第5話 2020年5月7日
「もう朝か……」
電子書籍を読んでいたらどうやら寝落ちしていたようだ。枕元の時計をみると、もう朝9時。普段なら顔を青くしているだろうけど、あいにく新型コロナウイルスの影響で休校が続いているので、慌てる必要もない。休校が続くのは憂鬱だけど、こういう時は休校が続いて良かったとも思う。自分の事ながら、現金なものだ。
僕の部屋は東側に窓があって、朝が眩しいので分厚い遮光カーテンで光を遮っている。そのおかげでよく眠れるのだけど、今何時かわかりづらいのが欠点だ。
リビングに出ると、父さんがマックに何やらキーボードで文字を打ち込んでいる。今日は祝日出勤の代わりに休みらしいので、父さんがいるのは不思議じゃないけど、家でも仕事なのだろうか。
「おはよう、父さん。今日は休みじゃなかった?」
「そうもいかないのが管理職の痛いところでな。Slackでトラブル対応中だ」
「Slack?」
聞いたことがない名前だった。何かのアプリだろうか。
「ああ。いきなり言ってもわからないか。佑樹、ラインはわかるよな?」
「うん。普段使ってるし」
「おおざっぱに言うとお仕事用ラインってところだ。たとえば、チャンネル……ラインでいうグループがあって、そこに部署のメンバーが集まってたりする」
「なるほど。仕事でも、そういうのが進んでるんだね」
手元のスマホに入っているラインアプリを見てみるけど、これを仕事に使うと言われてもイマイチ想像がつかない。まだ僕は高校生だからそんなものかもしれない。
ダイニングを見ると、ラップのかかった皿が二つ。
「ひょっとして、父さんが作ってくれたの?」
「まあ、母さんも忙しいしな」
「そっか。ありがと」
テーブルに座って、食べ始める。目玉焼きにスクランブルエッグ、トーストとシンプルな食事だけど、とてもありがたい。
食べ終わって後片付けをすると、部屋に戻る。最近は、ツイッターで新型コロナウイルス関係のニュースを漁るのが日課だ。僕が調べたところで何かの役に立つわけじゃないけど、いつ収束するのかを知りたくて、専門家の先生のブログを中心に情報を漁っている。
いつものような、感染者がまた増えたとか、死に目に会えない家族がいるとか、気分が滅入るような情報もあるけど、そういうのは読み飛ばして、ざっと新しい情報を探す。その中に、一つ、目を引かれるものがあった。
『K値』
これまで、新型コロナウイルスの感染拡大予測には、Rtという指標が使われていたけど、もっと正確な指標であるK値が発表されたというニュースだ。詳しくは検証中らしいのだけど、物理学者の偉い先生が発見したらしい。
なんでも、このK値を使った予測によると、日本では5月中旬にも感染収束が見込める値になるらしく、早速、あちこちでこのK値に関するツイートが拡散されている。
新型コロナウイルスの話は、専門家の先生でも細かいところは誰も断言していなくて、結局のところ、確実なことは誰にも言えないということだった。だから、このK値というのにも疑いの目を向けてしまうのだけど、ちゃんとした先生の言うことだから、もしかしたら……という気持ちもあって、少し気持ちが浮き立つ。
【ヒナ、ちょっとこれから話さない?】
いつもなら、すぐ返事が来るのだけど、10分待っても返事が来ない。ひょっとして、まだ寝ているのかな?
【ご、ごめん。寝てた。すぐ行くよー】
ベランダに出ると、ぱたぱたという足音と共に、ヒナが現れた。ほんとに起きたばっかりのようだ。髪は寝癖がついているし、パジャマからはちらりと胸元が見えていて、ちょっとドキっとしてしまう。
「まだ寝てたの?もう10時だよ」
ドキドキをごまかすように、からかってみる。
「ゆうちゃんだって、11時まで寝てたことあったよね?」
「あれはたまたまだって」
「じゃあ、私もたまたまだよ」
子どものような言い合いをする僕たち。
「で、なんで寝坊したの?」
「ゆうちゃんお勧めのジノブレイド2が面白くて、気が付いたら朝3時までやってたんだ」
ジノブレイド2は、独特のシリアスな世界観や人物、戦闘システムが人気のRPGだ。グラフィックにもかなり力が入っている。
「ヒナがそんなにハマるとはね」
ゲーマーでもないヒナがそこまでハマってくれるとは、嬉しい限りだ。
「キャラが可愛くて、ずっとバトルしてたよ」
「ストーリーは?」
「まだ1話かな」
「勿体ない。2話からも仲間加わるのに」
「そうなの?あの子たちで全員と思ってた」
RPGをあまりやらないヒナは、途中からもどんどん仲間が加入するというある種のお約束に慣れていないのだろう。
「ジノブレイド2は面白いけど、ほどほどにね」
「ゆうちゃんもよくゲームで徹夜してるのに」
「僕は発売日直後しか徹夜しないから大丈夫なんだ」
楽しみにしていた新作ゲームが発売されると、寝るのも忘れて数日でクリアしてしまうこともしばしばだ。
「ゆうちゃんの方が不健康だと思う」
「それはおいといて」
本題を切り出す。
「新型コロナのニュース見てたんだけど。『K値』ていうのが発表されたんだって」
「けーち?」
言ってから、指標と言っても、理系科目や数学が苦手なヒナにはピンとこないだろうなと気が付く。
「簡単にいうと、新型コロナがどうなるか予測するための方法」
「今までは無かったの?」
「今までもあったんだけどね。K値の方が正確なんだってさ」
「正確っていうのは、よくわからないけど……それで、何か変わるの?」
「K値を発表した先生によると、順調にいけば、5月半ばに感染が収まるかもしれないんだって」
「それ、ホント?」
目を輝かせるヒナ。
「まだわからないけど、専門家の先生たちが検証中なんだって」
「そっか。その、『けーち』、っていうのがうまくいけばいいね」
うまく行くかどうかじゃないんだけど……まあいいか。
その後も、とりとめもない話をして、部屋に戻る。
部屋に戻った僕は、K値について考えていた。学者でもない僕には何もわからないのだけど、K値が正しい指標だったら、休校も早めに解除されるかもしれない。ぬか喜びは禁物だと思いながらも、そうあって欲しいと願わずにはいられなかった。
母さんはどう思っているのだろう。ラインでK値について書かれたブログと論文へのリンクを送って、聞いてみた。
【私も、専門の先生じゃないから、何も言えないわねえ】
【そっか】
【怪しげなものじゃないのは確かだけど、ね】
【じゃあ、うまく行けば……】
【期待したくなる気持ちはわかるけど、楽観は禁物よ】
とのこと。病院で日々患者さんと接している母さんには、人に言えない苦労があるのだろうな。
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