第4話 2020年5月6日

 今日は2020年5月6日の水曜日。天気は曇りで、時々雨になる地域もあるようだ。昨日に比べて、少し肌寒いような気もする。


 本来ならゴールデンウィークの最終日。愛知では6月1日から段階的に分散登校という形で再開するとか、岩手県では明日から再開するとか。その他にも学校が再開するところはいくつもあるらしい。


 うちの高校にはそんな連絡は来ていないので、たぶん休校のままなのだろう。でも、再開するところが出てきているのは、少し嬉しいニュースだ。


【おはよー。ゆうちゃん。ちょっと、ベランダ出られる?】

【おっけー。すぐ行くよ】


 恒例のやり取り。ヒナの奴はこの時間をどう思っているのかな。


「ゆうちゃん、ゆうちゃん、聞いて聞いて!」

「何?」

「カブで大損しちゃったよー!ほんと泣きたい」


 いつものあつ森の話だ。大損したというのに、あんまり悲しそうじゃなく、むしろ、楽しそうな顔をして言うヒナ。


「負けたのになんで楽しそうなの?」

「こうやってお話できるから、かな」


 ドキっとする台詞。それが寂しいからなのか、好意からなのか、僕にはまだわからない。だから。


「そっか。良かったね」


 そう言って、答えを聞かないようにする。


「で、いくら飛ばしたの?」

「5000ベル!一昨日の儲けがだいぶ減っちゃった」

「だから言ったのに。これ以上損する前にやめた方がいいよ」

「次は勝つもん!」


 典型的な、負けが嵩むパターンだ。きっと、数日後にはさらに損して泣きべそかいているだろう。


「岩手の高校は明日から再開するんだって」

「聞いた、聞いた。羨ましいよね。うちはいつになるのかなあ」

「ひょっとしたら6月に再開もあるかもしれない」

「ほんと、再開して欲しいなあ」


 ヒナにとっても、登校できないのはストレスなのだろう。学校があった頃は、毎日が休日だったらいいのに、と思っていたのに、毎日が休校だと早く再開して欲しいと思ってしまう。


 そんなことを考えていて、ふと、脳裏に閃くものがあった。


「そうだ。勉強会しよう。二人で」

「え?それはいいけど、大丈夫かな。三密を破っちゃわないかな」

「母さんに聞いてみる」


 看護師の母さんがOKをだしたなら、大丈夫だろう。ラインでメッセージを送る。


【母さん。ヒナと勉強会をしようと思うんだけど。三密には反しないよね?】


 すると、忙しいだろうに、すぐ返事が返って来た。


【三密って言っても、厚労省の出してる目安だからね。ヒナちゃんとおしゃべりを続けるわけじゃないでしょ?念のため、マスクをしておけばいいんじゃないから】

【忙しいのに、ありがとう】

【母としてそれくらいはね。あ、でも、これだけは知っておいて欲しいんだけど】

【なに?】

【今回の病気はね、症状の無い人が他の人に感染させるのが怖いの。だから、ヒナちゃんにも、他の友達にもうつさないように注意してあげてね】

【わかったよ】


「おばさんはどうだった?」

「大丈夫だってさ。あ、でも、マスクはするようにって」

「そっか。じゃあ、待ってるね」


 そう言って、ヒナは部屋に戻って言った。って、僕の部屋じゃないの?


 とにかく、教科書と筆記用具、タブレットを持って飛び出す。


『加賀見』


 と書かれた表札のあるドアのインターフォンを押す。休校になってから、ヒナのところに行くのは初めて。ほどなく、とたとたと足音が聞こえてくる。


「あ、ゆうちゃん。入って入って」

「お邪魔しまーす」

「律儀にしなくてもいいのに」

「ヒナとは違うんだよ、僕は」

「まるで私が失礼みたいじゃない?」

「僕はいいけど。他の友達のとこ行くときは気をつけなよ」

「ゆうちゃんのとこだけだよ。家族だもん」


 『家族』という言葉に、僕がヒナの中で特別な人間である優越感と、異性として見られていないのか、という落胆が同時に湧き上がる。


 廊下の左側にあるヒナの部屋に案内される。


「相変わらず変わってないね」

「そんなすぐ変わるわけないよ」


 ヒナの部屋は、横に長い長方形型のレイアウト。向かって右奥がベッド。女の子らしく、掛け布団の柄も花柄で可愛い。中央奥には、主にゲーム機用の液晶ディスプレイ。あつ森はいつもこれでプレイしているのだとか。そして、左奥に勉強机といった具合だ。壁には、昔撮った写真やあつ森のポスター、机には熊のぬいぐるみが置かれている。前に誕生日プレゼントで送った奴だったかな。


「ちょっとちゃぶ台取ってくるね。適当に待ってて」

「はいはい」

「「はい」は1回だってば」

「はいはい」

「もう……」


 そんなことを言いつつ、ヒナは部屋を出ていく。手持ち無沙汰なので、なんとなく部屋の中を眺める。左にあるクローゼットには、着替えでも置いてあるのだろうか。さすがに、勝手に開けたら怒られそうだけど。ベッドの足側の方に置いてある本棚には、漫画(意外にもヒナは男性向け漫画、それもマイナーなものが趣味だ)やトレーニング本、それとコミュニケーション本が置かれている。そういえば、昔、ヒナの練習相手になったっけ。本棚の空いたスペースには、CDやDVD、ブルーレイなどなど、雑多なものが置かれている。


「ちょっと、開けてくれる?」


 両手にちゃぶ台を持っているので、開けられないのだろう。扉をあけて、ちゃぶ台を入れるのを手伝う。


「じゃあ、始めようか」

「なんか、お互いマスクって変だね」

「仕方ないよ」


 そう言いつつも、お互いマスクをして勉強会をするこの様子がなんだか、少し可笑しく思えてくる。


 教科書と筆記用具、タブレットを取り出して、勉強を始める。


「僕は数学やろうかな」


 僕は学校の科目でも、数学と物理が得意で、反対に歴史や国語が苦手だ。


 数学や物理は一般法則さえ理解していればそこから解けるけど、歴史は暗記しないことが多すぎる。国語は論説文はまだわかるけど、物語の読解は大の苦手。「登場人物の気持ちを答えなさい」って、作者にしかわからないんじゃ?だから、国語の物語読解は大嫌いだ。


「数学は苦手。極限とかって全然わからないもん」


 顔をしかめるヒナ。


「コツをつかめば難しくないんだけどね」

「そのコツが難しいんだよ」

「どこで詰まってるの。見せて」

「この、lim[x->a]ていうところ……」


 見ると、ヒナが詰まっていたのは、既に習ったところというか、それを前提に今の授業が進んでいる、微分の基本だった。これがわからないんだったら、苦手にもなるよね。


「で、どこがわからないの?」

「うーん。全部。そもそも、limって何なの?」


 確かに、極限のlim「だけ」を取り出すと、これって何なの?と思ってもおかしくない。


「えーとね、lim「だけ」だと意味がないんだよ……」


 僕にとっては復習になってしまうけど、lim「だけ」で意味はなくて、他の記号と合わせて意味を持つことや、グラフを描いて極限の直感的な説明をしていく。


「えーと、これだけ?」

「そう。それ「だけ」。別に個々の数式がどうとかは細かい話なんだ」

「難しく考えすぎてたんだね」

「そうそう。数学は、シンプルに考えるのが一番」


 数学が苦手な人は、簡単なことをわざわざ難しく考えてこんがらがっている人が多い気がする。


 ふと、ヒナのすぐ後ろに僕が座っていることに気づいた。教えている時はそれに集中していたけど、気づいたら気恥ずかしくなって、距離を取ってしまう。


「どうしたの?」

「いや、別に。それで、わかった?」

「なんとなく。もうちょっと頑張ってみるね」


 それぞれの勉強に戻る。苦手なんだけど、ちょっと歴史にとりかかるか。今見ているのは、穴埋め式の問題で、下関条約しものせきじょうやくに関するものだった。年号を答えるとか、記述式はともかく、12文字以内で穴埋めしなさいって何なのろう。


「記述式なのに、字数制限っておかしくない?」


 思わず文句が口から出てしまった。せめて、字数制限がないのなら、書きようもあるのに。


「歴史の問題?」

「そう。しかも、問題文の言葉を使いなさいってさ……」

「ちょっと見せて」


 今度は、ヒナの方が僕の問題を見る番だった。


「ゆうちゃん、頭が凄くいいから、こういうの苦手だよね」

「なんだか馬鹿にされてる気がするけど」

「そうじゃないよ。ゆうちゃんは自分の言葉で説明できちゃうから、問題文の言葉を使えって言われると嫌なんだよね」

「ま、まあそういうことだけど」

「だったら、考え方を変えてみて、詳しくない人相手に説明する問題って考えたらどうかな?」

「どういうこと?」

「ゆうちゃんだって、数学がわからない人にいきなり難しい用語使わないでしょ?それと同じ」


 ヒナの言っていることは確かに納得できる。正確でなくても、出題した人に教えるとして、その人が理解できるように文章を選べばいいんだよな。


「ちょっとわかった気がする。助かる」

「私もゆうちゃんに教えてもらっているからね」


 お互い、得意科目が違うと、こういうときに助かる。


 そんなこんなで勉強会は3時間にも渡って続いた。


「ちょっと疲れた……」

「私も。今日はこれで終わりにしようか」

「賛成」

「ちょっとお茶淹れてくるね」


 ぱたぱたと部屋を出ていくヒナ。そんな気を遣わなくてもいいのに。


 ほどなくして戻ってきたヒナの手には2つのティーカップが乗ったお盆。


「なんか、甘めだね」

「ゆうちゃん、甘いのが好きでしょ」


 確かに、僕は、苦いお茶やコーヒーが苦手で、紅茶にもいつも砂糖をたっぷり入れて飲んでいた。


「どうせ僕は子ども舌だよ」

「別にいいと思うよ。人それぞれだし」


 別に笑った様子もなく、当然のことのように言うヒナ。こういう素直で偏見を持たないのは、ヒナのいいところだ。


 しばらくお茶を楽しんだ後、僕は帰ることにする。


「あの。ゆうちゃん。明日からも勉強会、しない?」

「う、うん。いいけど、どうして?」

「と、当分休校だし、一緒に勉強した方がいいと思って」


 少し戸惑ってしまうけど、一緒にいられる時間が増えるのだから断る理由もない。


「わかった。じゃあ、また明日」

「うん。また明日、ね」


 そう言って、ヒナと別れる。 

 

 部屋に戻ってきて、独りになったけど、不思議と今日は晴れやかな気分だった。ヒナと一緒に居られたからだろうか?


 晩御飯をもそもそと食べて、お風呂に入って、そして、部屋でゆっくりしていると、あっという間に日が変わろうとしていた。父さんは今日も出勤だったけど、明日は祝日出勤の代わりに休みが取れるらしく、リビングのソファで寝っ転がっている。


「ただいま」


 母さんが帰ってきたみたいだ。


「おかえり。今日も忙しかった?」

「患者さんが減らないもの。大忙しよ」


 母さんは、新型コロナウイルスの患者も受け入れている総合病院の看護師だ。色々気が休まらないのだろう。


「ニュースでさ、病院の人もマスクが足りないってあったけど、大丈夫?」

「うちはなんとかね。他の病院は洗って使いまわしているとか聞くけど」


 そういえば、そんなニュースも見た気がする。


「今日もお風呂入れておいたから、入ってよ」

「ありがと。佑樹は気が利くわね」

「母さんが頑張ってるから、これくらいはね」

「ふふ。佑樹がしっかり者に育って、良かったわ」

「もう子どもじゃないんだから」


 そんな会話を交わす。学校のこともだけど、今日は少しいいことがあった気がした。それに、明日からは勉強会でヒナともっと一緒に居られるし。

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