。 


「ほんとに、いつになったら学校に行けるのかな……」

「さあ。ウイルスがなんとかなるまで、じゃないかな」


 裏では色々な人が方針を決めているのだろうけど、ただの高校生である僕にはわかりようがない。


「ねえ。ちょっと外に出ない?」

「外出自粛だよね。ちょっと買い出しに行こうってこと?」

「別に健康のための運動までは規制されてないみたいだから、散歩しない?」


 政府の出している外出自粛の方針には、外に出て、人がまばらなところでも運動するまでは含まれていないはずだ。だったら、買い出しにいくのも危険だってことになるし。


 それに、元々運動が好きなヒナは、少しでも外に出た方がいいように思う。


「それで大丈夫かな……」


 なおも心配そうなヒナ。


「じゃ、マスクして行こう。それならいいでしょ?」

「う、うん。そうだね」


 というわけで、二人で外を少し歩くことに決定した。デート、なんてものとは程遠いけど、近くで話せるのは嬉しい。3密を避けなさい、と言ってるので、あんまり長い時間しゃべったらいけないのだろうか。


「じゃあ、また後でね」


 部屋に戻って、ジャージに着替える。これなら、運動のための外出だってことがわかるだろう。子どもが自粛を命じられているのに、遊びに出歩いている、と思われるのは避けたい。


 着替えて少し待っていると、ぴんぽーん、と音がした。そして、相変わらず僕が反応する前に部屋に入って来るヒナ。


「さすがに、今回は鍵使わなくていいでしょ」

「ご、ごめん。つい……」


 癖で使ってしまったのか、さすがのヒナもバツが悪そうだ。


 さて、どこに行こうかな。


 僕たちの住む場所は、総武線そうぶせん亀戸駅亀戸駅から南に数分の、ファミリー向けマンションが立ち並ぶところにある。亀戸といってもピンと来ない人も多いかもしれない。要は東京の東の外れだ。何駅か移動すると、千葉県になってしまう。


 お年寄りも多い町で、活気は少ないけど、穏やかなところで、新宿や渋谷にはない雰囲気が僕は嫌いじゃない。


「ちょっと、錦糸町に行きたいな」


 ヒナが言った。錦糸町きんしちょう駅は、総武線で亀戸から西側に一駅のところにある町だ。亀戸とはまた雰囲気が違って、南には怪しげな店も結構並んでいるし、競馬関係で昼間から来ているおっちゃんも多い。


「わかった。じゃあ、駅沿いに行くよ」


 亀戸から錦糸町まで、線路沿いに歩いて30分もかからない。


 駅の南側の大きな歩道をヒナと並んで歩いていると、ぽつぽつとマスクをした人たちが居るくらいで、ほとんど人が居ない。


「なんだか、映画の世界に来ちゃったみたい」


 そんな風景を見て、ヒナが言う。


「僕も、ちょっと思った。今年のお正月にはこんなこと思ってもみなかったよ」


 今年のお正月を思い出す。元旦にはあけおめメッセージを送り合って、初詣にはうまくヒナを誘って、二人きりで出かけてくることができた。しかも、ヒナの振袖姿まで拝むことができたから、ほんとに楽しかった。照れてしまって、振袖姿をうまく褒めてあげられなかったけど。


「お正月、懐かしいね。ゆうちゃんとの初詣、楽しかったな」


 懐かしむようなヒナの声。今の町はこんな状況だけど、初詣のことを楽しく思ってくれてたのなら、嬉しい。


亀戸天神かめいどてんじん、人混みで凄かったよね……」

「あれは僕も驚いた」


 亀戸天神かめいどてんじんは、亀戸駅から少し歩いたところにある神社で、この近辺ではかなり有名だ。深夜の初詣に行ったのは今年が初めてだけど、午前0時を前にして行列が出来ていて、びっくりしたのを覚えている。


「ね、あの時、何をお願いしたの?」

「別に大したことじゃないよ」

「大したことじゃないならいいでしょ?」

「ヒナたちと今年も一緒に過ごせたらいいな、ってそれだけだよ」


 本当は、ヒナと恋仲になれたら、というお願いだったけど、それを言うことはできそうにない。


「それで、ヒナはどうなの?」

「え、私?」

「僕は言ったんだから、ヒナも教えてよ」

「わ、私は、内緒」


 あわあわとする彼女。


「僕は言ったのにずるいと思うな」

「内緒ったら内緒」


 何か恥ずかしいお願いなのだろうけど、内緒と言われたら、これ以上追求できそうにない。


 そうだ。初詣の時は言えなかったけど。


「そ、そのさ」

「?」


 急に挙動不審になった僕を見て、不思議そうな表情で覗き込んでくるヒナ。


「あのとき、言い損ねたんだけど。振袖、すごくかわいくて、似合ってた」


 こういう機会でもないと言えそうに無いので、勇気を振り絞って言ってみた。


「う、うん。ありがと」


 はにかんだ笑顔でお礼を言うヒナが愛くるしい。


「せっかく振袖着てみたのに、何も言ってくれなかったから、興味ないのかな、って思ってた」

「そうじゃなくて、言う機会がなかっただけだって」

「そっか。良かった」


 二人して黙り込む。振袖のことを気にしていた、ということは、僕のために着てくれたってこと?


「ひょっとして、振袖って僕のために?」

「ち、ちがうよー。振袖は前から着てみたくて。せっかくなら、ゆうちゃんの感想を聞きたかったな、って」


 手をばたばたとして否定される。やっぱり、そう都合のいいことはないか。でも、振袖のことを褒めて欲しかった、というのは、一歩前進かもしれない。


 そんなことを話しながら歩いていると、気が付けば錦糸町駅南口だ。


 亀戸こっちよりは人が多いけど、やっぱり人がまばらだ。錦糸町は繁華街で、駅の近くにはカラオケ屋も酔っ払いの集まる居酒屋も、ショッピングモールも、映画館も何でもある。普段なら錦糸町は、僕たちが遊びに行く場所で、人でごった返していることも多いんだけど。


「こんな静かな錦糸町、初めてみたかも」

 

 今居る、駅の南口なんて、昼間なら人混みでごった返しているのに。


「ちょっとカラオケ屋、行ってみようか」


 思い付きを口にしてみる。


「でも、今だから休みじゃないの?」


 ヒナからは当然の疑問。


「休みだろうけど、せっかくだし」

「じゃあ、一応、ね」


 僕たちがよく行っていた南口からすぐ近くのカラオケ屋に向かって歩いてみる。


『臨時休業のお知らせ 緊急事態宣言に伴い~』


 わかってはいたことだけど、こうして見せられると、やっぱり非常事態なんだな、と実感する。


「やっぱりそうだよね。わかっていても、落ち込むね」


 せっかく気晴らしに連れて来たのに、落ち込ませてしまった。あ、そうだ。


「ご飯、食べてなかったよね。近くで食べて行かない?」


 ちょうど時間はお昼過ぎ。飲食店はさすがに、どこか開いているだろう。


「いいけど、結構閉まってる店も多そうだよ」

「とりあえず、吉野家に。吉野家ならやってるでしょ」


 というわけで、駅の南口近くの吉野家へ。吉野家は、いつもより人が少なく、店員さんも全員マスク着用で対応している。


 僕は牛丼に卵と味噌汁、ヒナはライザップ牛サラダなるものを注文していた。


「そういえば、ライザップ牛サラダってどういうの?」

「最近、糖質制限流行ってるでしょ。私もダイエットにって」

「ヒナは全然太ってないでしょ」

「ううん。少し、脇腹がぷにぷにするもん。運動不足だしね」


 外から見てもわからないけど、ヒナなりに気にしているらしい。気にしても仕方がないと思うけど。


「外で食べるの、久しぶりだったから、ちょっとほっとするよ」

「うん。ずっとお惣菜だったから」


 言ってて、勘違いされそうだなと思ったので、


「あ、もちろん、ヒナが作ってくれたのは美味しかったよ」


 と付け足す。


「そんな無理に付け足さなくてもいいのに、でも、ありがとう」


 こうしてヒナが笑ってくれると僕も安心する。ささっと食べた後は、支払いを済ませて、亀戸に戻る方向に歩き出す。


「でも、ほんとに人が居ないね……皆、どうしてるのかな」

「クラスのライン、あんまり見てないけど、何か知ってる?」

「私もあんまり見てないけど。よくゲームとか漫画の話してる。皆、話題に困ってるみたいだよ」

「そうか。僕はたまに見るので良いか」


 クラスのラインでまで暗いムードを味わいたくない。

 

 一緒に歩いていると、ふと、手に感触が。びっくりすると、なんと、ミユの方から手を繋ごうとして来ていた。心臓がばくばくしているけど、黙って繋ぎ返す。


 これは、ひょっとしてデートなのかな?そんなことをふと思う。繋いだ手の先を見ると、だんまりで、でも、少し嬉しそうにも見える。


(でも、こんな状況で寂しくなっただけかもしれないし)


 普段の状況でこれなら期待してもいいんだろうけど、こんな非常事態なら、つい寂しくなることもあるのかもしれない。


 無理に聞き返すことはせず、繋いだ手の感触を実感しながら、帰路についた。


「じゃあ、また後でね。散歩、気晴らしになったよ。ありがと」

「それなら、誘った甲斐があったよ」


 扉の前で、そう言って別れる。


 バタンと扉を閉めた後。


(緊張したあ)


 僕は、玄関でずるずると座り込んでいた。


 ひょっとしたら、意識してくれている?という希望と、でも、勘違いだったらどうしよう、という想いの間で揺れて、凄まじく疲れた。


 でも、どうなのかな。今日みたいに手をつないで来ようとするのも、振袖を褒められて喜ぶ顔も、初めてだったと思う。


 だから、僕は悩ましい。もし、勘違いじゃないなら、告白してしまえば―

 と思う。でも、勘違いだったら、ベランダでは気まずくて話せなくなる。


 一日中、そんなことばっかりが気になって、食事以外何も手につかなかった。


「ただいまー」


 深夜、ひどく疲れた顔をして、母さんが帰宅する。


「お帰り、母さん。泊まり込み、大変だったでしょ」

「まあねえ。でも、これもお仕事だから」

「お風呂、張っておいたから入ってよ」

「助かるわ。じゃあ、ちょっとお風呂入るわね」


 よっぽど汗を流したいのだろう。速攻で浴室に向かう母さん。


「父さんも、母さんも、大変だね」

「まあ、今の状態だしな。仕方ない」


 そう言いつつも、父さんもどこか疲れた顔をしている。普段の父さんは、お偉いさんらしく、もっとびしっとしているのに。


 そんな二人を見ていると、色恋で悩んでいる僕がちっぽけに思えてくる。


 うちもこうだから、ヒナのところも大変だろうな。


 ヒナの家も共働きで、お父さんはどこかのメーカーの営業で、仕事の都合上、テレワークができないらしいし、お母さんは郵便局勤めで、やはりテレワークは無理らしい。世の中、テレワークで回らない仕事の方が多いんじゃないか?そう思えて来てしまう。


 元々、明日までだった緊急事態宣言は延長されることになりそうだけど、学校はどうなるのか、ヒナは大丈夫だろうか、色々悩みは尽きない。

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